22. 夜のバルコニー
居た堪れなくなって少し遠くを見たシャーロットはの視界に、懐かしい林檎色が映った。
「お嬢様……」
レイナールと婚約する前、シャーロットが侍女を務めていた幼き公爵令嬢。
彼女は立派にも、初対面に違いない大人たちと朗らかに挨拶を交わし合っていた。
シャーロットの視線の先の少女に気づいたレイナールは、空気を読んでか婚約者にそっと耳打ちをした。
「俺はもう少しお父上と話してから、バルコニーへ涼みに行く予定だ。そこでまた落ち合おう」
「……分かりました。ありがとうございます」
ニーナと二人で話す時間が取れるよう気遣ってくれた。
軽く頭を下げて感謝を示した後、シャーロットは駆け寄るようにしてニーナの元へと向かった。
「まあ、シャーロットじゃない! 久しぶりね」
すぐに彼女の存在に気づいた赤髪の少女は、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべた。
「お嬢……ニーナ様。まともな挨拶もなくサールグレン公爵家を出て行ってしまって、申し訳ございませんでした」
口慣れない呼び方を用いて、シャーロットはニーナに誠心誠意謝罪をする。
彼女との別れが呆気ないものになってしまったことを、シャーロットはずっと気に病んでいたのだ。
「私のことはいいのよ! 王族に見初められて受ける婚約の打診なんて、簡単に断れるものではないもの。……それより、シャーロットはこれで良かったの?」
「え? ……っあ」
心配顔のニーナに、シャーロットは思わず言葉を詰まらせた。
シャーロットには眩しすぎるほどに善良な彼女は、クロードに思いを寄せているという侍女の言葉を心から信じて、それを叶えられなかったことを案じてくれていたのだ。
世間がレイナールとシャーロットを恋愛結婚だと触れ回っていても、ニーナはシャーロットの言葉を信じてくれていた。
ニーナに、実家が第一王子からの脅しを受けているなどと言う訳にはいかなかったので、仕方のないことではあった。
しかしシャーロットは彼女の優しい言葉を受け、嘘をついてしまったことを一層心苦しく感じる。
長い時を共にしたニーナにシャーロットはせめて、
出来る限りの本音を伝えることにした。
「……様々な事情からこのような結果になってしまい、最初は戸惑うこともありました」
「最初は……?」
不思議そうに問うてくるニーナに、シャーロットはにこりと微笑みかける。
「ええ。殿下と三ヶ月間共に過ごさせていただきましたが、その中で彼の素敵なところを知る機会も多くあったのですよ」
「そう。確かにすごく優しそうだものね!」
「ええ、そうですね」
口を出た肯定の言葉は、今は何故だか違和感のないものに感じられた。
少しませた年下の少女はそんなシャーロットの姿に憧れを覚えたのか、分かりやすく目を輝かせる。
「政略結婚でも好きになれる?」
「……かも、しれませんね」
シャーロットは顔に熱が集まるのを誤魔化すように、手で口元を覆った。
○
ニーナと話し終えたシャーロットは、レイナールの待っているバルコニーへと出た。
王宮の広大な庭園がよく見えるこの場所はあまり広くはないが、代わりに橙色の灯りが冷え込む夜を温かく包み込み、穏やかな空間を演出している。
シャーロットがやって来たことに気づいたレイナールは、すぐに振り向いて軽く手招きをしてきた。
今は取り繕う必要のない彼は、心なしか安らいだ様子で柵に体を預けている。
ワイングラスを片手に色香の滲んだ笑みを浮かべるその姿は、彼がノエリア王女と親戚関係にあることを、否応なく思い出させる。
「お嬢様との昔話は盛り上がったか?」
「ええ、お陰様で」
シャーロットも、パーティー会場とは打って変わった静けさに思わず声をひそめる。
「良かったな。……公爵家に戻りたいと思うか?」
「……ニーナ様は聡明な方です。元より、私から教えられることはほとんど残っていませんでした」
「……そうか」
暗に未練はないと告げるシャーロットに、レイナールは少し安心したような顔を見せた。
シャーロットはそんな彼の反応に意外感を覚える。
彼もシャーロットを強引に引き込んでしまったことを、多少は気にしていたらしい。
何とも言えない気持ちで彼を見つめながら、しかし話すことがなくなったシャーロットの意識は少し外側を向く。
するとやがて、あることに気づいた。
「……あら。殿下が持っているのってもしかして、お酒じゃなくて葡萄ジュースですか?」
「はぁ、バレたか。せっかくワイングラスに入れてまで雰囲気作ってやったのに」
あっさりと認めたレイナールは、文句を垂れながらも愉快げだ。どこまでも軽さの抜けない彼に、シャーロットは小さくため息をつく。
「分かりますよ。殿下から全くお酒の匂いがしないですから」
言うとレイナールは、呆れたような顔をした。
「そんなことを気にする人間は確実に少数だ……あんまり飲まされると面倒だから、弱いことにしてるんだよ。実際そこまで強くはないしな」
「それはまた殿下のやりそうなことですね」
「おいおい、言い方ってものがあるだろ。祝賀会で一人だけ酔わないってのはいいぞ? その辺の貴族がちらっと口を滑らせた時、聞き漏らさずに済むからな」
「……それについてはお酒の力もあるかもしれませんが、どちらかというと殿下がナメられていることが功を奏しているような……」
「ははっ、否定は出来ない」
レイナールは愉快げに笑ったあと、シャーロットが飲み物を持っていない代わりにと、彼女の頬にワイングラスを当てた。
「ナメられてる俺と、可哀想な君に乾杯」
ガラスの表面が、ひんやりと冷たい。
レイナールが彼女を可哀想と称したのは、彼女の両親がそう思っていたからだろう。
もしかしたらニーナにかけられた言葉だって、彼は察しているかもしれない。
宝石のように鮮やかな紫色の双眸が、息を飲むシャーロットを静かに見下ろす。
夜だけが生み出す妖しげな影は、その絶世の美貌を引き立てるばかりだった。
黙ったままのシャーロットに、彼女の心でも読んでか彼は悪戯な笑みを浮かべる。
「いつになく良い雰囲気だな。キスでもするか?」
そう言うと彼は軽く腰を曲げ、顔をシャーロットと至近距離になるまで近づけた。
突然に視界を覆われたシャーロットは、反射的に少しのけ反る。
「……しませんよ」
「身持ちが固いなぁ、初めてでもないくせに」
拒まれても動じないレイナールは、いつものように軽口を叩く。
そんな彼にシャーロットは思わず口を尖らせた。
「初めてじゃないのは誰のせいだとお思いで?」
「さぁ?」
反省した風もない返事をしてから顔を離そうとしたレイナールを、しかしシャーロットはその襟元を掴んで引き止めた。
「ん……?」
この行動は流石の彼も予想していなかったらしく、見開かれた目はその驚きを雄弁に物語っている。
シャーロットは勢いのまま彼の頬に、触れるだけの口付けをする。早鐘を打つ心臓から強引に意識を離し、彼を正面から見上げた。
我に返ってしまわないうちに口を開く。
「殿下がお父様に仰られた言葉。少しだけ嬉しかったです」
「……」
いつもはシャーロットのお家芸なのに、今は彼の方が絶句している。
それが無性に可笑しくて、シャーロットは思わずくすりと笑った。
そんな中、ようやく彼の口を出た言葉は少し震えていた。
「……悪魔か、君は」




