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5. 二人の王妃

 レイナールは、本当に何もしなかった。

 なんなら、シャーロットが起きたときにはもう部屋にすらいなかった。


 もちろんそういう約束だったし、別にそれを違えるような人だとも思ってはいなかった。しかしいざ本当に何もされないと、それはそれで何となく釈然としない。


 首を傾げながらも軽く着替えを済ませたところで、部屋にノックがかかった。

 返事をすると、レイナールとお仕着せを着た少女の二人が入ってくる。


「おはよう、シャーロット!」

「おは……んぐっ!」


 レイナールは、シャーロットと目が合うなり心底嬉しそうに彼女に抱きつく。

 

 ……一方でシャーロットは、婚約者の演技の完璧っぷりに感嘆する余裕も無かった。


 実は彼女は、異性に抱きつかれた経験がろくにない。

 というか、触れられたこと自体ほとんどない。

 緊張と羞恥心で、頬がぶわりと熱くなった。


 昨日簡単に計画に乗ってしまったことを悔やみかけたところで、しかし、これこそが求められた反応だったのだと思い至る。


 シャーロットは気恥ずかしさをどうにか抑え込み、意図的にその瞳を潤ませてレイナールの顔を見上げ、ふわりとはにかむ。


「おはようございます。殿下がお目覚めになったときに、一緒に起こしてくださって良かったのに」

「シャーロットは好きなだけ寝ていて良いんだよ。それに寝顔があまりにも可愛くて、どっちにしろ僕には起こせなかったよ」

「っ、もう……」


 茶番がもう二十秒ほど続いたところで、侍女が真っ赤な顔をして部屋を出て行ってしまった。

 職務放棄である。

 彼女はレイナールの狙い通り、使用人たちの間の噂の種となってくれる事だろう……


 人目が無くなると、シャーロットはそっと無言で婚約者から一歩離れた。


 状況に慣れてきて、臆面もなく甘ったるい言葉を吐き続けられる目の前の男に対する恐怖心が、照れを上回りつつあったのだ。


 一方で(くだん)の男はシャーロットの内心など露知らず、彼女の()()に純粋に感心した様子だった。


「猫をかぶるのも、そこまで来ると技術だな」

「あなたにだけは言われたくないです」

「まあそうか。昨日はちゃんと眠れたか?」

「お陰様でぐっすりと」

「……図太いな、お前」

「あなたにだけは言われたくないです」


 会話とも言えない会話を少しだけすると、レイナールは早々にシャーロットの私室を出ようとドアノブに手をかけた。


「俺は執務で夕方まで忙しいが、シャーロットは好きに過ごしていてくれ。食事の時間になったら、使用人に声をかけさせる」

「……執務? でも噂では、書類関係の仕事は苦手だからフレデリック殿下に肩代わりしてもらっている……訳、ないですね」

「当然だろ」


 レイナールの「裏の顔」を知ってしまったシャーロットは、疑問を口にしたそばから首を振る。

 こんな、見るからに頭の切れる男が事務仕事ごときに苦戦するはずがない。


「……ですが、実際は執務に携わられているのに、なぜこのような噂が流れているのです?」

「そりゃあ俺と兄さんが協力して、全てが兄さんの手柄であるように見せかけているからだ」

「……署名だけは全て、フレデリック殿下が行われているということでしょうか」

「察しがいいな」

「あの……そんなことをして、殿下に得はあるのですか?」


 聞くとレイナールは、とても良い笑みを浮かべた。

 

「――執務で俺が()()()()ミスをしてしまっても、兄さんに責任を押し付けられるだろう?」

「……」


 そんな彼の口ぶりに、いつかわざと間違えるつもりなのだと、シャーロットは確信した。


「なんだ、文句でもあるのか?」

「ありませんけど。……本当に、手段を選ばないおつもりなのですね」

「……納得の行ってなさそうな顔だな」


 鋭いレイナールの指摘に、図星をつかれたシャーロットは思わず目を逸らしながらも、本当に彼のやり方に文句がある訳では無いのだと弁解する。

 

「いえ。その……失礼ながら私は、殿下はご自身の名誉のために王位を狙われているのだと思っていたのです。しかしそう考えると、執務における手柄を全てフレデリック殿下に取られることを容認されるのが、少し不自然に感じられて……」


 シャーロットの言葉に、レイナールは軽く目を見開いた。


 ――彼女は、レイナールがどのような手段を取るかではなく、どのような目的を持っているのかに注目していたのだ。

 彼女にとって重要なのは、レイナールが協力、信頼するに足る人物かどうかだけ……


 冷たいと言えば冷たい性質だが、その分冷静で芯が通っているといえる。

 レイナールは密かに少し、婚約者を見直した。


「……そういえば君を脅して説得するばかりで、俺の話をしていなかったな」

「脅している自覚がおありなら、辞めて頂けると幸いなのですが」


 シャーロットの、諦め半分の訴えをこれまた笑顔で聞き流したレイナールは、彼女の求める答えを話し始める。

 

「フレデリック兄上の母親である第一王妃のミロスラーヴァ義母上は、政略結婚だったにも関わらず国王に溺愛されていたことで有名だろう?」

「……ええ。お二人の馴れ初めが、演劇になっているくらいですよね」


 ある意味全ての元凶ともいえる故人の名前を出されて、シャーロットは話がどの方向に向かっているのか何となく察する。

 その表情は、真面目なものに変わった。


「一方で俺の母親である第二王妃は、隣国から差し出された人質のようなもの。父上は、ミロスラーヴァ義母上との愛の巣に邪魔が入ったような気分だっただろうなぁ」

「……っ」


 シャーロットは第二王妃の置かれた立場を想像し、息を飲んだ。

 

「……父上は多分、母上が嫉妬でミロスラーヴァ義母上を殺したんじゃないかと疑っている。

 ミロスラーヴァ義母上が亡くなってからというもの、母上に対する父上の態度は一層冷ややかなものとなってるんだ」

「……国王陛下は第二王妃殿下を疑っていて、フレデリック殿下は私の兄を疑っている形なのですね」


 実にややこしい状況らしいと知ったシャーロットは、思わずため息をつく。

 

「ああ。それで、兄さんが立太子してしまえば、俺を嫌っている兄上は俺に良いことはしないだろうし、その手は母上にも向かうかもしれない……そして、そうなっても父上は助けてはくれないだろう」

「……では殿下は、お母様のために……」

「まあ、単純に兄さんがムカつくのもあるがな」


 偽悪的な笑みを浮かべるレイナールに、どこまでが本心なのだろうと考えながら目を伏せると、視界に自らの桃色の髪が映りこんだ。


「ミロスラーヴァ様が国王陛下の寵愛を一身に受けられたことが、第二王妃殿下が冷遇される一因となっているのですよね……彼女と同じ髪色の私を婚約者にしてしまって、本当によろしかったのですか?」

「……」


 初めて見るシャーロットの不安げな表情に、自らの言葉をそういう風に受け取られるとは思っていなかったらしいレイナールは、一瞬だけ口を閉ざした。


「……俺は、人を見た目で判断するような人間にはなりたくない。俺自身、父親である国王の身体的特徴をあまり受け継がなかったせいで、兄さんほど愛されなかった部分があるからな。

 ……あとまあ、正直に言って相手を選り好み出来る状況になかった」


 最後に加えられた、レイナールの身も蓋もない物言いに、シャーロットはくすりと笑った。

 

「……それはまた正直ですね。確かに、どうしても殿下に国王になって貰わなければ困る人なんて、この国にほとんどいないですものね」

「痛いところをついてくるなぁ……まあとにかく、シャーロットの髪色のことなんて今の今まで全く気にしていなかったから、心配するな。

 それに俺は、別にミロスラーヴァ義母上を恨んでもいないぞ。彼女は外見も中身も美しい、国王の寵愛を受けるに値する人だったと思う」


 レイナールの評価に意外そうな顔をするシャーロットの髪が、指先で掬われる。むらの無い桃色の糸が、数本はらりと滑り落ちた。


「……っ」


 突然の仕草に、シャーロットは婚約者を見上げながら息を詰める。


「――君の髪も、とても魅力的だと思うよ」


 レイナールは髪に触れていた手をシャーロットの首元に添え、その前髪に軽く口付けた。

 びくりと肩を震わせたシャーロットは、反射的に一歩下がる。

 

「……そんなことをしても、今は見てくれる使用人がいませんよ」

「それが分かっているということは、その熟れたりんごのような頬は演技じゃないんだな?」

「……っ!」


 上機嫌に、からかうような笑みを浮かべるレイナール。

 シャーロットは悔しさに歯噛みした。

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