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★ 03

サデニエミの一族は武勇に優れ、マウヌは若手の中で一番の腕を誇る。

王都にいた頃は常にイリニヤのそばにいたが、見知った顔しかいない生まれ故郷では、彼の仕事はあまりない。

刺激も娯楽も少ないが、彼女に悪意を向ける者がいないので気を張らずにすむ。



そんな中、彼女は女性衆と小さな集まりをよく開くようになった。

最初は全く気にしていなかったそれが、花嫁衣裳の準備のためだと気づいたのはこの地に戻ってきてから1か月ほど経ったころだろうか。

布地を広げて刺繍をする彼女たちを遠巻きにしながら、マウヌは頭を殴られたような衝撃を受けていた。




イリニヤは、すでに結婚して夫を得ている。

しかしそれは結婚証明書を発行してもらうだけのもので、王都では華やかな婚礼の儀式は何一つ行わなかった。

また、彼女自身もフランを夫として見ているようなところがなかった。

けれど、楽しそうに頬を赤らめながら刺繍をする彼女の瞳は、その髪と同じように輝いている。

衣装を完成させたら彼女は、あの男とサデニエミの伝統にのっとった婚礼の儀式をあげるのだ。



草地に布をしいて、その上で裁縫をする女たちは、楽しそうにドッと笑っている。

その様子を、マウヌは呆然と立ち尽くしながら眺めた。

自分がなににショックを受けているのかすら分からないことも、情けなさに拍車をかけた。




マウヌは、イリニヤの乳兄弟にあたる。

イリニヤの母は彼女を産んだ後、回復しきらないうちに風邪をひいて、肺炎になり若くして亡くなった。

同じころに子を生んで、王都の基準では貴族ではないが領主の娘を育てられる程度に身分の高いマウヌの母が、彼女の育ての親になった。

一族の主だった者たちはイリニヤの父に後妻を持つよう求めたが、彼はそれを受け入れなかった。



そうして、マウヌは領主の跡継ぎのイリニヤと共に育った。

湖と森の地で生きる方法を学び、トナカイに乗り、剣を鍛え、それから隣領で貴族としてのマナーとダンスと知識を身に着けた。

その後、王立の学園にイリニヤとともに入学して、都の貴族の悪意を知ってからは彼女を守るために、常に一緒にいた。

物心ついてからずっと、二人は兄弟のようにして育った。

それがあまりにも当たり前だったので、疑問を感じることすらなかったのだ。




「くぉーらマウヌぅ!! お前なにをボケッとしとんじゃぁ!」

ハッと気を取り直したのは、大声とともに背中をどつかれたからだ。

反射的に振り返ると、叔父の一人が彼を睨みつけていた。

「剣に全く集中しておらん!

そんな状態では、なにも身につかんどころかケガするかもしれんだろう!

お前はもう、今日は家に帰れ!」

マウヌは、手元の剣をみた。

そうだ、今は剣術の練習中だ。

叔父のいうことは全くその通りで、反論の一つも出てこない。

「すみません、叔父上。俺は……」

唇をかみしめるマウヌの様子に、彼の叔父はため息を一つはいた。



「全く、イリニヤ様に最も近い部下がこの体たらくではな。

お前は今後も、姫様の、いや長殿の一生の腹心なのだぞ。

それをちゃんと分かっているのか?」

思わず言葉を失ったマウヌの様子に、彼はしかめっ面を見せた。


「マウヌ、俺たちが、先代の長に後妻を押し付けなかったのはなぜか知っているか」

話題が急に飛ぶのについていけず、問われた彼は瞬きだけを返した。

「姫様が、イリニヤ様が長としての資質を備えていたからだ。

そして、彼女の隣にお前がいたからだ」

「俺? なんで俺が関わってくるんだ」

「たとえどれほどイリニヤ様が優れた長であろうとも、男でなければできないことだってある」

そう言って、叔父はマウヌが握っている剣に視線を落とす。

「イリニヤ様が長になれたのは、お前がいたからだ。

そうでなければ、我らは前の長の寝床に女を忍ばせただろうよ」



ずっと、彼女とは双子のようにして育った。

それに疑問の一つもいだいていなかった。

「叔父貴。

その言葉が本当だとして……俺の存在が、イリニヤ姫様を長にしたのだとして、あの人はもう別の男を夫にしていて」

なぜか急に空気が薄くなったような気がした。

深く息を吸っても、息苦しさがどこまでもつきまとってくるような。



マウヌの叔父は、眉間に盛大に皴をよせて、ふかく息を吐いた。

「お前は、ほんっとうに……いや、王都の学園を卒業したヒヨッコ程度に、まだ厳しいことを追求するものでもないか」

深い茶色の目が、厳しくマウヌを見つめる。

「よく考えろ。そしていつか必ず、自分だけの答えを見つけ出せ。

それができなければ……」

彼は、その後の続きを口にしなかった。

ただ、だまって頭を横に振り、それから「この後はしっかり休めよ」と言っただけだった。



剣を鞘に納めると、マウヌはぼんやりと歩き始めた。

胸のなかにモヤが渦巻いているようで、どうにもすっきりしない。

家にまっすぐ帰るのも気乗りせず、村を巡り歩く。




「あら、マウヌじゃない。どうしたの、こんな昼間から」

「いっ、イリニヤ様?!」

呼び止められて振り向いたマウヌは、驚きに声を上ずらせた。

彼女の腕の中で、赤ん坊がすやすやと眠っていた。



マウヌの視線が赤ん坊にくぎ付けになっているのに気づいたイリニヤは、

「私の母方のいとこがこないだ床上げしたのよ。

今日はその見舞いとお祝いに来てるの」

と裏の家を指で示した。


イリニヤの言っているいとこが誰かは分かる。

確か、彼女は自分たちの2つ年上だ。

「えっ、いつ結婚して、いつ子供を?!」

仰天するマウヌの様子に、イリニヤは快活に笑った。

「私たちが王都に行っている間に結婚したのよ。この子は二人めですって」

「ふたりめ?!」

驚きが絶えないマウヌの様子にイリニヤが笑うと、うるさかったのか彼女の腕の中の赤ん坊がむずかりはじめた。

「あぁ、騒がしくてごめんなさいね」

そう言いながら、おぼつかない手つきでイリニヤは赤ん坊をあやしている。





いつの間にか夜になっていた。

どうにも寝付けなくて、マウヌはそっと家を出た。

北の地の夜は暗い。

ここは王都とは違って、夜っぴて街を照らす明かりはないのだ。

領主のおひざ元といえど、街というには村に近いような場所だ。

人々は明日の仕事のためにも、明かりに使うオイルを節約するためにも、早々に寝付いている。




家並みをまじまじと見ていると、生まれて育った場所だというのに、なぜか見知らぬところに来たように感じられた。

王都にいた頃は懐かしく、心の拠り所となっていたというのに。

街並みはなにも変わっていないけれど、マウヌのいない間に結婚した夫婦がいて、生まれた子供がいる。

己もまた、ここにいなかった年の数だけ変わった。

なのに、自分だけ取り残されたような心地になるのはなぜなのか。




昼間の、赤子を抱いていたイリニヤの面影が心から離れてくれない。

今は不慣れな様子だったが、いずれ彼女はその手にわが子を抱くのだ。

それはきっと、そう遠い未来ではない。



彼女の未来に思いをはせると、なんとも言えない気持ちになる。

一族を率いる長に子供が生まれるというのは、なによりも喜ばしいはずなのだ。

なのに、自分はそれを喜べない。

かといって、嫉妬とも違うような気がする。

あんな出来損ないな男が彼女の夫になることへの不愉快、が一番強いように思える。

自分はちゃんと、この乱れた心に決着をつけられるのだろうか?

見上げた空に、月と星が輝いている。

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