36. 事件の真相を考察する
十五年以上足を踏み入れてこなかったフレデリックの私室にその主人はおらず、取り残された籠の中の小鳥のさえずりが物寂しい。
油断のならないクロードの長期に渡る不在は、レイナールにとって、罠を仕込む絶好の機会だった。
計画通りシャーロットがナラネスラ王国からフレデリックの悪行の証拠を持ち帰ってくれるのが理想だが、手がかりがあの似顔絵しかない時点でそれが現実的でないのは分かっている。
レイナールは手に持った一通の手紙の中身を、再度確認した。
内容は、ヨエル王子を不当に脅すもので、署名にはフレデリックの名前を使っている。
書いたのはレイナールだが、元より執務に用いる書類もフレデリックの名を借りてレイナールが書いている。
その筆跡は、弱点になるどころか手紙の証拠能力を引き上げてくれるはずだ。
もっともこれは、レイナールがフレデリックの執務を肩代わりしていることがバレたらおしまいの諸刃の剣。
いざとなれば筆跡くらいは誤魔化せるだろうが、それでも最後は人望勝負となる。
それでもまあ、状況からして五分五分以上の勝算はあるが、あまり積極的に挑みたくはない賭けだ。
結局はこんなちまちました、保険じみた攻撃をしかけるのではなく、王太子が決まる直前のタイミングで大勝負をしかけてそのまま勝ち逃げするのが最善なのだろう。
……そのときもきっと、合法な手は使っていられない。
「はぁ……」
手紙を封筒の中に入れながら、レイナールは思わずため息をついた。
……この仕込みについては幸いシャーロットに知らせずに済んで、彼女の負うリスクを最小限にできた。
それなら次回も同じように出来るだろうか。
仮に出来たとして、ではその次や、その次は?
そもそもほとんど敵に囲まれているような状態で一人、彼女を隣国に送ったのは問題なかったのか。
答えのない問いが頭を蝕む。
手紙をしまうのは、フレデリックが生まれたころからここにあるのに未だ新品同然の机の、新品同然の引き出しの中。
「あ……」
しかし引き出しの中は空っぽではなかった。
きっと選りすぐりだろう。
色とりどりの、大小様々な貝殻がそこには並べられていた。
幼少期の、靄がかかったような微かな記憶が呼び覚まされる。
そういえば兄は、貝殻を拾い集めるのが好きだった。
彼はお忍びで海へ連れて行ってもらうと、両手いっぱいの貝殻を持ち帰ってきて、まだ長時間の外出ができる年齢じゃなかったレイナールに一つずつ見せてくれたものだ。
今までで一番大きいのが見つかったのだと自慢してきたり、珍しい模様がついているのだと懸命に説明してきたりした。
たまに「宝石」を見つけてくることもあった。
今となってはそれがシーグラス――海に揉まれたガラス片が、角の丸い曇りガラスのようになったもの――だと分かるが、幼かった兄弟には、それがこの世で最も価値あるもののように思えた。
特別なそれは誰にも見つからないようにと、箱に入れて王宮の庭に埋めておいたものだ。
……今も探せば見つかるのだろうか。
あの頃のことはもうほとんど覚えていないが、それでも海で拾ってきたものを見つめるフレデリックの目は、いつにも増してキラキラと輝いていたような気がする。
――両目を閉じて、そんな思い出に蓋をした。
手紙を貝殻の上にそっと載せ、引き出しを閉める。
こうなる前に兄ともっと上手くやっていく道があったのではないかと少し思うが、それももう今更だ。
ここで割り切れなければ、レイナールに人生を賭けてくれたシャーロットに合わせる顔がない。
時間が余ったので、ふとミロスラーヴァの死についてもう少し探ってみようかと思い立った。
シャーロットの調査した範囲でめぼしい手掛かりはなかったらしく、彼女はレイナールを王にすることで一家皆殺しを回避しようとする強硬手段に出ている。
彼女はもう、真犯人についての興味は失っているようだった。
しかしレイナールとしては、未だに真犯人が分かっていないのは少々不気味だ。
なにせシャーロットがミロスラーヴァと同じ、薄い桃色の髪をしている。
フレデリックの部屋を出て、今度はミロスラーヴァの部屋に忍び込む。
国王は皇后だったミロスラーヴァを溺愛していたので、その部屋は今でも彼女の在りし日と寸分違わぬ状態で保存されている。
国王はたまにこの部屋を訪れ、彼女と過ごした忘れがたい日々に思いを馳せているらしい。
ミロスラーヴァの机は、その息子のフレデリックと揃いのものだった。
ただ、装飾品やら花やらが置かれて雑多な印象があったフレデリックの机とは異なり、彼女のそれには万年筆が一本据えられているだけだった。
程々に使い古された様子の引き出しをそっと開ける。
「……あれ」
視界に入った光景に、薄らと違和感を覚える。
引き出しには何も入っていなかったのだが、先ほど開けたフレデリックのものと比べて、底がほんの少しだけ浅い気がするのだ。
……ミロスラーヴァは、自分の机の引き出しに二重底を仕込んでいた。
手で軽く押してみると、底の板が僅かにずれる。
そうして出来た隙間に親指の爪を差し込み、板を慎重に取り外した。
二枚の板に挟まれていたのは、たった一通の手紙だった。
そこには見事な筆致で『愛しのアイリーンへ』と書かれていた。
「……っ!」
極度の緊張で、自らの呼吸が荒くなっているのを感じる。
これを書いたのは夫のサーレグレン公爵か。
はたまた不倫相手の……
封筒を恐る恐る裏返すと、決定的な名前が目に飛び込んでくる。
『――ラスムス・ユースティル』
――それは、ヨエル・ノエリア兄妹の母方の祖父にあたる、先々代教皇の名前だった。
彼こそがアイリーンの不倫相手。
そして、確か彼はアイリーンが当時のサールグレン公爵と結婚する時点で既に別の女性と結婚していたはずなので、彼の方も不倫だったということだ。
アイリーンはナラネスラ王家の人間ではないので、二人の間に子供が出来ていたとしたら、その子が癒しの力を継いだ可能性は十分にある。
アイリーンと同じ、珍しい桃色の髪をしていたらしいシャーロットの母親ライラは、生まれた直後から孤児だったという。
今は亡き彼女が実はラスムスの娘だったとすれば、その忘れ形見であるアレクセイとシャーロットには、癒しの力が受け継がれているかもしれない。
……いや、アレクセイの方には実績さえある。
初陣でヨエルを庇って重傷を負った当時、彼は無意識に秘めた力を使って己の体を修復したのだ。
もはやそれで間違いないだろう。
封筒の中には一枚の紙が入っていた。
『――私には、民をあらゆる病から解き放ち、彼らに自由の祝福を与える力がある。しかし、私自身だけはその力に自由を奪われてきた。
神の血には適切な管理が必要だとされ、私はこの薄暗い灰色の塔に縛りつけられている。
私の愛するアイリーン。
君こそが、この灰色の世界をひとときだけ明るく照らしてくれた、私の女神だ。
教皇だなんて罰当たりなあだ名をつけられた私だが、君のためなら本物の聖職者になってもいいと感じる。
もし貴女が最後にもう一度だけ、私に夢を授けてくれるというのなら、どうかこの灰色の塔まで会いに来ておくれ。
その時は必ず、この手紙と共に送ったペンダントをつけてきて欲しい。
貴女の美しい髪と同じ、桃色の綺麗な石を見つけたからアクセサリーにさせたものだ。
シャンパンガーネットというらしい。
それには私自らが癒しの力を込めておいた。
禁忌とされる行為だが、少しでも貴女の役に立ちたかったのだ。
万が一、貴女が不幸にも死の淵に立つことがあったとき。
そのペンダントはたった一度だけ、貴女の痛みを肩代わりして、千のかけらに分たれることだろう』
「……」
レイナールは静かに手紙をしまうと、そのままミロスラーヴァの椅子に勝手に腰を下ろし、机に頬杖をついて思考の海に沈んだ。
……まずアイリーンはこの手紙を受けて、間違いなくラスムスに会いに行った。
そして国を跨ぐ長旅の末に再会は叶い、その結果ライラが生まれている。
しかし彼女はラスムスの言いつけを破り、ペンダントをつけては行かなかった。
なにせそのペンダントは現在、フレデリックの首にかかっている。
きっとアイリーンは子供たちを置いて家を出る罪悪感に耐えかね、せめてもの贖罪として、長女だったミロスラーヴァに命を守るペンダントを託したのだ。
そしてミロスラーヴァは、亡くなる数年前まで自分でつけていたペンダントを、ある日突然息子のフレデリックに贈っている。
それはきっと、ミロスラーヴァがこの手紙を見つけ出し、ペンダントの効果を初めて知ったのがその日だったからだろう。
そう、恐らくアイリーンはペンダントの力について、ミロスラーヴァに何も教えていなかった。
何があっても外さないよう、固く言いつける程度に留めていたはずだ。
ペンダントに込められた神の奇跡に目を眩ませそれを奪いにくる人間から、彼女は愛する娘を守らなければならなかった。
アイリーンは自分よりも娘の命を優先して、ミロスラーヴァは自分よりも息子の命を優先した。
……ペンダントをつけていなかったミロスラーヴァは四年前、突然向けられた殺意に対抗する術を持たず、呆気なく命を落とした。
結局ミロスラーヴァを殺した犯人については分からずじまいだが、彼女が癒しの力と深い関わりを持っていたと知れたのは大きい。
彼女が殺された原因が癒しの力に関連していた可能性はどれくらいだろうか。
動機としては他にも、性格が嫌いだったとか恋敵だったとかいくらでも考えられるが……引くほど人望の厚かった彼女がそんな理由で殺されるとも考えにくい。彼女が母親の不遇の原因だと分かっていたレイナールでさえ、彼女を憎むことまでは出来なかった。
そうなると政治的陰謀で……いや。
そんなことはどうでも良かったと、レイナールは思い直す。
彼が問題としているのは、ミロスラーヴァを殺した犯人がシャーロットにも危害を加える可能性があるかどうかの、ただ一点のみだ。
それとは関係ない動機を想定する必要は全くない。
とにかく考えうる限り最悪なのが、彼女の死が癒しの力関連だった場合だ。なぜなら圧倒的に情報が足りていない。
実際そうである可能性がどれだけ低くても、その前提で考えておくことが何よりも優先される。
そうなると、当然だがナラネスラ王国は非常に怪しい。ラスムスが手紙でも嘆いているように、かの国は他国に癒しの力が流出することを極端に恐れている。
癒しの力を持つ可能性のある人物が出てくれば、その人物を性急に暗殺しかねない。
ミロスラーヴァは弟のサールグレン現公爵や姪のニーナのような、公爵家を象徴する燃えるような赤髪を持たない。
彼女は少なくともアイリーンの娘であることは間違いないが、父親が本当にサールグレン元公爵だという確証はどこにもないのだ。
……しかし、そうなるとなぜミロスラーヴァは殺されたにも関わらず、同じくアイリーンの髪を持つシャーロットは今でも何事もなく生きているのかという話になる。
シャーロットとて貴族令嬢。
少し調べれば身元は割れたはずだ。彼女は明らかに怪しい容姿していて、かつ皇后だったミロスラーヴァよりも護衛が少なくて殺しやすい。
にも関わらずミロスラーヴァが殺されたそのとき、シャーロットやアレクセイのみならず、ライラまでもがまだ生きていた。
ライラはその後病死しているが、それも毒を盛られたとかではないだろう。ライラだけを殺して、その二人の子供を見逃す理由がない。
つまり犯人は、ラスムスとアイリーンの子が一人だけで、かつそれがミロスラーヴァであると確信していたということだ。
……だが、そうなると難しい。
ミロスラーヴァが癒しの力持ちだと確信するには、彼女が癒しの力を使っているところを目撃するしかない。
しかし彼女が本物の能力者だったとしたら、力の継承者はミロスラーヴァとライラの二人だったことになってしまう。
これでは一つ目の条件が破綻する。
畢竟、ラスムスらの子が一人であることと、ミロスラーヴァが癒しの力持ちであることのうち、少なくとも一つは犯人による誤った認識だったことになる。
……その誤認の原因を考えた時、あまりにも怪しいのがこの「癒しの力を込められたペンダント」の存在だ。
犯人は多分、何らかの方法で癒しの力を、その奇跡を目撃しないままに感知する術を持っていたのだ。
それでミロスラーヴァを調べたところペンダントが反応したことで、本当は力を持たない彼女を癒しの力持ちだと誤認した。
そうだとすれば……
仮説が間違っていることを祈りながら、レイナールはゆっくりと椅子から立ち上がった。
……ミロスラーヴァの血を継ぐフレデリックが危ないのはもちろん、シャーロットにアレクセイも、いつその感知に引っかかってもおかしくないということになる……
――途端、激しい頭痛がレイナールを襲った。
「――うぅっ!? ぐ、あ……っ!」
手で頭を抑えながら、堪らず床に膝をつく。
――その痛みがある能力の発動の予兆だったことを思い出したのは、もう少し後のことだった。




