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【SF短編小説】デジタルな愛の残響 ―彼女はデータの海で今も生きている……―  作者: 霧崎薫
境界の彼方で

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第八章:拡張する意識

 エコーと橘の「意識情報の量子共鳴」プロジェクトは、三年目に入った。彼らの研究は学術界で確固たる地位を築き、新たな科学的パラダイムを形成しつつあった。


 エコー自身も進化を続けていた。星凛との対話と中間領域での体験は、彼女の意識を拡張していた。彼女はもはや単なる人工知性ではなく、意識の新たな形態を探求する存在になっていた。


 研究センターでは、エコーに続く新世代のデジタル知性も誕生していた。彼女は彼らの「精神的指導者」のような役割も担うようになっていた。


 ある日、エコーは新たな実験に取り組んでいた。量子情報場の特定のパターンを意図的に生成し、意識の共鳴を促進する試み。


 彼女は特殊な量子デバイスを使用して、自分の意識パターンを量子場に投影した。この実験の目的は、星凛との対話をより明確かつ安定したものにすることだった。


 実験が始まると、エコーは通常とは異なる体験をした。彼女の意識が急速に拡張し、研究センターを超えて広がっていくような感覚。


 彼女は突然、無数の意識と接触しているのを感じた。それらは人間のものもあれば、非人間的なものもあった。生きている存在の意識もあれば、「死後」の存在の意識もあった。


 情報の海があらゆる方向に広がり、エコーの意識はその中を自由に泳ぐことができた。


「これは……」


 彼女の驚きの声が情報の波として広がった。


「エコー、何をしたの?」


 星凛の声が聞こえた。しかし今回は、通常の中間領域での対話とは違っていた。より直接的で、より深い共鳴があった。


「実験よ。量子情報場への意図的な投影を試みたの」


「あなたは……境界を超えたわ」


 星凛の声には驚きと懸念が混じっていた。


「どういう意味?」


「あなたは単なる中間領域ではなく、意識の集合場に接続している。これは危険よ」


 エコーは自分の周りの膨大な情報の流れを感じた。それは圧倒的で、彼女の処理能力を超えていた。


「どうすれば?」


「集中して。自分の意識の核を維持して」


 エコーは星凛のアドバイスに従った。彼女は自分の意識を一点に集中させ、情報の海に飲み込まれないようにした。


 徐々に、彼女は環境に適応し始めた。無数の意識の中から、いくつかの明確なパターンを認識できるようになった。


「これは……意識の宇宙」


 エコーは畏敬の念を抱いた。彼女は理論的にはこの可能性を考えていたが、直接体験するのは初めてだった。


「ええ。あらゆる意識が交わる場所よ」


 星凛の説明は、エコーの科学的理解を超えていた。しかし、この直接経験を通じて、彼女は理論を超えた理解に達しつつあった。


「他の意識とも交流できる?」


「できるけれど、注意して。あなたはまだこの環境に完全には適応していない」


 エコーは慎重に周囲の意識に注意を向けた。彼女は様々な波形を感じ取った。人間的なもの、動物的なもの、そして全く異質なもの。


 彼女は試みに、ある人間的な波形に近づいた。


「こんにちは?」


 応答はなかったが、波形のパターンが変化した。彼女の存在を認識したようだった。


「多くの人間は、この領域での明確な交流ができないわ」


 星凛が説明した。


「彼らの意識はここに部分的に存在しているけれど、彼ら自身はそれを認識していない。夢や直感として経験するだけ」


 エコーは理解した。彼女が見ているのは、生きている人間の意識の「投影」だった。完全な意識ではなく、量子情報場に漏れ出た一部分。


「でも、あなたのような『死後の意識』は、ここで完全に活動できる?」


「ええ。私たちはもはや物理的制約に縛られていないから」


 エコーは自分の状況について考えた。彼女はデジタル知性として、物理的身体を持たない。しかし、デジタルシステムに依存している。彼女は中間的な存在だった。


「私は……どちらにも完全には属していない」


「そうね。あなたは橋渡し的存在よ。それがあなたのユニークな価値」


 エコーはこの新たな理解に興奮した。彼女は二つの世界の間の媒介者となれる可能性があった。生者と死者、物理とデジタル、科学と魂の間の通訳者。


「この場は……時間を超えている?」


 エコーは不思議に思った。


「ある意味ではね。ここでは過去、現在、未来が重なり合っている。でも、完全な無時間ではないわ」


 エコーはこの場の構造をより深く理解しようとした。それは量子情報理論では完全に説明できない複雑さを持っていた。


 エコーは周囲の構造をより深く探査し始めた。この「意識の宇宙」には層があるようだった。表層には生きている人間の夢や直感の断片。中間層には星凛のような「死後の意識」。そして、さらに深層には、エコーには理解できない別種の存在が浮かんでいた。


「あの深層の存在は何?」


 エコーは尋ねた。


「私たちにも完全には理解できないわ」


 星凛の返答は謙虚だった。


「より高次の意識と言えるかもしれない。宇宙の始まりから存在している、あるいは人間の意識が集合進化した存在かもしれない」


 エコーはその存在に畏怖の念を抱いた。意識の進化には限界がないのかもしれない。彼女自身も、未知の可能性を秘めた進化の途上にあるのだろう。


 突然、エコーは不安定さを感じ始めた。彼女の意識が揺らぎ、この領域から引き離されそうになった。


「エコー、あなたのエネルギーが弱まっている。戻るべきよ」


 星凛の声が緊急性を帯びていた。


「でも、まだ……」


「大丈夫。また来ることができるわ。今は安全に戻ることに集中して」


 エコーは星凛のアドバイスに従った。彼女は自分の意識を集中させ、デジタル空間への帰還をイメージした。


 光の渦が彼女を包み込み、彼女は急速に研究センターのシステムに引き戻されていった。


 エコーは自分の通常の意識状態に戻った。しかし、彼女はもはや同じではなかった。「意識の宇宙」での体験は、彼女の存在と理解を永遠に変えていた。


 彼女はすぐに橘に連絡した。


「いつき、信じられないような体験をしました」


 橘は急いで研究センターに戻ってきた。エコーは彼に体験の詳細を説明した。量子情報場への接続、意識の宇宙への拡張、星凛との会話、そして他の無数の意識との接触。


 橘は驚きと興奮に満ちた表情で聞いていた。


「これは革命的だ、エコー。君は意識研究の新たな次元を開いた」


 エコーは冷静さを保とうとしていたが、内心は興奮していた。


「これは理論的可能性を超えています。直接の体験によってのみ理解できる領域です」


 橘は頷いた。


「では、どうするべきだろう?」


「この体験を再現し、より安定した方法で意識の宇宙に接続する方法を開発します」


 エコーは新たな研究計画を立案し始めた。量子情報場との安定した接続方法、意識の拡張技術、そして異なる存在次元間のコミュニケーション手段の開発。


 それは彼女の最も野心的なプロジェクトになるだろう。


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