4. 計画
四年前。
国王に溺愛されていた第一王妃ミロスラーヴァが、お忍び中に何者かに殺害された。
胸にはナイフで刺された跡が残っていた。
彼女が倒れていたのは、軍の訓練場の裏側。
彼女は、当時指揮者に任命されていた息子のフレデリックの訓練の様子を見に来ていたのだ。
彼女を最初に発見したのは、将軍の一人だったアレクセイ・マーセル。
生真面目だった彼は訓練後に一人で施設を点検していたため、その無実を証明する材料は持ち合わせていなかった。
またミロスラーヴァの死によって後ろ盾を失ったある将軍がその座を失うことがあったのだが、幸か不幸かその穴を埋めるようにして出世したのもアレクセイだった。
つまりミロスラーヴァが亡くなったおかげで、マーセル子爵家は得をする形になったのである。
これらを受けて深まる一方だったフレデリックの疑念は、最終的に、あの日アレクセイの父親を王宮に呼び出すところまで膨れ上がった。
あの日から色々あった。
一番大きかったのは、元々体の弱かったシャーロットの母親が、心労で儚くなったことだ。
母親の死に責任を感じ、痛みを堪えるような顔ばかりするようになった兄に、シャーロットは一刻も早く動き出す必要性を感じた。
そしてそれから、シャーロットは頑張った。
腕っ節が強く見目も良い兄がご令嬢方に人気があるのを知っていたシャーロットは、まずこれを利用する。
兄への紹介をチラつかせることで、たくさんの令嬢がシャーロットに近づくよう仕向けたのだ。
人の望みをその表情から読み取るのが得意だったシャーロットは、常に相手に応じた対応をし、良い印象を抱いてもらえるよう振る舞い続けた。
猫を被って偽りの自分を演じ続けて、目的は誰にも気取らせなかった。
こうして若い女性たちの話題の中心になったシャーロットは、事情あって婿を必要とする高位の貴族令嬢をも呼び込み、彼女らの様子を注意深く観察して「淑女らしさ」の研究も行った。
そうして一年後、自らの知識や振る舞いが貴族の子女の家庭教師となるに足るところまで来ていると判断したシャーロットは、すっかり親しくなっていたある侯爵令嬢の紹介で、サールグレン公爵夫人との対面を果たす。
無事ニーナの侍女兼家庭教師の座を手にしたシャーロットは、二年間の尽力ののち、遂にクロードと顔を合わせることに成功した。
彼女は長きに渡る孤独な戦いの末、全てを思い通りに進めて見せたのだった。
――しかし何をどう間違えたのか現在、彼女は内心でナメ腐っていた第二王子と一瞬にして婚約させられ、与えられただだっ広い部屋のベッドの上に座り、ただ放心している。
ここまで来たら腹をくくって、レイナールと運命を共にする他ないことは分かっている。
シャーロットが必要としているのはもはや計画を練る時間ではなく、流れに身を任せる覚悟を決める時間だ。
少しすると部屋にノックがかかり、件の旦那様が姿を見せた。
流石に多少の疲労はにじませているが、相変わらず腹立たしいほどの美形だ。
亜麻色の髪はその陰りのある表情との鮮やかな対比を見せており、存在感のある紫色の瞳はその怜悧な美貌を際立たせている。
「父上への報告を済ませてきたが、かなり喜んでいたぞ。父上に気に入られていたんだな」
「……まあ、この髪色ですから」
「なるほど」
シャーロットの髪は鮮やかな桃色だが、この国ではかなり珍しい色だ。
それも、亡きミロスラーヴァと同じ髪色。
実に皮肉な巡り合わせである。
よって彼女を溺愛していた国王が、シャーロットを簡単に気に入るのは無理からぬことだ。
……もっとも、それも息子のフレデリックには通用しなかったが。
「俺が一目ぼれしたって設定にしておいたから、合わせてくれ」
「承知いたしました。あー、そう言えば、フレデリック殿下とアンナ様はどうなりました?」
「婚約した」
あっさりと告げられ、シャーロットは深くため息をつく。
「……殿下の目論見通りですか。そしてフレデリック殿下にとってアンナ様の存在は弱みではなくなり、私が彼らの後を付けてまで蜜月の現場を押さえたことは、全くの徒労に終わったと」
「そういうなよ。そのおかげで人生の伴侶が見つかったじゃないか」
この期に及んでそうぬけぬけと宣うレイナールに、しかしシャーロットは観念して首肯する。
「……そうですね。もう覚悟は決まっているので、お望み通り言う通りに動きますよ」
「それは朗報だ。あ、ところで今日は初夜だったな、シャーロット」
――レイナールは笑みを保ったまま僅かに目を伏せ、ベッドの上に座っていたシャーロットの肩を掴み、軽く押し倒した。
「……」
途端に下から見上げる姿勢となったシャーロットはしかし、なぜか抵抗する気にはならなかった。
ただ、どの角度から見ても綺麗な顔だなと、月並みな感想を抱いた。
それでも気づけば少しだけ、頬が熱くなっていた。
一方で黙って様子を見ていたレイナールは、微妙に気まずそうな顔をした。
「……妙に初々しい反応をするな。というか、初夜は結婚した後だってツッコミ待ちなんだが」
「そう言えばそうでしたね。でもそんな、教会が定めただけの規律は形骸化していますし……殿下は性格こそ終わってますが、かなりの美形なのでまあいいかと」
「……お前大丈夫か? そんなんじゃいつか変な男に引っかかるぞ」
「おかげさまで引っかかったところです」
「はぁ……」
レイナールは呆れ顔でシャーロットを離し、隣に腰掛けた。同時にシャーロットも上体を起こし、レイナールの顔を見上げる。
「それで、婚約してまで私にして欲しかったことってなんです?」
「そういえば言ってなかったな。兄さんが俺を虐めた証拠を見つけることだよ」
けろりと言い放つレイナールに、シャーロットは思わず閉口する。
確かにあのフレデリックのことだ、弟を虐めていたことは想像に難くない。
しかしこの男にはもう少し、プライドというものはないのだろうか。
「……内容の情けなさには敢えてツッコミませんが、私なんかを使わず、ご自分で見つければよろしいのでは?」
「俺が単独で探せる範囲には、証拠が残っていなかったから困っているんだ。クロードの抜け目の無さには君だって辛酸を舐めているだろう? 兄さんだってバカじゃないしな」
レイナールが初めて、そのアメジスト色の瞳を苦々しげに細める。それは確かに、シャーロットにも共感出来る話ではあった。
シャーロットだって、マーセル子爵家がフレデリックに脅されている事実を自ら証明することさえ出来れば、フレデリックを次期国王の座から引きずり下ろすのに苦労はしていない。
レイナールの言う通り、それが出来ないから困っているのである。
「……ですが、代わりに私が探したところで何か変わるのですか?」
「君なら、俺が探せない場所も探せると思ったんだ」
「どこです?」
聞くとレイナールは、意外な場所を指定した。
「――俺の母親の実家」
「……ナラネスラ王国ですか?」
目的が見えず、シャーロットは首を傾げる。
しかしレイナール当然だとばかりに、肩を竦めた。
「兄さんが人を脅すときは基本的に口頭でするが、さすがに他国にいる人間に対しては手紙を送る他ないだろう?」
「え、フレデリック殿下はナラネスラ王国の王族にまで脅迫を……?」
「確証はないがな。彼らに、俺の母親に関する悪評を流すよう指示していたりしてもおかしくないと思っただけだ」
そう見解を示すレイナールに、しかしシャーロットは反論しかねた。
仕方なく彼の注文を咀嚼し、その実現可能性について検討してみる。
結果、彼女は渋面を浮かべた。
「……難しい注文をしてくださいますね。私は何を口実にナラネスラ王国へ向かえばいいのです?」
しかしレイナールは、そんなことは無問題だと言わんばかりに、あっさりと計画を口にする。
「兄さんが近々、ナラネスラ王国へ向かう予定なんだ。それに連れていって貰えばいいだろう」
「……私とフレデリック殿下は、仲良く旅行に出かけられる間柄にはありませんけど」
至って当然の懸念を述べると、レイナールはにやりと楽しげに笑った。
「それは今後のアピール次第だぞ、シャーロット」
「え?」
「――君は今日から、僕の大切な宝物だからね」
「……ぅえ」
レイナールは、もはや懐かしい「表の顔」で心底愛おしそうにシャーロットを見つめた。あまりに急激な態度の変化に、シャーロットはドン引きする。
レイナールの作戦はこうだ。
フレデリックにシャーロットのことを、レイナールにとって最も大切な存在として認識させる。
そうすれば弟を毛嫌いしているフレデリックは、弟からシャーロットを奪おうと考える。
その土壌があればナラネスラ王国への用事にも、頼めば連れて行ってくれるようになる。
要はレイナールはシャーロットに、アンナと同じような道を辿れと言っているのだ。
おおよそまともな男が婚約者相手に口にするセリフではないが、シャーロットは彼の言うことを聞くと言った手前、一応真剣な面持ちで頷く。
「……殿下の意図は分かりました。善処します」
前向きな返事にレイナールは、あどけなくすら見える眩しい笑みを浮かべた。
「感謝する――じゃあ早速、今日からここで一緒に寝ていいか?」
「え……?」
「別に何もしないぞ」
「い、いえ、そういう問題では無いんですけど……まあ、いいです……お好きになさってください」
シャーロットは少々投げやりになりながらも、レイナールの要望を聞き入れる。
言う通りにすると言ったからには、一応は出来る限り協力するのが筋だろうと考えたのだ。
しかしシャーロットは同時に、事情があるとはいえ出会って間もない男と一緒に眠れる自身の図太さに、とても複雑な気持ちになった。