35. 第二王子の秘密
目を見開いて口をぱくぱくとさせながらも何も言えない様子のハロルドに、フレデリックは勝負ありと見たらしい。
項垂れたままのハロルドから手を離し、頽れる彼に追い討ちをかけることもなく、ただその様子を酷く疲れた顔で眺めていた。
後味の悪そうな顰め面のまま、彼はその場を後にしようと扉に近づく。
シャーロットはそろそろ動かなければフレデリックに見つかってしまうと分かっていながら、その場でゆっくりと立ち上がることしかしなかった。
当然、やがて扉を開いたフレデリックと目が合う。
「お前……!? って、はぁ……つけてやがったのか」
投げやりにため息をついた彼に、シャーロットは今この場だけはと、心からの敬意を込めてカーテシーをした。
「――お疲れ様でした、フレデリック殿下」
「……」
靴下に部屋着姿での滑稽な挨拶だったが、それでもフレデリックは呆気に取られた様子で息を飲んだ。
そんな彼を尻目にシャーロットは部屋に立ち入り、自分を含めた全員をその部屋に閉じ込めるように、後ろ手に扉を閉める。
そして、ようやく我に帰ってじっとシャーロットを見上げていたハロルドに向き直った。
「――ごきげんよう、ハロルド様。たまたま通り掛かりました、リンデル王国第二王子、レイナール・リンドケルン殿下と婚約関係にありますシャーロット・マーセルと申します」
「あ、ああ……」
「ハロルド様は、レイナール殿下を非常に高く評価してくださっているようにお見受けしますが」
「……いえ、あの子はただの研究対象に過ぎませんので……」
「はぁ。今さら面白くもない嘘をつかないでいただけると幸いです。時間の無駄なので」
「ぐっ……」
「ふっ」
ばっさりと切り捨てたシャーロットに、見ていたフレデリックが愉快げに口角を上げた。
……それを見たシャーロットは、自分が悪いことをしているようでちょっと嫌な気持ちになった。
「……ともかく。ハロルド様はレイナール殿下を引き取ることを至上目的になさっていましたよね。話しぶりから察するに、殿下の辣腕をナラネスラ王国のために使わせたいのでしょう」
「……」
床に座り込んだまま、ハロルドは否定も肯定もしない。
シャーロットは彼に歩み寄り、自らしゃがんで目線の高さを合わせた。
「しかし私は、今さら殿下をナラネスラ王国に移動させることが可能だとは思えません。仮にも一国の王子を隣国に送ることを、どう足掻いても正当化できないからです。
これについて、何か具体的な腹案はおありで?」
シャーロットが気になったのはこれだ。
フレデリックに対して、明らかに違法な計画を持ち出すほどの執念があるにも関わらず、その最終目標がどう考えても達成できそうにないのである。
「腹案、ですか……そんな大層なものはありませぬ」
問われたハロルドは初めて、シャーロットに対して暗い笑みを向けた。
「――ただ、ある日突然あの子が失踪したとしても私は驚かないでしょうと、それだけは言えます。そして、その時なぜかリンデルの王家が全くあの子を探さないようなことになって欲しいと、そう願ったりもしていますよ」
もはや犯罪予告とも取れる発言に、しかしシャーロットはいまいち納得のいかない、怪訝な顔をするだけだった。
「理解しかねますね」
「左様ですか。赤裸々にお話したつもりでしたが」
「……いくらなんでも、レイナール殿下にそこまでのリスクを取る価値はありません。彼がただの馬鹿だとまでは言いませんが――」
ちらとフレデリックの方を見やると、彼は少し気まずそうに目を逸らした。
「――殿下を秘密裏に攫うということは、その後も一生秘密裏に匿うということです。しかし正体を明かせないとなるとそれだけで、殿下に出来ることは半減してしまうでしょう。
彼を得るのに必要な、大規模な犯罪行為に対して、あまりにも割に合いません。殿下は確かに頭のよく回る方ではありますが、神様でも化け物でもない――人並みに間違いも犯す、ただの人間です」
シャーロットの説明にハロルドは、急に悟ったような、穏やかな顔をした。
「シャーロット嬢は、あの子の人間なところがお好きなのですね」
「……ぇ、っと……」
思わずフレデリックの方を向いて助けを求めるが、彼は勘弁してくれとでもいうように、手をひらひらとさせるだけだった。
「ですがね、王子妃殿下――」
シャーロットの反応に構わず、ハロルドは続ける。
「――少なくとも私はあの子のことを、神様だと思っていますよ」
なぜだか万感籠ったその言葉に、シャーロットもフレデリックもしばし黙り込んだ。
「今から十七年前。あの子が四歳だったときのことです」
二人に見つめられる中、ハロルドは心持ち穏やかに語り出した。
「当時研究のため、私はナラネスラ王家の縁者としての立場を最大限に利用して、あの子に直接会いに行っていました。
瑞々しい亜麻色の髪と輝く紫色の瞳をした……国王である父親の特徴をほとんど引き継げなかった、可哀想な子でした」
今でもその弊害が無限に思い出される、彼の容姿面における絶対的な不遇に、聞いている二人は口を引き結ぶ。
しかし対照的に、ハロルドは思い出を慈しむように頬を緩めた。
「ですがあの子はそのことを気にも留めていないかのように、人見知りさえもせず、わたくしめに嬉々として話しかけてくれました。
――最初にしてくれた話は、兄さんはすごく優しくてかっこいいんだという自慢話です」
「……っ」
フレデリックは驚きに目を見開き、漏れ出るような声を上げた後、息苦しさに耐えるような顔をした。
下を向いた目は、もう戻れない過去を見つめているようだった。
「あの子はこう言いました。――兄さんはどこか遠い場所で黒髪の、死にかけの男の人の命を救ったのだと」
「……え?」
「いや……」
突然に混乱した様子で顔を上げる二人に、ハロルドはどこか満足げな表情を浮かべた。
「ええ、あなた方がお考えになっている通りです。他にも詳細を聞いていましたが、フレデリック王子殿とクロード殿が出会ったときの話で間違いありませんでした。――ただしそれは、あの子の発言の実に十一年後に起きたことでした」
「……っ、じゃあ……」
シャーロットが途絶えさせた言葉を、ハロルドは深く頷いてから続けた。
「――あの子には、未来が見えている」
その荒唐無稽な事実に、しかしシャーロットは合点がいったような心地だった。
変だと思っていたのだ。
フレデリックとクロードの出会いについての話は少し不自然で、そこからシャーロットはクロードの自作自演を疑っていた。
そして最終的にはそれを本人に認めさせることにも成功した。
だが、クロードのことをほぼ全く知らないシャーロットですら気づいたことに、他でもないレイナールが一度もその可能性に思い至らなかったなんて、あり得るのだろうかと疑問に思っていたのだ。
それも、ハロルドの言ったことが事実ならば納得がいく。
あのエピソードがレイナールにとって、無意識下で「かっこいい兄さん」の象徴となっていたとすれば、それを穢すまいとする深層心理だって働くだろう。
切ない胸の痛みを堪えていると、ハロルドがやや驚いたような顔をした。
「その様子ですと、あの子はシャーロット嬢にすら自分の能力について明かしていなかったのですね。流石はあの子、用心深さにおいても一流のようだ」
「……」
……ああ、そうか。確かにそうだ。
流石に自分の命にも関わりうる重大な秘密を話すほどには、信用されていなかったらしい。




