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8. やっぱり君は侮れない

 レイナールの私室はその主人の完璧主義らしい性格に違わず、全く汚れていなかった。

 というか、ほぼ何も置かれていなかった。


 唯一目につくのは互いに向き合わせるようにしておかれた、二つの二人がけのソファ。

 王子の私室のソファにそこまでの収容人数が必要になる場面があるのかは、非常に疑わしい。多分レイナールもそう思っているので、これは備え付けのようなものなのだろう。


 そして最奥には王族の直系という立場に見合う大きなベッドにサイドテーブルがあり、その隣には木製の大型クローゼットがある。

 

 部屋の内容物は、以上だ。


 本と書類に塗れた書斎の方がまだ、華やかだったと言えよう。


 共にこの部屋にやってきたレイナールとシャーロットは、当然ながら侍女に匂わせたようなことはしていなかった。

 が、だからといって図書室から持ってきた本を仲良く読んでいた訳でもない。


 彼らは現在、並んでソファに腰掛けている。

 

 ――向かい合わせではなく隣に座ってしまったのは、後から座ったシャーロットのミスだ。

 図書室でそのようにしていたので、無意識にここでも同じようにしてしまった。


 ……座った瞬間にレイナールが一瞬だけ浮かべた、あの怪訝な表情。

 思い出すだけでいたたまれない気持ちになるので、思い出さないようにする。


 そんな複雑なシャーロットの心中は露知らず、レイナールは口を開いた。


「……嫉妬だ」

「嫉妬?」


 先程のフレデリックたちとの会話において、シャーロットが何か引っかかっている様子だと気づいたらしいレイナールは、侍女に席を外させた上で話を聞いてくれていた。


 侍女に対するアリバイの作り方の大胆さについてはシャーロットも一言二言いいたかったが、好意でやってくれたことではあるので、とりあえずは飲み込むことにした。


 フレデリックの、シャーロットに対する態度が意外にも穏やかだったことについて話すと、レイナールは嫉妬という、少々抽象的な言葉を発した。


「兄さんが人に当たるのは、ほぼ例外なく嫉妬からなんだ」

「あー。そういえばフレデリック殿下はとても嫉妬深い方なのだと、初めてお会いした際にも仰っていましたね」


 あの時は女性関係に限った話をしているのだと思っていたが、どうやらそれ以外のことにも言えるらしい。

 

「そういうことだ。シャーロットは確かにミロスラーヴァ義母上を殺した疑いをかけられている男の妹だが、そこに兄さんが嫉妬する要素はないだろう?」

「……えっと、それはつまり……殿下はご自分が、フレデリック殿下に嫉妬される存在だとお考えで?」


 レイナールの不遜とも言える考えに引いたシャーロットは、その笑みを少し引き攣らせる。


「あのなぁ……」

 

 一方でそんな彼女の様子に不満を覚えたらしいレイナールは、目を細めながら彼女の額を指で軽く弾いた。


「――いたっ」

「言っておくが俺は十歳のときには、『レーゼ』の認定が二つとも通ってるからな?」

「……えっ…………え!?」


 突然の暴露に、シャーロットは思わず自らの額を撫でる指を止める。


「レーゼ」とは個人の教養の程度を示す資格のようなもの。

 基本的には将軍や大臣など、高度な知識とその応用力を要する職業に就きたい人間が、自らの能力が十分な水準に達していることを証明するために使われている。


 政治や軍事を主に扱う「エスト・レーゼ」と、歴史や経済を主に扱う「ツヴァイト・レーゼ」。この二種類の試験は国家が運営しているもので、非常に権威あるものとされている。


 また最近は教養を誇示するためのものとして、高位の貴族たちの間で「レーゼ」の簡易版である「プリレーゼ」の認定を得るのが流行っていたりもする。


 特に、淑女に求められるのは領地経営に役立つ「ツヴァイト・プリレーゼ」。シャーロットもサールグレン公爵家で家庭教師として雇ってもらうにあたって、十六歳のときにどうにか認定を取得したものだ。


 シャーロットでさえ、認定者としてはかなり若い部類に入っていたはず。

 十歳の時点で「プリレーゼ」ではなく「レーゼ」が、しかも二つ揃っていたとなれば……


「……化け物?」

「人外扱いは不本意だが、俺の神童っぷりがしっかりと身に染みたなら大いに結構だ」

「っ……」


 婚約者の生意気な笑みが非常に気に障ったシャーロットは、朗らかな笑顔を顔に貼り付けたまま、どう返してやろうかと思案する。

 ……が、その途中で別のことが気になってしまった。


 貴族たちが、趣味で受ける試験を「プリレーゼ」に留めているのは、もちろん「レーゼ」の難易度があまりにも高すぎるというのもあるが、それ以前にそこまでの知識は彼らにとって、全く必要ないからなのだ。

 

 名誉のためだけに得るには、到底割に合わない労力を要する認定なのである。


 そのような知識を実際に必要とするのは、それを仕事で使うほんの一部の専門家だけ。どれだけ「ほんの一部」かというと、国を治める国王にすら求められない。


 無論、レイナールにも本来必要ないはずの資格だ。


 膨大な知識量を求められる試験は、たとえ天才でも対策なしでは通らない。

 それを子供の頃に得たとなれば、それは確実に、計り知れない努力の賜物だ。


 幼少期のレイナールが「レーゼ」にそこまで執着したのは……それさえあれば国王である父親も、父親の金髪翠眼を受け継がなかった自分のことを、少しは見てくれるかもしれないと思ったりしたからだろうか……?


「シャーロット……?」


 突然黙り込んだのを不思議に思ってか、レイナールが問うように彼女の名前を呼んだ。


「……へ? あー、えっと……」


 シャーロットは目頭を軽く擦ってから、わざと人の悪い笑みを浮かべてみせた。


「――愛していますよ、殿下?」

「ここまで浅い愛の言葉を、俺は未だかつて聞いたことがない」


 今朝、シャーロットがレイナールに処理済みの書類を見せに言った時の彼の言葉をなぞると、レイナールもまたその時の彼女の言葉を綺麗になぞった。


 レイナールがシャーロットの想定より遥かに優秀であったことが発覚した瞬間に発した言葉。

 これに対してレイナールは暗に、彼女の態度を現金なものだとコメントしている。


 ……そう思われていてもいいと、シャーロットは思った。


 シャーロットは十六歳にして実家の汚名を晴らすために家を飛び出して以降、二年間一度も帰らないままにレイナールの元に嫁いでしまった。

 もう、両親や兄と頻繁に会う生活は帰ってこない。


 もっともそれ自体は特に、悲観すべきことではない。

 シャーロットとて一端の貴族の娘、元々恋愛結婚が出来るような立場には無かった。


 だが一方で、これまで家族に向けられていたシャーロットの愛情が行き場を失ったのも事実。


 ……どうせ余った愛情なら、どうせこれからずっと一緒にいることになる目の前の男に、少しくらいは注いでみても良いかもしれない。


 そうしたら例え恋愛感情までは芽生えなくとも、確かな繋がりが出来たりするかもしれない。


「……殿下。そろそろ夕食のお時間になりますが、今日はお料理を持ってきてもらって、ここで一緒に食べませんか?」

「仲良しアピールか? 確かに悪くないアイデア――」

「違います。二人きりなら教えてくださると思っただけです。()()()()フレデリック殿下に嫉妬されている、詳細な理由を」


 嘘では無い。

 全てを言っていないだけ。

 少々面食らった様子のレイナールに、シャーロットはにこりとはにかむ。


 フレデリックは四年前、シャーロットの兄アレクセイが第一王妃を殺したものとして、マーセル子爵家にて大暴れをした。


 だがレイナールによると、フレデリックは基本的に、嫉妬によってしか大暴れをしないらしい。


 シャーロットには強く当たる様子がないところからも、これは明らか。

 にも関わらず彼は、マーセル子爵家に対する理不尽な追及を、当時より幾分か冷静になったはずの今でも撤回していない。


 つまりマーセル子爵家には、フレデリックの嫉妬を煽る何かがあるのだ。

 そしてそれを持っているとすれば、ほぼ隠居したような状態の父親ではなく、今も騎士として前線で活躍している兄の方。


 レイナールは、シャーロットが彼と話しながらもそこまで考えていたのだと知り、愉快そうに笑った。

 

「やっぱり君は侮れないな」

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