46. 贖罪の仕方
「――殿下。どういうおつもりですか」
ナイフで自らの首を刺そうとしたクロードの手を、フレデリックが必死の形相で掴んでいた。
クロードは彼の行動が一切理解できない様子で、その顔に困惑の色さえ浮かべながら長年の主を冷めた目で見つめる。
「……っ、死ぬな……」
絞り出すように言うフレデリックを、しかし黒髪の男は笑い飛ばした。
「ご冗談を。あなたの最愛の母を殺したのは私ですよ? ……ああ、あなた自身の手で終わらせたいですか? 私はそれでも一向に構いませんが」
「……っ、違う! 俺は、俺はただ……」
フレデリックは焦りに吞まれかけながらも言葉を探した。
が、なかなか出てこない。
彼は自分が何を思っているのか、何を言いたいのかも分からなくなっていた。
だってクロードが母を殺したのは事実だ。
それは簡単に許せることではない。
フレデリックは一度、犯人と疑ったアレクセイに一家皆殺しまで宣告しているほどだ。
「……そ、そうだ。まだアレクセイがいるだろう! 兄のあいつは、元々シャーロットより怪しいじゃないか。確かめずに終わっていいのか!?」
「っ、ちょっと……!?」
時間稼ぎのために兄を生贄にされかけ、シャーロットは思わず声を上げる。
身を乗り出そうとする彼女に、しかしレイナールが手を引いて待ったをかけた。
振り返った先に見た彼の凪いだ表情には、隠し切れないやりきれなさが滲んでいた。
シャーロットは息を飲み、動きを止める。
クロードはなおも興味なさげに、面倒だとさえ言いたげにため息をついた。
「……アレクセイ様についてはとうに確認済みですよ。――あの方がかつて戦場で負った重傷を治したのはヨエル殿下でもアレクセイ閣下ご本人でもなく、私なのですから」
「え……」
「あー、ですからフレデリック殿下を差し置いてアレクセイ閣下が英雄視されることになったことについても、その一端は私の責任だったことになりますね。いっそ笑えるほどに、私は殿下の気に障る行動しかしてきていないようです」
「……」
あまりの衝撃に黙り込むフレデリックに、話は終わったかとクロードが改めてナイフを引っ張る。
……しかし、より力の強いフレデリックに握りしめられたままのナイフは、びくともしなかった。
フレデリックは自らを奮い立たせようとするような、少し下手な笑みを浮かべた。
「……使ったんだな」
「はい?」
「お前が忌み嫌い根絶しようとしたその力を、お前は知り合いですらない、平民上がりの一兵士ごときのために使ったんだな?」
「……」
長年連れ添った仮初の主の言葉にクロードは、初めて虚を突かれた様子で目を瞬かせた。
「それは……アレクセイ様が、かの国に二人といない英雄の器でしたから」
「嘘だな。言っておくがなぁクロード、お前は強いんだよ。自分で思っているよりずっとな。……全てを守ろうと願って、それをある程度叶えてしまえるくらいには強い」
「全てを守ろうとなどとは考えていません。私はただ、癒す者としての役割を果たそうとしたまでです」
なおも強固な姿勢を示すクロードに、しかしフレデリックはこの一触即発の場にそぐわない、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「――バカ言うな。それならお前は、なぜ六年間も俺なんかを支え続けてきた?」
生き様の本質を問うその言葉に、クロードは目を伏せる。
「……あなたとあなたの母君を殺すためです」
「あ? 俺の側にいた理由を聞いてるんじゃねぇよ。知らないとは言わせないが、俺は相当短気なタチでな。お前がいなければ、今頃俺の評判はドン底を這ってるぞ。父上の贔屓でどうにか玉座を手に入れたところで、まともに国を回すことなんか願えもしなかっただろうな」
「……」
「そんな俺を、これまたバケモノみたいな弟を相手になんとか対等にやれる状態まで持っていってくれていたのはお前だ。楽だったとは言わせないぞ? ……お前は縁もゆかりもないリンデルの民草を思うその一心で、俺という暴走馬の手綱を握り続けたんだよ」
「……っ、私の……」
長年の主による自虐混じりの励ましに、クロードはついに顔を歪ませた。しかしその表情に宿ったのは安堵ではなく、絶望だった。
「――私の罪は。私の罪は、私が綺麗に死ぬことも許してはくれないのですか……っ! 到底贖いきれはしない人殺しの罪から、自己犠牲という綺麗事で逃げることすら許されないのですか……!?」
「当たり前だ。甘えんな」
冷たく言い放つフレデリックに、クロードは力無く頽れた。
「……分かりました。ではどうかあなた様のお心のままに、私に罰をお与えください」
差し出されたナイフを、しかしフレデリックは手の甲で跳ね除けた。
まったく話が通じないと、彼は呆れを露わにする。
「俺がお前に罰を? はっ、笑わせるな。俺に何の権利があってお前を裁けるんだ。俺だってお前と同じ穴の狢、人殺しだぞ?」
「……え」
「俺は剣を持って軍を従え、他国の人間を大勢殺した。しかもお前のように民を思ってではなく、自分が英雄になるためだ。お前なんかとは比較にならないくらいに、救いようがない」
「……それは」
クロードが反論しようと口を開いたが、それをフレデリックは遮った。
「――救いようがないから、俺たち王族は王となり国を治めるんだ。手にした英雄の名を巧く求心に利用して、自国民のささやかな幸せのために知恵を絞り、身を粉にして働くんだ。
それが王族の使命であり、王族なりの贖罪だ」
「っ……」
「だからお前も、死ぬ程度で許されると思うな。お前にはお前なりの贖罪の仕方があるだろう」
「そんなものは……」
迷子の子供のような、辿るべき道を失った目をするクロードの、胸ぐらをフレデリックは掴んだ。
「――これから一生この世界を放浪し続けて、傷ついた者を一人残らず癒して回るんだよ! 殺した以上を救ってみせろ! それが、お前なんかにできる唯一の償いだ!」
「……そんなのはただの綺麗事です」
「お前はそう思っても、俺はそう思わない。だから、これから俺はお前を地獄の果てまで追いかけて、無理やりにでも責任を果たさせる。
一度は俺を主と仰いだんだから、最後まで俺の我儘に付き合ってもらうぞ」
「え……」
にわかには信じられない宣言に、クロードのみならずその場の全員が目を見開いた。
皆の困惑を代表して口を開いたのは、未だフレデリックと正面から相対するクロードだった。
「……あなたには、王族の責務が……」
最大の懸念を言葉にされるとフレデリックは、ちらりとレイナールの方を見た。
「そんなものは俺の頼れる弟に全部押し付ける。……あー、そうすると俺は俺の罪を償うことから逃げることになるか。どうするクロード、この場で1番罪深い俺を刺すか?」
「…………さすがに卑怯では?」
「生憎だが、それが俺の人生のテーマだ」
歯を見せて笑うフレデリックに、クロードは観念したようなナイフを放した。
銀の刃物が床に落ちる、鈍い音が響いた瞬間。
――飾り棚の後ろから、思いがけない人影が躍り出た。
皆が息を飲む中、勝ち気な赤い瞳をした女がその形の良い眉を、実に不満げに顰める。
今の今まで身を潜めて成り行きを見守っていた彼女――アンナは、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「はぁ、ずっと弟にご執心かと思えば、今度は側近? 実は男色なの? いくら顔がいいからって、実の弟は辞めておいた方がいいんじゃないかしら」
「あ、アンナ!? こんなところで何してるんだ!?」
狼狽を隠せないフレデリックに、アンナはやれやれと、再度ため息をつく。
「あなたがバカなことをしないか見張っていただけよ、フレディ。まったくもう、案の定だったわ。私がいないとすぐこれよ。どうせシャーロットにも手を出してるんでしょう?」
「……っ、なぜ、それを……」
「勘よ。というか本当だったのね。見下げ果てたわ」
「うっ……」
フレデリックが呻く中、レイナールも顔を引き攣らせてシャーロットの方を見る。
シャーロットはさっと目を逸らした。
……そういえばここに来る時の馬車の中で、そんなことがあった。色々あってすっかり忘れていた。
シャーロットから満足のいく反応が得られなかったレイナールは、今度は兄の方へ目線を向けて薄い笑みを浮かべる。
地面に放られたままのナイフを拾い、それを器用にも指先でくるりと一回転させる。
「――兄さん。やっぱりクロードの代わりに、俺が刺してあげようか?」
「いっ!? ちょ、ちょっと、いったん落ち着け! 悪かったから! あれは未遂だ、何なら返り討ちに一発くらった! 流石はお前の女、綺麗に鳩尾を狙ってくれた!」
「……ふぅん」
兄による必死の言い訳の甲斐あってか、レイナールは渋々と凶器を下ろす。
そして、爆弾を落としてくれた張本人の方を見た。
「なぜこのタイミングで出てくることにしたんだ」
静かな問いに、アンナは揺らがない瞳を微笑に細めた。
「――もちろん、愛しの旦那様についていくためよ」