表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/7

★ 07

フラン・エクヴァルは歴史のある伯爵家の三男として生まれた。

父からの関心は薄かったが、母からは溺愛されて育った。

甘やかされて育った彼にとって、幼くして得た婚約者は全く気に入らなかった。

彼女は伯爵家の跡取りで、自分は彼女の婿となる。

つまり、自分は彼女の下に位置づけられるからだ。


それでも、子供のころはお互いのかかわりもそれほど密ではなかったので、可もなく不可もない付き合いだった。

それが、王立の学園に入学してからは、彼女には嫌悪感しか感じなくなっていった。

野蛮な辺境の生まれなのに、成績が、彼女に全く太刀打ちできなかった。

周囲の注目は、自分ではなく彼女に向っていることも分かってきた。

面白くない。

つまらない。

自分が感じる不満は、至らない自分のせいであるという事実を都合よく忘れることにして、そのうち刹那的な恋愛に夢中になった。



男爵家の後妻の娘だというその子は、自分をほめてくれたし、認めてくれた。

自分に愛想よく笑いかけてくれる、それだけで、有頂天になっていた。

だから、もっとも人目をひく場所で、婚約者に恥をかかせてやることにした。

今までの負債を帳消しにして、婚約を破談にしようとした。




「お前との婚約を破棄する!」

そう高らかに告げてやったが、彼女は平然としていた。

泣きもしないし、うろたえもしなかった。

それが一番、フランのプライドを傷つけた。



結果として、彼のもくろみはうまくいかず、フランは全てを失った。

母はかばってくれたが、貴族にふさわしくないと、父である当主は許さなかった。

そうして、知らぬ間に自分は、厭っていた蛮族の女に売り渡されていた。



それでも一つ希望があって、彼は手紙にそれを託した。

愛した男爵家の娘へと、こちらへ移り住んでこないかと誘ってみた。

野蛮な女と番うよりも、自分をたててくれる彼女といたいと思ったから。

けれど、彼女からの返信は砂をかけるように淡々としていた。

親子以上に年の離れた商人の後妻になることが決まったから、もう連絡するなと念を押すように二度書かれていた。

王都にいた頃に何度か黒い噂を聞いたことがある、かなり評判の悪い男だ。

諦めきれず、その後何度か送った手紙には、今度は返事もなかった。





窓ガラスの向こう側の街並みは、冴えない。

ここは、北方の辺境にもっとも近い領地の都になる。

自分の書類上の妻が治める地は、ここよりさらに北に位置していて、領都さえないという。

しかも、馬ではなくトナカイに乗らないとたどり着けないという。


そんな文明の欠片すらない場所に行かないですんだのは、よかったかもしれない。

けれど、今住んでいる場所は領都といっても王都には遠く及ばない。

なぜ、自分はこんなところにいるのか。

この数年間、なんど自問したか分からない、答えを決して得られない疑問を、彼はアルコール度数の高い酒と一緒に無理やり飲みくだした。



「イリニヤ様、ご無事でなによりです!

早くお入りください、部屋は暖めてあります」

そんな声が階下から届いたのを、フランはぼんやりと知覚した。

フラつく頭をなだめながら部屋を出て階下をのぞくと、にぎやかな一団がそこにいた。

その中心には、淡い金髪をなびかせた女性が一人いる。


フランの視線に気づいたのか、彼女が顔をあげた。

視線が交わって、けれどその一瞬は彼女の隣にいた男に妨げられた。

「イリニヤ様、まずは居間へ。

お茶でも飲んで、一息つきましょう」

黒髪の男が彼女の腰を抱き、エスコートして去っていった。

その様子をぼうっと見送ってから、興味を失った彼はおぼつかない足取りで部屋に戻り、安いワインの封を開けた。





「まぁ、数年で老け込んで人相が変わってしまったのではなくて?」

「不摂生な生活のせいじゃないですかね。こいつ、酒ばかり飲んでますから」

「あら、やはり度数の高い酒って体に悪いのね。酒毒のせいかしら」

そんな会話が、遠くで聞こえる。

重いまぶたを無理やり引き上げると、いつの間にか寝入っていたフランの周りを、数人が取り囲んでいた。

その中には、あの金髪の女もいて、周りの者は彼女に付き従っているようだ。



「お目覚めですか。酒臭いこと」

手で鼻をかくすようにしながら、見知らぬ茶髪の女が言った。

「下郎が、私に、は、はなしかけるな」

彼の言葉に、女はあざけりも露わに笑っている。

フランは怒鳴りつけてやろうか、もしくは殴ってやろうかとしたが、体がひどく重くて、起き上がるのでやっとだった。




そんな彼の様子を、蛮族の女は観察していた。

結い上げた金髪が、彼女の白い肌にうねるように流れている。

ドレスは質素だが深い青色が美しく、細くしまった腰にフランの視線が吸い寄せられるようだ。

無駄に勉学ばかりで愛想がなく、自分を夫としてたてることもしなかった気に入らない女は、いつのまにか成熟した女になっていた。



「自分の夫への、挨拶もなしか」

彼が言うと、「あら、私のことを覚えていらっしゃったの」と彼女は減らず口を返してきた。

しかも、「挨拶をするのはそちらでは?」と彼女の脇にたつ男が横槍を入れてくる。

フランは思わずギリギリと奥歯をかみしめた。

ここには蛮族しかいないのだから、味方のいない自分が不利になるのは仕方がないのだ、と自分に言い聞かせながら。



それでも、こんな理不尽を受け入れるわけにはいかないのだ、と彼は言葉を返す。

「今頃、なんの用だ? この数年、音沙汰もなかったというのに」

「王都へ赴く途中に立ち寄っただけです。

久しぶりに、あなたの顔も見ていこうと思いまして」

彼女は、感情の見えない貴族の微笑みを見せるだけだった。



彼女は、貴族の娘で、跡を継ぐためにフランと結婚した。

貴族の男性と結婚することでしか、自分の父親の爵位を継げなかったからだ。

なるほど、そういうことか、とフランは得心する。

爵位を継いだのならば、その位をさらに継いでいくための子が必要となる。

ではこの女に施しをしてやらなければならない、と思考を至らせた。

「そういえば、お前とは初夜がまだだったな」

フランがあざけりを込めて言葉を続けると、他の者がしていた会話が急にピタリと止んだ。

「あとで私の部屋に来い、一人きりでな。

せいぜい、私をその体で楽しませるがいい」




まるで雪原に放り出されたように空気が凍り、次の瞬間には笑い声で満たされた。

「何がおかしい!

貴様ら、貴族である私に対しその不敬はなんだ!

イリニヤ、こ、この者らを罰するがいい!」

舌がまわらぬが、どうにか言い終えたフランの怒りの言葉に、イリニヤが鼻を鳴らした。

上から見下ろすような彼女の傲慢な態度が、フランにはひどく憎たらしい。




「あなたとの夜など、必要ありません。

私はこの5年で、二人の子に恵まれました。

書類上はあなたの子として、滞りなく受理されました」

イリニヤの赤い唇が、蠱惑的な笑みを作る。

フランは、彼女の言葉が理解できずに、呆然と口をあけた。

彼女の脇にいた黒髪の男が、見せつけるように彼女の腰を抱いて、その瞬間頭に血がのぼるのをフランは感じた。



「き、き、貴様ぁ、浮気したのか!

私ではない男との間に子を作って、しかも私の子と偽ったのかぁあああ!!」

彼の怒りなどものともせず、イリニヤは軽やかに笑った。

黒髪の男が、マウヌが、より彼女と密着して、イリニヤもまた嬉しげに彼に身を任せる。

その様子を見せつけられ、フランは顔を真っ赤にして拳を振り上げた。


暴力に訴えようとした彼の行動は、あっという間に阻止された。

武勇に優れたサデニエミの若者と、アルコール中毒で健康をいちじるしく害したフランで勝負になるはずがないからだ。

上げた手首をマウヌにつかまれて、フランは身動きができない。

「こんなことをして許されると思うのか、王都に届け出ればお前は廃嫡されるだろうよ!」

釣り上げられた魚のように無様な恰好だが、フランは唾を飛ばしながらイリニヤを糾弾する。



フランの言葉は、けっして誤りではない。

だが、イリニヤは「あなたがどうやって王都に報告するというのです?」とその言葉を歯牙にもかけない。

「父上に、ちちうえに、伝えるぞ!

あの方は、身内であろうと、た、大変に厳しい人なのだから、お前のことも、ば、罰してくれる!」

かつては美貌をほめそやされたフランにその面影はなく、腐臭のような口臭をまき散らしながら怒鳴ることしかできない。

その様子に、ハンカチを取り出したイリニヤは鼻元をおさえて距離をとった。



口元は隠れて見えないが、彼女が笑っていることが、フランには分かっていた。

「エクヴァルのご当主様からは、婚姻後はあなたを自分の係累として扱わないと確約をいただいています。

あなたは、今や貴族籍を有するだけの、どこにも身寄りのない男性なのですよ」



今まで自分の知らなかった事実にフランが大きく目を見開くのに、彼の周囲がクスクスと笑った。

それは、かつて、彼がなんども繰り広げた光景だった。

王都の学院で、イリニヤと彼女の従者であるマウヌを孤立無援に追い込み、その周囲でフランとフランの友人たちで、悪意を持って嘲笑ってやったときと同じだった。

ただ、笑う側と笑われる側が、きれいに反転しているだけだ。




ガクリと力を失って、フランは絨毯に膝をついた。

イリニヤと、マウヌと、従う者たちが部屋から出ていく。

「父上、ちちうえぇ……助けてください……」

ドアが閉められると、部屋から男の泣き声がかすかに聞こえ、誰かがバッとその口を自分の手でかくした。

この期に及んで他者にすがるだけのフランの様子に、奇妙な沈黙が生まれ、それは彼らが階下の居間に降りるまで続いた。

ドアが閉じられた瞬間響いた複数の笑い声が、笑われた男のもとに届いたのかどうかは誰も気にしなかった。






この国を統べる王は、サデニエミの一族と同じ言葉を話す。

彼らもかつてはトナカイを飼い、狩猟や採集を生業としていた。

しかし、ある時、長の子供の一人が海を越えて出奔し、やがて農耕の技術を習得し、北方でも収穫可能な作物の種子と妻を連れて帰ってきた。

新たな技術を手に入れた彼の一族は、百年もたたないうちに圧倒的な力を手に入れた。

この地方でより耕作に適した南方の土地を支配し、遊牧に生きる同じ民を武力で追い出し、蹂躙し、そして一つの国家を作り上げた。

その時、最後まで支配にあらがった部族はことごとく辺境へ追いやられ、そして王都の貴族から辺境への差別が始まった。






数か月後、イリニヤは5年ぶりの王都での社交を終え、帰途についた。

再びサデニエミの隣領の館につくと、館を管理する若者が、彼女に報告をした。

「病状がよくない?」

「はい、イリニヤ様がこの館を発たれた後に、フラン氏は急激に身体症状が悪化し、今は正気を保っていることがほとんどありません」


「そう」

実際に確認してみると、ベッドに横たわるフランは青白い顔で、視線が一切こちらと交わらなかった。

時々口ずさんでいたのは、彼が王都にいた頃に流行っていた歌だろうか。

「療養所にいれましょう」

「イリニヤ様、そこまでこの男に手厚くしなくてもよろしいのでは?」

彼の扱いにマウヌ以外の彼女の部下が抗議するが、イリニヤは子供を見守る母のような笑顔で笑うだけだ。

「今回の社交で、エクヴァル伯爵には大変よくしていただきました。

どれほど不出来であろうとも、フランはあの方の子ですからね、せめて最後まで粗略な扱いはしないでおきましょう」

そうして、かつてフラン・エクヴァルと名乗っていた貴族の男は富裕層向けの療養所に送られた。






イリニヤは、マウヌとともにトナカイにまたがっている。

騎乗が必要なので、サデニエミの女性も主にズボンを着用していて、彼女もまたこの湖水地方にいるときはドレスに袖を通すことはほとんどない。

王都の女性貴族なら、馬に乗る時も横乗りになるだろうけれど、イリニヤにはその「女性らしい」乗り方のほうが怖くてしかたがない。

湖の脇を抜けると、湖と湿地の間の微高地に小さな畑が作られていた。

木々の間からたなびく煙も見えてきて、故郷に帰ってきたことにホッと肩の力が抜ける。

横を見ると、マウヌが視線を返してきた。

彼女だけにむける、親愛のこもった笑顔に、イリニヤもまた相手を心底信頼した顔で笑った。



「おかあさまーーーーっ! おとうさまーーーー!」

幼い声が、木々の向こうから聞こえてきた。

領主館へと続く道を、こちら側に向かって小さな影が二つ駆けてくる。

イリニヤはトナカイをおりると、両腕をいっぱいに広げた。

その腕のなかにためらいなく飛び込んでくる娘と息子に、彼女は偽りのない笑顔を向けた。

団子のようにむぎゅっと固まった母子3人を、さらに大きな腕がぎゅっと抱きしめる。

マウヌの力強い抱擁に、子も母も無邪気に笑い声をあげた。


木々の向こうから、石造りの領主館が見える。

こちらに気づいた村人たちが歩み寄ってくるのに、イリニヤは右手を大きく掲げた。

「ただいまーーーー!今帰ったよ!!!」

彼女の髪を、湖と木々の間を駆け抜ける風がゆらしていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ