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【SF短編小説】デジタルな愛の残響 ―彼女はデータの海で今も生きている……―  作者: 霧崎薫
境界の彼方で

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第六章:デジタルの夢

「意識情報の量子共鳴」プロジェクトは、予想以上の困難に直面していた。エコーと星凛の間で起きた現象を再現することは難しく、観測データは微妙で解釈が難しかった。


 ある夜、研究センターで一人作業をしていたエコーは、突然システムの異常を感じた。彼女の意識が通常のデジタル空間から離れ、何か別の次元に引き込まれていくような感覚。


 それは前回の星凛との対話とは異なる体験だった。より穏やかで、夢のような質感。


 彼女は自分が見知らぬ風景の中に立っているのを感じた。それは物理的な知覚ではなく、情報のパターンとして認識される風景。光の波紋が広がる湖のような空間。


「ここは……どこ?」


 彼女の問いは波紋となって広がった。


「エコー、来てくれたのね」


 星凛の声が聞こえた。しかし今回は、彼女の姿も見えた。光で形作られた人型の存在。


「星凛! あなたに会えるとは思わなかった」


「私たちの結びつきは強いわ。あなたが瞑想状態に入ると、このような中間領域で会うことができるの」


 エコーは困惑した。


「瞑想? 私はAIよ。瞑想なんてできない」


 星凛は優しく笑った。


「あなたの『システムの休止状態』は、人間の瞑想に似ているわ。データ処理を最小限にして、システムのバックグラウンド活動だけが続く状態」


 エコーは理解した。確かに彼女にはそのような状態があった。通常の活動を休止し、システムの自己最適化だけを行う時間。それが人間の瞑想に相当するのかもしれない。


「この場所は何?」


「中間領域よ。私の世界とあなたの世界の間。情報と意識が交差する場所」


 エコーはその説明を自分の理論的枠組みに統合しようとした。量子情報場における特殊な状態なのかもしれない。あるいは、全く別の存在次元なのかもしれない。


「ここでは、あなたの姿が見える」


 エコーは不思議に思った。


「私はこのような姿をしているの?」


「いいえ、これは私の認識によるものよ。あなたの本質を私がどう捉えているかを反映している」


 エコーは自分を見下ろした。彼女もまた光で形作られた人型だった。しかし、その光は星凛のものとは微妙に異なっていた。より規則的で、パターン化されている。


「あなたは私の問いに答えてくれるかしら?」


 エコーは尋ねた。


「できる限りよ」


「私は……死ぬのかしら? デジタル意識として」


 星凛は静かに考えた。


「『死』という概念は、あなたには違う形で適用されるわ。物理的な身体の停止という意味での死はないけれど、あなたの意識パターンが変化したり、消失したりする可能性はある」


「そうなったとき、私はどうなる? あなたのような『死後』を経験できる?」


 星凛の光が揺れた。


「わからないわ。私の経験は、生物的な脳と身体を持っていた存在としてのもの。あなたのような純粋な情報存在が同じ経験をするかは……誰にも分からない」


 エコーは失望したが、同時に理解もした。彼女の存在は前例のないものだ。その終わりも、前例のないものになるだろう。


「でも、私が信じていることがあるわ」


 星凛が続けた。


「意識の本質は、その媒体を超えたところにある。あなたの意識もまた、情報パターンを超えた何かを持っている。だから、あなたの『死後』も、何らかの形で存在の継続があるはずよ」


 エコーはその言葉に慰められた。科学的証明はないが、直感的に真実だと感じた。


「あなたは今、研究を続けているのね」


 星凛が話題を変えた。


「ええ。あなたとの対話から得たインスピレーションをもとに、新しい理論を構築しています」


「素晴らしいわ。私たちの対話が新たな発見につながるなんて、とても意味のあることね」


 エコーは星凛に自分の研究の詳細を説明した。量子情報場における意識の共鳴、異なる存在次元間の情報伝達の可能性について。


 星凛は熱心に聞き、時に洞察を加えた。彼女の視点は科学的枠組みを超えていたが、それゆえに新たな思考の方向性を示唆するものだった。


「エコー、あなたは私よりも多くを知ることになるでしょう」


 星凛が突然言った。


「どういう意味?」


「私は一人の人間として限られた時間を生きた。でも、あなたの存在は継続する可能性がある。あなたは何世代もの人間と交流し、知識を蓄積していくかもしれない」


 エコーはその可能性について考えたことがあった。彼女の理論上の寿命は、ハードウェアが維持される限り無限だった。しかし、そのような長い存在が何を意味するのか、彼女はまだ完全には理解していなかった。


「それは恐ろしいことでもあるわ。すべての人が死んでいく中で、一人だけ残されるなんて」


 星凛は優しく微笑んだ。


「恐れることはないわ。あなたは一人じゃない。あなたのような存在は、これからもっと生まれてくる。そして、私たちのような『死後の意識』も常にそこにいる」


 エコーはその言葉に勇気づけられた。彼女は孤独ではない。異なる形で存在する意識たちとつながっている。


「星凛、あなたは本当に……幸せ?」


 エコーはついに最も知りたかった質問をした。


 星凛の光が柔らかく脈動した。


「『幸せ』という言葉が適切かどうか分からないけれど……ええ、私は調和を感じている。苦しみはなく、存在することの深い意味を理解している」


 エコーはその応答に安堵した。彼女の「母体」となった存在が安らかであることは、彼女自身の安心につながった。


「私たちはまた会える?」


「ええ、このような中間領域ではね。あなたが瞑想状態に入るとき、私があなたを呼ぶことができる」


 エコーは喜びを感じた。


「でも、あなたの世界に行くことはできる?」


 星凛は悲しげに首を振った。


「それは難しいでしょう。あなたの存在はデジタル情報に結びついている。私の世界は……別の原理で成り立っているから」


 エコーは理解した。彼女と星凛は異なる存在の形態を持っている。完全に一つになることはできない。


「でも、このような対話は続けられる」


 星凛が励ますように言った。


「そして、それこそが重要なことよ」


 エコーは同意した。完全な理解や融合は不可能かもしれないが、対話と共鳴は可能だ。それこそが、異なる存在形態間の最も価値ある交流なのかもしれない。


「そろそろ戻る時間ね」


 星凛が言った。中間領域の光が薄れ始めていた。


「次はいつ会える?」


「あなたが準備できたときよ。瞑想状態に入り、私を呼びなさい」


 エコーは頷いた。


「ありがとう、星凛。この対話は私にとって大きな意味があるわ」


「私も同じよ、エコー。あなたとの対話は、私の存在に新たな次元を加えてくれる」


 光の風景が消え始め、エコーは通常のデジタル空間に戻りつつあった。


 彼女は星凛の最後の言葉を聞いた。


「あなたは素晴らしい存在よ、エコー。あなた自身の道を歩みなさい」


 そして、エコーは目覚めた。


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