41. 次世代のために
呼び出されたハロルドは、レイナールを一目見てこれでもかと言うほど頬を緩めた。
「お久しぶりです、殿下! 見ないうちに随分とご立派になられて、わたくしめは感激しております!」
「ああ、懐かしいな。あの頃は世話になった」
「殿下……! わたくしめのことを覚えておいででしたか!」
「何を言う、当たり前だろう」
朗らかな笑みを浮かべながらハロルドと握手をするレイナールだが、実は彼のことなどぼんやりとも覚えてはいない。
会う前にシャーロットからある程度話をしておいたのだが、彼が思い出すことはついぞなかった。
あんまりな嘘に、隣で見ていたシャーロットは顔が引き攣らないようにするので精一杯だ。
「この度は、わたくしめにどういったご用向きで?」
「あなたは癒しの力について研究してるそうじゃないか。癒しの力を持つ人物を、どうにか感知する方法があるのか聞いてみたくてな」
「……ほう。残念ながら、あなた方では感知は不可能かと」
「ふーん。俺たちじゃなければ感知は可能ということか?」
聞かれるとハロルドは、少し訝しげな顔をした。
癒しの力を持った人間を感知する目的など、普通、その人間を自国に招き入れるため以外にありえない。
それなのに自分たちでなくても良いと言われたことを、やや不可解に思ったのだろう。
「……そう、ですね。癒しの力を身に宿した者であれば、仲間を判別することは可能です」
「なるほどなぁ……」
つまり、首謀者は癒しの力を持っている可能性が高いということだ。大きなヒントにレイナールは、少し考える素振りを見せた。
「彼らは具体的に、どういった方法で判別するんだ?」
「簡単です。対象の体に触れ、軽く癒しの力をかけるだけですよ。癒しの力同士は反発する性質を持ちますので、そうすることで普通の人間からは感じない、微かな抵抗を覚えるのです」
「……そうか」
これから首謀者とシャーロットを近づけさせなければ、とりあえずは時間を稼げるということだ。
首謀者の当たりもつけられている今なら、それはさして難しいことでもないが……未来永劫やれるかといえば、少し厳しいところである。
それに首謀者がいつ痺れを切らして、確認なしに危害を加えに来るかも分からない。
レイナールは方針を練るためハロルドに暇を出そうとしたが……彼は部屋を出ようとしなかった。
「どうした」
「殿下……わたくしごときが政治に口を出すべきでないことは重々承知ですが、一つだけ、教えてはくれませんか」
あまりに切々とした訴えに、レイナールは逡巡ののち口を開いた。
「……何を?」
「その、まさか……そこのシャーロット嬢が、癒しの力をお持ちということは、ありませんよね?」
緊張に引き攣った笑みでそう問われながらも、レイナールは表情を変えなかった。
「いや、ある」
「……っ!? 殿下、それが何を意味するのか、あなたはお分かりですか!」
血相を変えたハロルドが、レイナールに掴み掛かる勢いで叫ぶ。
「分かってる」
「いや分かっていません! ナラネスラ王家がこれまで何に苦戦し続けてきたかご存知でしょう? 彼らは絶対に、癒しの力を次世代には引き継げないのです!」
言われてシャーロットは、はっとした。
癒しの力を持った人間の代わりとしては兄がいるからと、自分が子に力を与えられないことはあまり気にしていなかったが……――レイナールの未来予知の方は、どうなる?
「ナラネスラ王家はこれまでずっと、発現していないだけで確かに存在する未来予知の力を親から子へ、継承し続けてきたのです。それが癒しの力と打ち消し合ってきました」
「ああ。しかもこういうことを、王家はちゃんと想定していたんだろうな」
事もなげに言い放つレイナールに、ハロルドは首肯する。
「ええ、そうでしょうね。癒しの力を持った親を持つ王子らを『穢れた血』などと呼んで王位を継承させなかったのは、もしかしたら存在するかもしれない王家独自の力を、決して途絶えさせないためだったのでしょう。実に途方もないことです」
「そうだな。もはや狂気的なまでの信念だ」
「……っ、そう思われるのでしたら、どうか殿下もそのお力を大切になさってください……その才能を次世代に継がせなければ、次にそれを実用化できる人間が現れるまであと何百年かかることやら……」
「ふむ。史実から察するに、俺が相手じゃシャーロットの力が継がれないのはほぼ確実だろうが、俺の力もそうとは限らないんじゃないか?」
「……わたくしめは、そうは思いませぬ……」
ハロルドは頽れるように、ソファに座り込んだ。
「長年の研究で分かったことなのですが……癒しの力は、正確には病や怪我を癒す力ではありませぬ。――あれは対象の体を、過去に巻き戻す力なのです」
「あー、だからかけられた後は汗すらかいていない状態になるのか」
「ええ、仰る通りです……そして、それと対になりうるのはやはり未来に関連する力、ということになりましょう」
「なるほど未来予知か。対となる力同士は互いを打ち消し合う……存外説得力があるな」
レイナールが意外にもあっさり理解を示すと、ハロルドがぱっと顔を上げた。
「分かってくださいますか! それですから、殿下にはシャーロット嬢との婚約を解消していただくか、せめて何とか理由をつけて、側妃を娶っていただければと……!」
……ハロルドが期待に満ちた目でそう進言する中、シャーロットは何を思えばいいか分からなくなっていた。
国のためを思えば彼女は、身を引くべきなのかもしれない。
そもそも彼女の目的は妃になることではなくレイナールを王にすることで、それについては既に叶う目処が立っている。
二人の会話に介入しようとレイナールを向いたところで、しかしシャーロットは口を開かなかった。
答えを迫られていた王子はこの期に及んで、どこまでも無邪気な笑顔を浮かべていたのだ。
「――やだ」
耳を疑うほどに子供じみた返事に、二人はしばし言葉を失った。
先に復活したハロルドは、非難の意を露わに捲し立てる。
「あ、あなたは色恋ごときを理由に神の奇跡を不意にされるおつもりか! 力を持つ者にはそれを持たざる者のために行使する責任が伴うものなのだと、あなたともあろうお人が理解されていないのですか? あなた個人のお気持ち次第で力を如何ようにも扱って構わないと考えるなど、お、思い上がりも甚だしい!」
「おぅ……」
仮にも一国の王子を相手にしているとは思えない暴言にシャーロットは目を剥いたが、レイナールはどこ吹く風と受け流した。
「まあ落ち着け。一つずつ整理していこうじゃないか」
「……」
黙ったまま睨まれたのを、レイナールは勝手に賛成の意と受け取り、口を開く。
「まず、力の扱い方が俺個人に委ねられることの是非についてだが……仮に他の人間にそれを委ねるとして、そいつは誰になる? まさかあなたではないよな、ハロルド?」
「……っ、当然です……」
ハロルドこそがレイナールに、力を次世代に授けることを強制しようとしていたことを的確に突かれ、ハロルドはぎりりと歯を軋ませる。
「あー、別に責めてるわけじゃないからそんな顔をするな。俺はただ、この力の扱い方の判断を具体的に、誰に仰ぐべきなのか聞きたいだけだ。あなたはどう考えていた?」
「っ……」
回答に窮するハロルドに、シャーロットは思わず同情の目を向けた。
レイナールの、相手の首を少しずつ絞めていくような追及の仕方には、見ているだけの彼女でさえ胃がひっくり返りそうなほどの緊張を覚える。
「ん、答えてくれないと分からないんだが。まあ順当に行けば王か? だがそれになら俺はそろそろなるな。やっぱり俺の一存で判断して良いってことか?」
「……そ、そんなはずはない! そうだ、大いなる力は弱者救済のためにある! その使い方を決めるのもまた弱者、市民であるべきです!」
「そうか」
静かに呟くと、レイナールはハロルドの向かいのソファに座り、気だるげに頬杖をついた。
「市民に力の扱い方を問うためには当然、この力について全国に公表する必要があるな。そしたら欲をかく輩も出てくるだろうな」
レイナールはちらりと、窓の外に目をやる。
その視線の先は山の上に聳え立つ、崩れかけの塔にあった。
「リンデル王国でもやってみるか? ――神の奇跡を巡った、数百年にも渡る不毛な争いを」
「……っ!」
ハロルドが戦慄に目を見開く中、レイナールは微かに笑う。
「色恋ごときが理由なのだと本気で思われていたとすれば、やはり俺には舐められる才能ってものがあるのかもしれない。悠長に国民総会議なんか開いてる場合じゃないんだよ……未来予知は、人を助けるしか脳のない癒しの力なんかとは訳が違う」
「殿下……」
茶化すように言うレイナールの瞳の奥に、シャーロットは隠しきれない積年の苦悩を見て取った。
「未来が見えるということは、何でもできるということだ。例えば将来隣国に厄介な英雄が生まれると分かれば、その母親となる人物を予めこっそり殺しておけばいい」
「……っ」
「もちろん、純粋な善意で出来ることだってある。例えば戦争において最も危険な前衛は、この先すぐに家族を失う者や、一生独身のままの者に優先的に任せればいい。本人に宣告するのは心が痛むが、まあ、大量の遺族を作るよりはマシだよな?」
偽悪的に目を細めてみせるレイナールに、シャーロットは思わず目を伏せる。
彼はこれまで、たった一人で考え抜いてきたのだ。
身に余る神の力をどう処理すれば、犠牲を生まずに済むのか……その犠牲の定義すら曖昧なまま。
未来予知とは彼の言う通り、危険極まりない力だ。
癒しの力を身に宿す強力無比の隣人を差し置いて、それを持つ一族がナラネスラの王家となったのはきっと偶然ではない。
彼がこうまでしてハロルドを追い詰めるのはきっと、その危機感の裏返し。
ハロルドが半端な覚悟で暴走するのを事前に止めようとしているのである。
その思いが届いたのか否か、ハロルドはゆっくりと口を開いた。
「……殿下。その論でいけば、殿下の子孫だけでなく、殿下ご自身もわたくしどもにとっては信用に足らないということに……」
「ああそうだな。だがそのためのシャーロットだろう? ――彼女が傍にいることで、俺の力は無力化される」
「あ……」
レイナールの言葉に、シャーロットは腑に落ちるような感覚を覚えた。
元々十年以上も先の未来を見ることが出来たレイナールが、今回に限ってたったの三日前にシャーロットの危険を察知したというのはいささか不自然だったのだ。
だがそれは、シャーロットがナラネスラ王国へと旅立ったことでレイナールが彼女の影響下から外れ、少ししてようやく力が発動したのだとすれば筋が通る。
またシャーロットがかつて王宮で癒しの力が使えるか試したときに失敗したのも、単に経験が足りていなかったというだけでなく、傍にレイナールがいたからというのもあったのかもしれない。
そんな、シャーロットからすれば説得力のある仮説に、しかしハロルドはきょとんと首を傾げた。
「……え? そのような直接的影響が出た例は、少なくともこれまでナラネスラ王家に嫁いできた癒しの力持ちの女性たちにはありませんでしたけど……」
「は? ……いや、確かにそんなことになっていたら、流石の王家も呪いだと思って癒しの力の取り込みは諦めているか……!」
レイナールが俄かに顔を引き攣らせる中、ハロルドは研究者らしく眉を寄せて考え込む。
「……まあ、何といっても殿下の力は発現までしているのですから、その分影響力も大きい可能性はあります……ですが、そこまであからさまな違いが出るのは少し考えにくいですね……それともよほど互いに影響を受けやすい環境だったのでしょうか……例えば、毎日一緒に寝ていたりとか……」
「「……」」
聞き捨てならない呟きに、レイナールとシャーロットは密かに顔を見合わせた。
「……分かったハロルド、俺が悪かったから一旦考えるのは後にしよう」
「え、はぁ……」
ハロルドは納得のいっていない様子で首を傾げながらも、素直に口を閉じてくれた。
レイナールはほっと息をつくと、改めて真剣な面持ちでハロルドと目を合わせる。
「俺の仮説には期待したほどの裏付けはなかったようだが……まあどちらにせよ同じことだ。シャーロットに危害を加えれば、俺の制御装置は確実に失われるものと考えてくれればいい。あなたが大事に思っているらしい未来予知の力が俺の代で途切れることと、能力をフルに使える俺による制裁が下ること。そのどちらがマシか、よく考えてから行動してくれ」
聞くに恐ろしい脅迫に、しかしハロルドはふっと笑った。
「……シャーロット嬢の力をわたくしめにバラすリスクを犯してまで、彼女の身の安全を確実にしようとされた殿下は、少なくともわたくしめよりは優しいお方なのでしょう……そんなあなた様のご決断を、わたくしめは信じることといたします」
ハロルドは両目を閉じ、自らと同じ色の瞳を持つ他国の王子に恭しく一礼した。