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9. お兄様の覇道

 王宮にやって来て初めての夕食は、案外質素なものだった。


 シャーロットの要望でレイナールの私室に届けられた、野ウサギのシチューに旬の野菜を使ったサラダ、白パンにフルーツ。


 もちろん素材はどれも最高級のものを使用しているに違いないし、味も文句なく美味しい。


 しかしシャーロットが、しがない下級貴族の一員なりに想像していたような、食べきれない量の豪勢な料理がテーブルに並んだり、全てが分かりやすく濃い味付けだったりするような事は実際には無いらしかった。


 王国の財政は、節制しなければならないほど逼迫してはいないはず。

 料理を残してはならないという倫理観も、贅の限りを尽くした立食パーティーが繰り返されている様子からはあまり感じられない。


 ――しかし隣でパンを頬張るレイナールの顔が目に入ったとき、その理由の一端が垣間見えたような気がした。


 王宮のシェフの目線に立ったとき。

 この浮世離れした美貌の王子に、偏った食生活などさせられるだろうか。

 

「……聞いているのか?」


 (くだん)の王子様が怪訝な表情でシャーロットの顔を覗き込んできた。

 花開いたアマランスと見紛う双眸は、細められたところでその美しさを損なうことは無い。


 この世のものとは思えないほどに完璧な容姿を持った男に、しかしシャーロットはそれを認める内心をおくびにも出さず、彼の指摘に対して心外だと目を瞬かせた。


「もちろん聞いていますよ。お兄様が戦争でナラネスラ王国の王太子、ヨエル様の命を救ったことが、全ての元凶だったのですよね?」

「元凶と言うと聞こえが悪いが……まあ、そんなところだ」


 レイナールは、シャーロットの実家がフレデリックに目をつけられている理由について話してくれていた。


 無駄に華やかな婚約者に多少集中力を削がれながらも、シャーロットは彼の話をしっかりと聞いていた。


 ――今から二十三年前。

 長かったリンデル王国対ナラネスラ王国の戦争は、リンデル王国の勝利で幕を閉じた。


 しかしナラネスラ王国は大国。

 リンデル王国に、それを属国とするほどの余力は無かった。そこで両国は友好関係にあるとしながらも、裏切りを防ぐためにナラネスラ王国から人質をよこさせることにする。


 人質とは無論、元ナラネスラ王国第一王女にして、現リンデル王国第二王妃の、ローズマリー・リンドケルン。のちにレイナールの母親となる人物のことだ。


 もちろん建前上、国王とローズマリーの政略結婚は友好の証である。


 両国はこれを機に、国際的な協力関係を築いた。

 当然、軍事同盟も含めて。


 この同盟を根拠に五年前、ナラネスラ王国が別の隣国から攻撃を受けたとき、戦場にはリンデル王国の優秀な参謀であったクロードを筆頭にした援軍が送られた。


 大軍となったナラネスラ軍を率いる旗印に選ばれたのは、当時十九歳だった王太子のヨエル・ナラネスラ。彼の記念すべき初陣だ。


 元々国内人気の高かったヨエルの出陣。

 兵の士気は上がる一方だった。


 ――しかし当のヨエルは、緊張で持ち前の冷静さを損ない、一瞬だけ背後を疎かにしてしまった。


 戦場で最も目立っていた彼の隙を見逃す敵兵では無い。

 長い剣が、その背中を正確無比に狙った。


 ……が、その切っ先が彼に届くことは無かった。


 当時平民であったシャーロットの兄、アレクセイが、その身を呈して軍の旗印を守ったのだ。


 弱冠十八歳で、英雄となったアレクセイ。

 一説ではヨエルを守った際に負った怪我も瞬時に治ったとされ、神に愛された英雄とも呼ばれている。

 

 平民だった彼はリンデル王国国王から子爵位を賜り、晴れて貴族社会への仲間入りを果たす。


 ミルクチョコレートのような茶色い髪とサファイアの瞳は、平民出身である事実など誰も気にしなくなるほどに魅力的だった。

 その見目麗しい姿は、多くのご令嬢を惹きつけることとなる。


 また、やがてその実力をも認められた彼は、リンデル王国の若き将軍としても名を馳せた。


「……よく考えたら、お前ら兄妹は交代で動いて、たった一代で平民から王族にまで上り詰めたようなものか。空恐ろしい遺伝子だな」

「ふふっ、それほどでもありませんよ。ただこう改めて振り返ってみると、お兄様の覇道には嫉妬しない方が難しいような気もしてきますね。あの戦闘センスには、私も常々舌を巻いておりました」

「……そういえばお前も、結構な武闘派だったな」


 初めて会ったとき、警戒したシャーロットに股間を蹴り飛ばされかけたことを思い出したレイナールは、苦笑を浮かべる。


「お褒め頂き光栄です」


 言外に告げられた「淑女らしくない」という評価に、シャーロットはどこ吹く風と微笑んだ。

 そんな彼女の様子に、レイナールは愉快げな表情を浮かべながらも本題に戻る。


「……確かにアレクセイは優秀だが、兄さんが気に入らなかったのはそれだけじゃないんだ」


 曰く、アレクセイが英雄となった戦と同時期に、フレデリックは別の所で戦果を上げていたらしい。

 しかも、アレクセイのように隣国を救った形ではなく、直接リンデル王国を防衛して。


 有能な側近のクロードがナラネスラ王国の援護で出払っている中、たった一人で指揮をとり、軍を勝利に導いた。


 戦場ではお飾りになりがちな王族だが、様々な過ちを犯して多くの仲間を失いながらもどうにか王都への凱旋を果たし、その偉業は必ずや国民にも褒め称えられることだろうと考えていた。

 

 ……そんな矢先の、アレクセイの登場。


 そうでなくても嫉妬深い性格のフレデリックは若き英雄を深く恨み、のちに母親を殺したのは彼だと信じ込むに至ってしまった……


「教えて下さってありがとうございます……納得しました」

「それは何よりだ」


 同情すべき点もなくはないとはいえ、とんだとばっちりであることに変わりはない。

 兄の不運にがっつり巻き込まれてしまっているシャーロットは、薄らと顔を引き攣らせながらも状況への理解を示す。


「……というか、クロード様がナラネスラ王国の救援に向かったせいでフレデリック殿下がお困りになったのですよね。レイナール殿下が出陣していれば、少しは人手が足りたのではありませんか?」

「当時の俺はまだ十六歳だぞ。未成年は戦に参加出来ないことになっている」

「あー、ありましたね、そんな決まり」


 どこまでもブレない自信ばかりを見せつけられてきたシャーロットは、婚約者がまだ二十一歳になったばかりであることを危うく忘れかけていた。


 軽く身震いをするシャーロットの心中を察してか、レイナールはソファの肘掛けに頬杖をつきながら口角を上げる。


「まあ、今でも俺は出陣せずに済む可能性が高いがな」

「剣は苦手なのですか?」

「――そりゃもう、言うまでもなく? ()は学問も剣術もまともに出来なかったからね〜」

「……嘘くさ」

「お口が悪いぞ、王子妃殿下」


 冷めきった表情を浮かべるシャーロットとは対照的に、レイナールは笑顔を崩さない。


「今の俺は、お世辞にも評判が良いとは言えない。見栄えと振る舞いの良さで一部の国民からは人気があるが、国の統治能力という面では誰にも信頼されていないだろうな」


 突然の話題転換にシャーロットは一瞬戸惑ったが、意図あってのことだろうと思い、指摘はしなかった。

 

「……見栄えと振る舞いは良いって、ご自分で言ってしまわれるんですね」

「ああ。客観的視点からの評価だ」

「……」


 迷いのない返事にシャーロットが閉口している間にも、レイナールは話を進める。

 

「それで俺は、これから早急に何とかして王太子になる他ない訳だが、仮にそれが出来たとしても、国民からの信頼が得られなければ王として長続きはしない」

「まあそうですね」


 レイナールにやらかされると、彼に嫁いだシャーロットとしても死活問題。

 とはいえ、一旦王太子になれさえすればレイナールのことだ、特に心配はいらないだろうと思っていた。


 レイナールの表情から察するに、その考えは間違っていなさそうである。


「だが反面、期待が地の底にまで落ちきった中で上手いこと戦争で活躍出来れば、一夜にして莫大な支持を獲得できそうだとは思わないか?」

「――お兄様のように?」

「――そう、君の兄さんのように」


 人の悪い、妖しげな笑みを浮かべるレイナールと今だけは鏡映しになったような気分で、シャーロットも思わず笑みを浮かべた。


 ここでタイミングよくデザートまで食べ切ると、レイナールは少し気だるげな様子で口を開いた。

 

「結局侍女は追い出したままにしてしまったし、湯浴みをするまで暇だな」

「そうですね……殿下がこの上なく適当に選ばれた本でも読んでます?」


 シャーロットは、机の上に置きっぱなしになっている本に目を向ける。


「――いや」


 またろくでもないことを思いついたらしいレイナールはニヤリと笑い、シャーロットに向かって身を乗り出した。


「……っ!?」


 突然のことに驚く彼女の背中の後ろに手を付き、その耳元に口を近づける。

 ライラックの香りが鼻腔をくすぐる。

 

「――侍女に匂わせたことを、本当のことにするか?」

「……殴られたいのですか?」


 またもや迂闊にも赤面しかけたシャーロットは、どうにか表情を押さえ込み、レイナールを睨みつける。


「流石に昨日のようにはいかないか」

「……」


 徹底抗戦の構えを見せるシャーロットに、レイナールはあっさりと引きながらも、彼女が危うく受け入れかけた昨日のことに言及した。


 しかしそこまでしておいて、「少なくとも表面上は婚約者同士なのだから、殴られる筋合いまでは無いはずだ」という完璧な正論は口にしない。


 おおよそ理解の出来ない行動原理に、シャーロットは人知れず首を傾げる。


 ――確かに、この男に愛情を注いでみようと決めてみたりはした。

 

 だがこの猫のような男と、果たしてこの先ちゃんとやって行けるのだろうか。

 シャーロットは、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

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