7. 兄弟間の確執
婚約者と凄まじく幼稚な攻防を繰り広げているところを、あろうことか天敵に目撃されてしまった。
実に冷めきった顔のフレデリックに、この状況の全てに微塵の興味も抱いていなさそうなその側近、クロード。
二人を前にシャーロットは、羞恥を通り越して震え上がる思いだった。
フレデリックの表情を固唾を飲んで見守るシャーロットだったが、第一王子は意外にもあっさりと彼女から視線を外し、奥に座っている弟を見据える。
「こんな顔が良いだけの女の安い誘惑に引っかかるとは、お前も落ちたものだな、レイナール」
「そういう言い方をされると辛いなぁ……王位も継げなそうな僕の結婚相手なんて、誰でもいいかと思ったんだけど」
レイナールは控えめな苦笑を浮かべながら、その実シャーロットにとんでもなく失礼な返しをした。
まあ彼が、協力してくれる人なら「誰でもいい」と思っていたのは多分事実で、そのことはシャーロットも承知の上で婚約していて、かつ元々シャーロットもそのような考えでクロードとの接触を試みた過去があるのだから、文句は言えない。
……彼女は二人の兄弟の会話に口を挟まぬまま、なるべく気配を消すようにして、目の前の虚空を見つめていることにした。
「それでも、王族としての威厳は保つ必要があるだろう」
「確かにね。国民の前では気をつけることにするよ」
暗に、誰も見ていない図書室では何をしていようと良いではないかと主張したレイナールに、フレデリックは眉をひそめる。
しかしその一方で、シャーロットはレイナールの対応に違和感を覚えていた。返しがあまりにも……弱いのだ。
「安い誘惑に引っかかった」とまで言われているのだから、ここは「アンナと即日婚約したフレデリックの方はどうなのか」とか「フレデリックはシャーロットと出会ったばかりのはずなのに、『顔が良いだけの女』だと知っているのはなぜなのか、実家を脅しにでも行ったことがあるのか」とか、いくらでも強い反駁が出来たはず。
レイナールがその程度のことに気づいていないはずもないので、やはり兄を刺激しないようかなり気を遣っているということ。
……レイナールはその、シャーロットに言わせれば横暴な性格とは裏腹に、苦労の絶えない人らしい。
「それで兄さん、なんの用事?」
不毛な話は終わりとばかりに、レイナールが本題に入ろうとした。
フレデリックとしても忌々しい弟と長話をするつもりはないのか、あっさりと切り替えて口を開く。
「一昨日届いた、エメラルドのネックレスはどこへやった」
「あー、それなら二番目の棚の左側にあるはずだよ」
レイナールの即答を聞いたシャーロットは、なぜかついさっきの記憶を刺激されるような感覚を覚えた。
そこで思い出す。
エメラルドと言えば、シャーロットが片付けた書類にエメラルドの産出量に関する報告資料があったのだ。
確かあれは、資料室の二番目の棚の左側に置いた。
……この二人は、執務の手柄を不自然なくフレデリックに集中させるため、隠語まで使っているのか。
仲の悪い兄弟の、無駄に洗練された連携に、シャーロットは感心半分、呆れ半分こ思いを抱く。
「――それでお前は、なんのつもりだ」
物思いに耽っていたシャーロットは、フレデリックから話を振られたことに一瞬気づかなかった。
慌ててフレデリックの方に向き直ると、第一王子は怪訝な面持ちでこちらを見ていた。
そういえばフレデリックにとっても、シャーロットは天敵と言って差し支えない。突然レイナールと婚約したことを不気味に思っているのは当然だ。
シャーロットは即座に笑顔を作り、口を開く。
「なんのつもりも何もありませんよ、フレデリック殿下。顔の良い殿方との結婚は全乙女の夢ですから、叶える他ないと思っただけです」
レイナールが顔だけでシャーロットを選んだと言うのなら、シャーロットがそれと同じことをしていてもおかしくはないということになる。
自らの発言で自らの首を絞めた形となったフレデリックは、悔しげにシャーロットを睨みつけた。
無言で踵を返そうとするフレデリックに、しかしシャーロットは待ったをかける。
「――クロード様」
彼女が呼び止めたのはフレデリックではなく、その側近として付いてきていたクロード。なんだかんだ、パーティーで腹の探り合いをして以来の対面だ。
名前を呼ばれたことを意外に思ったのか、クロードはフレデリックと共に歩を止めて振り返り、メガネの奥で目をしばたたかせた。
「あなたの『提案』についてのお話ですか?」
クロードが口を開く。
シャーロットがフレデリックとアンナの後をつける前に言いかけたことを、しっかりと覚えてくれていたらしい。
あの時シャーロットは、彼に契約結婚を持ちかけようと画策していた。が、今となってはもう採用できる計画ではない……レイナールのせいで。
「……いえ。その話はもう大丈夫です。それより、クロード様はフレデリック殿下の非常に忠実な臣下だと耳にしまして。それについて少しお話を聞いてみたいと思ったのですよ」
あくまで世間話がしたいだけなのだとアピールするように、シャーロットは穏やかな笑みを心がけた。
無論、その程度の雰囲気作りでクロードが警戒を解くことはないのだが、さすがに無視する訳にもいかなくなったのか、彼は口を開く。
「……六年前の、対ナラネスラ王国戦でフレデリック殿下に命を救われたので。少しでもその恩返しが出来たらと考えているだけです」
有名な話だ。
巷でもフレデリックとクロードの、身分を超えた相棒関係を象徴する美談とされている。なんならこの話が、フレデリックの国民人気に拍車をかけている部分すらある。
シャーロットが聞きたいのは、この話の詳細だ。
「当時クロード様は平民でありながら戦争に巻き込まれ、重傷を負われていたのですよね。軍の旗印であったフレデリック殿下は味方の兵士に囲まれていたはずですが、どのようにしてご本人の元にたどり着かれたのです?」
「……私が殿下の元に向かったのではなく、殿下が私を見つけてくださったのですよ」
クロードの冷静な返しに、さすがに引っかからないかとシャーロットは舌を巻く。
実はシャーロットは、クロードがフレデリックに助けられたのは偶然ではないのではないかと考えている。
……具体的には、クロードが国政に関わりたいがために、なんとかフレデリックに近づこうと重傷を自演したのではないかとさえ疑っている。
たまたまフレデリックに命を助けられて、たまたま気に入られて側近に選ばれたにしては、クロードは優秀すぎるのだ。
もっとも憶測に過ぎない話ではあるので、シャーロットはクロードにカマをかけてみただけ。
困っているところをフレデリックが偶然に見つけてくれたのでなく、クロードが自らフレデリックの元へ見つけてもらいにいったのだという言質が取れないかと期待しただけだ。
そこまで上手くは行かなかったが、シャーロットがクロードを疑っていることが本人に伝わっただけでも、上々といえる。
揺さぶりをかけておくことで、少しは寝返らせやすくなるはずだ。
もちろんレイナールの計画通りに、シャーロットがナラネスラ王国でフレデリックの不正を見つけられれば一番手っ取り早い。
しかし、そんなものはない可能性だって十二分にある。
他の手もできる限り打っておいて損はないと、シャーロットは考えていた。
隣のレイナールも同じようなことに思い至ったのか、シャーロットの行動を評価するように、彼女にしか分からない程度に口角を上げる。
優秀な彼に認められたような気がして、少し心が浮つく。
すると今度はその事実が癪に触って、シャーロットはレイナールからさっと目を逸らした。
フレデリックとクロードが出ていき、図書室は嵐が過ぎたかのように静かになる。
「はぁ、ようやく平和が訪れた」
シャーロットに目を逸らされたことなど全く意に介さず、清々しく息をつくレイナール。
そんな彼の様子に、シャーロットはこれ以上彼について考えないようにするため、改めてフレデリックの挙動を振り返る。
フレデリックはレイナールの言っていた通り、弟へのあたりが強かった。
まあ嘘をつかれていると思っていた訳でもないので、これについては残念ながら想定内だ。
一方で少し気になったのは、自分への対応。
笑顔こそ向けられてはいないが、それでも肩透かしだったといえる程には穏やかなものだった。
フレデリックにとっては実の母親を殺した男の妹。荒い扱いを受けても仕方がないと思っていたが、なぜか弟のレイナールの方が断然憎いらしい。
……それか、先程の様子を見て早速、シャーロットをレイナールから略奪する気になったのだろうか。
ゆっくりと好感度をあげようとするなど、あの直情的な王子にしては計画的すぎるような気もするが……
「……シャーロット?」
「殿下……?」
レイナールの問いかけるような呼びかけに、シャーロットは自らの思考の渦から抜け出し、婚約者を見つめ返した。
美しい紫色の虹彩に、シャーロットの思考が全て見通されているかのような錯覚を覚える。
思わず息を飲むと、レイナールは何を思ったか視線を外してソファから立ち上がり、先程まで読んでいた妖精姫アイリーンの絵本を本棚に戻した。
次に別の本を三冊ほど取り出すと、初めからずっと付き添ってくれていた侍女に向き直る。
「今からシャーロットと一緒に僕の私室に戻って本を読んでくる。悪いけど、夕食時まで席を外して貰えるかな?」
「え、えっと……?」
侍女は一瞬、不思議そうに首を傾げる。
侍女とは基本、常に主人の元に控えているもの。例外となるのは主人が書斎など、侍女には見せられない重要書類がある場所へ行くときだけだ。
つまり主人が婚約者等の異性と過ごす場合にも侍女はついていなければならず、その証拠に彼女はついさっきまで、図書室で仲睦まじい二人の様子を見ていなければならない憂き目にあっていたところだ。
――しかしそこで、侍女はもう一つの例外に思い至る。
夜だ。
侍女とて人間、夜は眠らなければならないので、その時間は主人に付き添っていない。
……そして、男女が普通その時間に行うことを今するというならば、侍女に席を外させる他ない。
侍女はぶわりと頬を赤らめ、後ずさるようにして図書室を出た。
……すぐそこで主人に対し、桃髪の少女が浮かべた呆れ顔には気づかずに。