3. 後をつける人の後をつける人
パーティーも中盤となり、貴族たちにも酒が回り始めた頃。
ニーナの緊張もだいぶほぐれてきたらしく、彼女は年の近いご令息たちとのダンスを楽しみ始めているようだった。
ニーナはシャーロットが教えた通りに立派に踊ってみせ、曲が終わると相手に優雅なカーテシーを披露する。
下心で始めた家庭教師の仕事だったが、練習の成果を遺憾無く発揮する教え子の様子に、シャーロットは感激を覚えた。
自分も家庭教師としてはそろそろ用済みかもしれないと、なんとなく感傷的な気分になっていると、ニーナが少し興奮した様子でこちらに近づいてきた。
「シャーロット、シャーロット!」
「どうされました、お嬢様?」
「あっちを見て!」
ニーナの目線の先には、珍しくフレデリック王子の傍を離れたクロードがいた。
テーブルの上に並ぶ、小ぶりのスイーツを取りに来たらしい。
「まあ……」
「私はこの辺で少し休んでいるから大丈夫よ。クロード様と一曲踊ってくるといいわ!」
「ふふっ、お気遣い頂きありがとうございます。ではお言葉に甘えて、少しお話をしに行こうかしら」
ませた少女の後押しで、シャーロットは目当ての青年の元へと向かった。
とっつきやすさを意識して、顔に柔らかな笑顔を貼り付ける。
「ごきげんよう、クロード様」
「……シャーロット様」
メガネをかけた黒髪の男は、その表情の乏しい顔をこちらに向け、シャーロットの名を呼んだ。
「こちらのパウンドケーキはもう召し上がりましたか?」
「……いえ、まだ」
「でしたら試されるといいですよ。紅茶の風味がよく効いていて、とてもおいしかったです」
「敵情視察ですか?」
「っ……」
シャーロットは思わず口をつぐむ。
クロードは、話すことを嫌がってまではいないようだったが、その碧眼は疑いの色を映し出していた。
安い演技で誤魔化せる相手ではないらしい。
フレデリックの側近である彼はやはり、主と彼女との確執を把握しているのだ。
フレデリック王子の敵は、クロードの敵。
つまりシャーロットは、クロードの敵。
当然のことである。
しかしシャーロットがここに立っているのは、それでも勝算があると考えたからだ。
猫を被って煽てるだけが、彼女の作戦ではない。
シャーロットはふっと息をつくと、あっさり観念した。
「……まあ、敵情視察といえば敵情視察かもしれません。ですが今回はフレデリック殿下についてではなく、クロード様についてお聞きしたいことがあったのです」
「……何でしょうか」
「――これまで何度、フレデリック殿下の代わりに外交用の手紙を代筆されましたか?」
「……」
今度はクロードが口をつぐむ番だった。
彼の反応にシャーロットは、ちゃんと推測通りだったと胸を撫で下ろす。
飛び抜けた優秀さが売りのフレデリック王子だが、外交がさすがに優秀すぎると、シャーロットは思っていたのだ。
フレデリック王子は常に強気な性格で、少し頑固でありながらも、そこが頼もしいんだという評判になっている。
しかし彼の外交実績は、一定の柔軟性を備えていなければ残せないものばかりだった。
黒幕がクロードだったというのなら、シャーロットとしては話が早い。
彼は主人に尽くすことではなく、主人を操ってでも国を繁栄に導くことを重視しているということになるからだ。
これが分かれば、シャーロットのすべきことはただ一つ。
頑固で短気な第一王子フレデリックよりも、素直で優しい第二王子レイナールの方が、操り人形としては明らかに優秀だと主張することだ。
そうするだけでほぼ確実に、実力者であるクロードをレイナール派に寝返らせることが出来る。
そして、上手く契約結婚にこぎつけられれば、シャーロットの立ち位置もかなり有利なものとなる。
「クロード様、私から少し提案があるのですが……」
「――アンナ、大丈夫か!」
突然に発せられた焦燥の滲む声に、貴族たちが一斉に会場に中央に注目する。
シャーロットも仕方なくクロードとの会話を止め、みんなの視線が向かう方向を見つめた。
声の主はフレデリックだった。
どうやらアンナと踊っていた最中に、アンナが立ちくらみを起こしてしまったらしい。
「……大丈夫です。ですが気分が優れないので、少しだけ休ませていただけると……」
アンナはフレデリック王子に体を支えてもらいながら、健気にも微笑んだ。
その様子にレイナールは、アンナをパーティーに連れてきた負い目があるのか、二人に向かって口を開く。
「僕が医務室に連れていくから、パーティーは続けてていいよ」
「いや、今日はお前の誕生祭だろ、レイナール。俺が連れていくから、お前はここにいろ」
「……いいの? それじゃあお言葉に甘えようかな。ありがとう兄さん」
レイナールはふわりと微笑んで感謝を述べたが、一部始終を見ていたシャーロットはフレデリックの厚意を、そこまで純粋に受け取ることは出来なかった。
元々かなりあからさまにレイナールの優しさに付け込んでいる様子だったアンナが、レイナールよりも王位に近いフレデリックとダンスをしている最中にたまたま立ちくらみを起こし、今からフレデリック王子と二人きりで医務室に向かう。
……シャーロットとしては、うがった見方をせずにはいられない。
クロードの方を見ると、手に取っていたスイーツはとっくに食べ終えていた。
しかしフレデリックの側近として、主に随伴しようとする素振りは無い。
彼にも、主人の邪魔にならない程度の心得はあるようだ。
今を逃せば今日はもう、クロードと話す機会はないかもしれない。
しかしシャーロットは、それでもフレデリックの弱みを握るチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「……クロード様、申し訳ございません。ちょっとお花を摘みに」
○
シャーロットは気取られないよう息を殺して、そっと二人の後をつける。
アンナの立ちくらみはやはり演技だったらしく、彼女の足取りはしっかりとしていた。
つまり当然、彼らの向かっている方向に医務室はない。
二人はパーティー会場の一つ上の階にある空き部屋に入り、戸を閉めた。
シャーロットは、流石に部屋に忍び込むことは出来なかったので、窓の外から中の様子を覗く。
フレデリック王子はアンナを二人掛けのソファに腰かけさせ、自身は彼女の上に覆いかぶさるようにしてその唇を奪った。
思っていたよりも濃密なキスに、シャーロットは思わず若干顔をしかめる。
しかし、少しして我に返ると、何とか証拠を調達できないかと部屋の中を見渡した。
――アンナの香水の匂いがソファに染み付いたりは……いや、確実とは言えない。
やはりすぐに誰かを呼んできて、証人を増やすべきだ。確かその辺に護衛が――
「――覗き見とは感心しないな」
「……っ!?」
突然聞こえた男の声にシャーロットは、思わずびくりと肩を震わせる。
しかし驚いたのもつかの間、彼女は咄嗟に振り向いて迷わず相手の股間を狙い、足を蹴り上げた。
――が、彼女の期待とは裏腹に命中は叶わず、足を手のひらで軽く受け止められてしまう。
「っ、この……! ――え?」
思い切り睨みつけてやろうと顔を上げたシャーロットは、予想していなかった人物に、悪態をつく前に困惑の声を上げた。
「まったく、随分なご挨拶だな。少しくらいは淑女のフリをしてみたらどうだ?」
「……殿下こそ、態度が変わりすぎでは?」
――第二王子レイナールは、シャーロットから明らかな攻撃を受けたにも関わらず愉快げな微笑を浮かべている。
先程の少し抜けた様子からは、想像も出来ない姿だ。
「国民の前では脇役に徹していないと、兄さんが嫉妬しちゃうだろ?」
「は?」
当然のようにそう宣うレイナールに、シャーロットは訳が分からないと首を傾ける。
「兄さんはとんでもなく嫉妬深いんだ。俺のものは何でも奪いたくなってしまうくらいにはな」
レイナールはシャーロットが覗いていた部屋の方に目を向ける。
「アンナ様も……」
「そういうことだ。まあこの状況は当然、俺が狙ったものだが。あの女は浮気性で有名なんだよ。俺は三か月で捨てられた訳だが、兄さんは何日持つだろうな?」
「……なぜそんなことを?」
聞くと彼は窓の奥を見つめたまま、実に悪い笑みを浮かべた。
「そりゃまあ……例えば兄さんがうっかりあの女と婚約してしまうことがあれば、あの女が浮気したときは立派な不倫になる。兄さんは女に逃げられる不名誉な男だと噂されるだろうな。そうすれば、王位継承権の奪取に一歩近づくだろう?」
「え、えぇ……」
想像以上に下衆な思惑に、シャーロットは顔を引き攣らせる。
この男はまた別の意味で王にしたくはない人間だ。
シャーロットが絶望に顔を歪めるのを、しかしレイナールは全く意に介さない様子で口を開く。
「まあまあ。俺のくだらない身の上話はさておいて君の話をしようか、シャーロット・マーセル。フレデリック兄さんに第一王妃暗殺の疑いをかけられて、国王となった暁には一家を皆殺しにしてやると脅されているな?」
「……ご存知でしたか」
「それくらいはな。察するに君は家族を守るため、兄さんを蹴落として俺を国王にしたいみたいだな」
「そうですね。いえ、そうでした。ちょうど今、考えを改めかけているところです」
「ははっ、つれないなぁ」
言いながらもレイナールは、飄々とした態度を崩さない。
実際シャーロットは、今後どう動くべきか決めかねていた。
現在フレデリックとマーセル子爵家の間の因縁は、社交界においてほとんど知られていない。
これはシャーロットが推測するに、クロードがフレデリックの口から漏れないよう、上手く手を回してくれているからだ。
確たる証拠もなく貴族を糾弾することは、次期国王候補として決して賢明とは言えないと、クロードならば理解しているだろう。
しかし、一度レイナールの即位が決まってしまえば話は変わってくる。
王位を継ぐチャンスを逃したフレデリックは、クロードの静止に耳を傾ける理由を無くし、晴れて大々的に子爵家を糾弾できるようになるのだ。
そうすればシャーロットたちは、今後一生周りから白い目で見られ続けることになる。
シャーロットは元々、この未来を回避するためにレイナールの呑気と言われる性格を利用しようと考えていた。
彼を上手く操れば、適当な真実をでっち上げてマーセル子爵家の無実が証明されたことにするのも可能だろうと見ていたのだ。
しかし実際のレイナールは少しも呑気に見えない。この男がシャーロットごときに操れる気が、全くしない。
……いっそ一家総出で国を出る覚悟を決めた方が確実ではないか。ヨエル王子あたりに泣きつけば、あるいは……
「君、さては諦めようとしているな?」
「……人の心を読めるんですか?」
「まあな。君は諦められるかもしれないが、あいにくと俺の方には是が非でも国王にならなきゃならない事情があるんだ」
物憂げな表情を演出する彼に、しかし同情する義理など一片もないシャーロットはぴしゃりと言い放つ。
「知りませんよ、そんなこと」
だが残念ながら、目の前の王子はその程度でめげるタマではなかった。
彼は不敵に笑うと、腰を曲げてシャーロットと目線を合わせ、じわりと圧力をかける。
「ほう? そういえば君はさっき、クロードと楽しく会話をしているようだったなぁ。彼の寝返りでも狙っていたか? 兄さんが聞いたらどう思うだろうなぁ?」
「……脅しですか?」
「さあ? 俺が君に望むのは一つだけだ、シャーロット。――俺と婚約して、俺の言う通りに動くこと」
細められた双眸は、その持ち主の歪んだ根性には似合わない、全てを吸い込み魅了する魔力を帯びたような紫色だった。
「……最悪のプロポーズですね」
「回りくどい言葉は嫌いなんだ。君は兄さんを敵に回すことを恐れない貴重な存在だから、逃がしたくない」
「あの、こちらにはこちらの事情があるんですけど」
「まあそう言わずに。――あ、良いところに護衛が」
廊下の奥に目を向けると、確かに一人の護衛が困惑した様子でこちらを見ていた。
「……まずいのでは?」
「いや? 証人にはぴったりだ」
レイナールはにやりと笑ってシャーロットの頬に手のひらを当て、護衛に見せつけるように唇を重ねた。
都合の悪いことに桃色の髪は、この暗がりでもよく目立った。