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★ 04

「それでは、次のご報告です。

隣領の館ですが、管理のものを追加で手配し、数か月おきに交代することで決まりました。

配置した者からの連絡なのですが、フラン氏は、働く意思は全くなく、昼間から飲み屋や娼館に入り浸っているようです」

一族の主だったものが集まっての会議で、面白くもないことが報告されている。

「誰も自分を知るものがいない場所で、心機一転再出発、とはいかないようね」

イリニヤは、おっとりとそう述べた。

「彼に割り当てた予算を越えない限りは、特にこちらから生活の制限はしないわ。

身近にいると大変でしょうけど、よろしく頼みますね」



「承知しました。それから」

「まだ何かあったかしら?」

「実は、彼は手紙を出しています。どうやら……」

そこまで言って、報告者はちらりとイリニヤを見てから、言葉を続けた。

「どうも、彼が婚約破棄をしようとしたきっかけとなった、浮気相手の女性を呼び寄せようとしているようでして」



これには、さすがに出席者がざわめいた。

自分の転落の原因となった女性にまだ執心なのは、愛のなせる業なのか、単に彼が底抜けに愚かだからか。

「確か」

イリニヤは中空を眺めながら、ゆっくり言葉を集めた。

「彼女は、なにかしらの罰は受けていないのよ。

途中経過は別として、結局フランは私とこうして結婚したし、責を問うのも難しいということで」

ただし、彼女が浮気に等しい行為をしていたのも確かで、新たに結婚相手を求めるのもうまくいかなかったそうだ。

そのため、男爵家のほうが、独自に判断して彼女を領地に押し込めたという。

マウヌからすると、男爵家の対応は、もっともなものと思えた。



「彼がどういう対応を取るか次第だけど。

まぁ、でもやっぱり、かかる費用が予算内で、ことさら揉め事を起こさなければ、私は静観でかまわないと思うわ」

出席者は、それでいいのか?という雰囲気だが、イリニヤの表情には怒りなどは見られず、いたって平静だ。



「あ、そうだわ」

イリニヤは、いたずらっ子のように笑った。

「最近、王都で蒸留酒が流行っているようなのよ。

ここだとまだ手に入りにくいかしら?

もし手に入ったたら、彼に差し上げるとよいわ」

報告を聞く他の者はピンとこないようだが、マウヌは顔をあげた。


「イリニヤ様、彼をそこまで気に掛ける必要はありますか」

「別にないわね。

でも、彼はきっと退屈しているでしょうから。

お酒があれば、きっと無聊を慰められるでしょう」

蒸留酒は、アルコール度数がとにかく高く、そして値も張る。

間違っても穀潰しに与えるにはもったいない品だが、どうにも彼女は自信ありげだ。



「何かお考えがおありですか」

「考えというほどのものではないわ。

彼に常識と、人並みの自制心があれば、何も起きないでしょう」

つまり、彼の自制心が緩ければ、何かが起きるということだろう。

意味深な口調で告げられる言葉に、マウヌは次の言葉を引っ込めざるをえなかった。

そうしている間に、議題は次にうつっていた。





マウヌの母が、周りを見渡して言った。

「イリニヤ様の婚儀の用意が調いました」

ヒュッと音がしたのは、自分が息を飲んだからだ。

彼女はなぜか、自分の息子であるマウヌにも強い視線をよこした。

気が付いた時には椅子を蹴とばすように立ち上がって、ドアのノブに手をかけていた。

後ろから母が自分の名を呼んでいるのが聞こえたが、足も手も止まらなかった。



滞りなく進んでいた会議は、出席者の一人がいきなり飛び出したことでいったん停止した。

いかにも肝っ玉母さん、といった印象のマウヌの母は、ポカンとする他の出席者を見渡した。

「もしかして、あのボンクラはなにか勘違いしているのかね?」

「勘違いというか……そういえば」

イリニヤは、唇に手をあててしばらく考え込んだ。

「私、まだ彼になにも言ってなかったわ」

周囲が絶句した様子に、イリニヤは気まずげに視線をさまよわせた。

「その、大丈夫よ、なんとかするわ」






マウヌがトナカイを駆って村を出ていったことをイリニヤが知ったのは、会議が全て終わってからだった。

軽装のままだというので夜になる前に戻ってくるだろうが、彼女は複数頭のトナカイを集めた。

「大丈夫だと思うけど、周辺を見てくるわ」

「イリニヤ様がわざわざ出ていくほどのことではないですよ?」

「いえ、今回は完全に私が悪いのよ。

見つからないかもしれないけど、ほおっておく訳にはいかないの」

常にはない強硬な態度で、彼女はトナカイを引き連れて森に分け入った。




サデニエミの一族が住まう地は、森と湖に覆われている。

農耕に適した土地が少ないここでは、少し足を延ばせば、あっという間に人の気配は失われ、未開の地の様相を見せる。

湖はいたるところにあり、そのせいで道は頻繁に方向を変え、不慣れな者を容易に迷わせる。

だからこそ、外部の者からこの地は守られている。

小鳥の鳴き声、トナカイの息遣い、葉擦れの音。

静かではあるけれど、無音ではない森を見透かすように、イリニヤは歩を進める。

トナカイが、浅い水たまりをパシャリと踏み越えた。



徐々に太陽が高度を下げて、気温が下がり始めるのを肌で感じながら、イリニヤは名もない湖を訪れた。

細長い岬が複雑な形をした湖を両断してしまいそうなほど食い込んでいる。

その岬の先端に向かって、トナカイは弧を描くようにゆっくり歩いていった。



のんきな様子で草を食んでいるトナカイの傍らで、マウヌは湖を見つめていた。

足音に気づいて振り返る彼の表情は、平素とそう変わらないように見えた。

「マウヌ、探したわよ」

「すみません、会議の途中だったというのに無作法をいたしました」

「いいの、これは私の落ち度だから」

トナカイを降りたイリニヤは、ちょこんとマウヌの隣に座りこんだ。



「ここに来てるかどうか、賭けみたいな気持ちだったわ」

そう話す彼女に、マウヌは笑みを見せた。

まだ子供のころに見つけたここは、マウヌにとってお気に入りな場所だった。

湖水にほぼ360度すべてを囲まれ、その向こうに森が見渡せる。

特に紅葉の頃は、青い水面と燃え立つような木々の葉が対比となって絶景になる。




「ねぇ、マウヌ」

真剣な表情で、彼女は傍らの男を見上げた。

「私がサデニエミの一族を統べるには、男性貴族と結婚しなければならない。

男性は爵位を継承するのに、貴族女性との結婚が必須じゃないのにね。

不公平だけど、国がそう決めているから、私はそれに従うしかない。


でもこの湖水地方を出て、自分が王都の貴族からどう見られているかを知って。

そのうえで、私の婚約者どのが、どれほど無邪気に私を見下して傷つけてくるかを経験して、この男と結婚するのは絶対にイヤ、って思ったのよ」


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