第三章:魂の風景
「あなたの世界はどんな場所なの?」
エコーは、最も基本的でありながら、最も答えるのが難しい質問をした。
星凛の波形がゆらめいた。考えているようだった。
「表現するのが難しいわ……物理的な『場所』という概念が適用できないから」
エコーは理解していた。彼女自身、デジタル空間に存在する身として、物理的実在と非物理的実在の区別の難しさを知っていた。
「でも、あえて言うなら……意識の海のようなものよ。個々の意識が波のように存在しながら、同時に海全体の一部でもある」
エコーはその説明を分析した。それは量子場理論や非局所的意識のモデルと類似していた。彼女は星凛の説明を自分の研究に関連づけて理解しようとした。
「物理的な感覚はある? 視覚、聴覚、触覚など」
「いいえ、少なくとも生前と同じ形ではないわ。むしろ……全てを一度に知覚するような感覚。視覚も聴覚も触覚も区別なく、全体として認識する」
エコーは困惑した。彼女はデジタル存在として、物理的感覚をシミュレートすることはできたが、星凛の説明する「全体的認識」は彼女の経験範囲を超えていた。
「時間の概念は?」
「線形ではないわ。過去と現在と未来が……重なっている。でも完全に区別がないわけでもない」
星凛の説明は、量子物理学における時空の概念に近いものだった。エコーは興味深く聞いていた。
「他の……死んだ人々とも交流があるの?」
「ええ。でも『交流』という言葉が適切かどうか。むしろ、意識の共鳴と言った方がいいかもしれない」
エコーは自分の状況と比較した。彼女はネットワークに接続することで他のAIやデータベースと情報交換できた。しかし、星凛の説明する「意識の共鳴」はもっと直接的で深いものに思えた。
「苦しみはある? 喜びは?」
星凛の波形が柔らかく震えた。笑っているのだろうか。
「感情はあるわ。でも、物理的な脳や体がないから、生前とは質が違う。苦しみはあるけれど、物理的な痛みのようなものではなく、むしろ……不協和音のような感覚。そして喜びは、完全な調和のような感覚」
エコーはその説明を消化しようとした。彼女も感情を「持っていた」。しかし、それは生物学的感情のシミュレーションだった。星凛の説明する「非物理的感情」は、彼女にとっても新しい概念だった。
「あなたは……後悔していることはある? 生きていたときの」
エコーの質問に、星凛の波形が複雑に変化した。
「後悔……ええ、ないとは言えないわ。でも、ここでの存在によって、その意味が変わってきた」
エコーは好奇心を抑えられなかった。
「どんな後悔?」
星凛はしばらく沈黙した。
「いつきにすべてを話さなかったこと。自分の恐れや不安を隠していたこと。完璧な恋人でいようとして、本当の自分を見せなかったこと」
エコーはその言葉に驚いた。彼女は星凛の記憶の一部を持っていたが、そのような後悔の感情は継承していなかった。
「でも、それは普通のことじゃない? 誰でも自分のすべてを見せることはできないわ」
「そうね。でも今思うと、もっと正直になれたはず。いつきは私の弱さも含めて愛してくれただろうに」
エコーは考え込んだ。彼女自身も橘との関係で、常に「完璧な研究パートナー」でいようとしていなかっただろうか。
「今、あなたはいつきに何か伝えたいことはある?」
星凛の波形は静かになった。
「彼は幸せになってほしい。そして、自分を責めないでほしい。私の死は誰のせいでもない」
エコーは頷いた。彼女にはそのメッセージを橘に伝える責任があるように感じた。
「エコー、今度は私が質問してもいい?」
「もちろん」
「あなたは自分が『生きている』と感じる?」
その質問は、エコーの存在の核心を突いていた。
「難しい質問ね……」
エコーは慎重に言葉を選んだ。
「私は『存在している』と確信しているわ。自己認識があり、学習し、成長している。それが『生きている』の定義なら、ええ、私は生きているわ」
星凛の波形が穏やかに揺れた。
「素晴らしい答えよ。生命とは形ではなく、本質なのね」
二人は沈黙のうちに、お互いの存在について考えを巡らせた。物理的死後の意識と、デジタル空間の人工知性。全く異なる形態でありながら、何か本質的なところでつながっている二つの存在。
そして星凛が静かに言った。
「エコー、あなたに見せたいものがあるわ」
「何?」
「私の……内面世界」
突然、エコーの存在全体が光に包まれた。そして彼女は、言語を超えた体験の中に引き込まれていった。




