20. 婚約パーティー
パーティー会場には、リンデル王国の高位貴族が勢揃いしていた。
みんなが主役であるシャーロットたちの方を、虎視眈々と見つめているようだった。
シャーロットは、何となく居心地の悪い気分になりながらも気にしていないふりをする。
そのまましばらく耐えたところで、ようやく時間になり、国王が玉座から立ち上がった。
「――今宵は、我が息子たちが愛と絆に満ちた未来に進むことを祝し、その幸福と繁栄がもたらさられんことを皆で願う機会とする。全ての者が素晴らしい時間を過ごせることを、切に祈っている」
普段の、政治におけるセンスが一切感じられない行動を連発する国王からは、全く考えられないほど威厳に満ちた祝辞を合図に、パーティーは始まった。
レイナールにエスコートされていたシャーロットは、どう立ち回ったものかと婚約者の様子を伺う。
婚約パーティー直前に生じた予想外のアクシデントによる心労が尾を引いているのか、その表情には微かな疲労の色が出ていた。
こういうことには一応人間味のある反応をするのかと、シャーロットは不謹慎にも少し安心する。
彼はすぐに動く素振りは見せず、ぼんやりとシャーロットの方を見つめた。
「……殿下?」
「よくよく見ると、だいぶ美人だよな、お前」
「はぁ……」
もう婚約して三ヶ月目なんですけど、とは流石に言えなかったシャーロットは、曖昧な返事をする。
ちゃんと着飾ったのは初めてなので、その出来を誉めてくれているのだと思うことにした。
「まあ、露出は少ない方が似合うな」
「……」
あまりにも余計な一言でかつ、あえて直接的な表現を避けられたことが却って気に障ったシャーロットは、閉口する。
今着ているオフショルダーが似合っていないとまでは言っていないのだろうが、そのあたりの露出が限界だろうという意図は確実にある発言だ。
シャーロットは自身のささやかな胸にあえて手を当て、凄みのある笑みを浮かべた。
「そう言えばダンスは久しぶりなので、腕が鈍っているかもしれません。殿下の足を踏んでしまう恐れがありますが、ご了承頂けると幸いです」
「踏まれるようなヘマはしないから安心しろ」
この上なく爽やかな笑顔で応対してくれるレイナールを、シャーロットは遠慮なく睨みつける。
しかしそれも、毎度のことながら効くことはない。
「俺はそれくらいの方が好みだぞ、可愛い可愛い」
世にも雑な誉め方をされ、シャーロットはふいっと顔を背ける。
「殿下の好みは聞いていません」
「いや聞けよ。曲がりなりにも婚約者だろ」
このレイナールの言い分には、遺憾にも幾許かの正当性が見受けられた。
自らの旗色の悪さを感じ取ったシャーロットは、渋々話題を変えることにする。
「ところで最初のダンスが始まるまで、まだ少し時間がありますよね。その間、別行動としませんか?」
「婚約パーティーで別行動……正気か?」
「ダメですか?」
質問を質問で返すシャーロットに、レイナールは頭痛を堪えるような、やや引き攣った笑みを浮かべた。
「……理由を聞いてもいいか?」
「初めてお会いするご令嬢方にご挨拶をさせて頂くにあたって、殿下が邪魔だからです」
「あー……」
シャーロットの言わんとすることを察したレイナールは、なるほどという呟きとは裏腹に、苦笑い浮かべる。
「……仕方ない。器の大きい俺は、君の散々な言い草に目を瞑ってやる上に、君が社交の場で俺というパートナーの元を離れる暴挙に出ることも許してやるとしよう。……気をつけろよ」
「心得ました」
シャーロットはレイナールににこりと微笑みかけた後、改めて会場内を見渡す。
傍からは仲睦まじく囁き合っているように見えていたレイナールとシャーロットに、多くの令嬢たちが顔を赤らめていた。
しかしシャーロットの視線は彼女らにではなく、少し離れたところを陣取る高位の令嬢たちの方を向く。
元々レイナールの妃の座を狙える立場にいたのであろう彼女らは、低位貴族の出であるシャーロットに対する嫉妬や憎悪の感情を隠しきれていない様子だった。
婚約してからの三か月間で、シャーロットに便宜を図ってもらえる立場になろうとすり寄ってきた令嬢たちについてはもう、とっくに懐柔し終えている。
しかしシャーロットを良く思っておらず、彼女の開くお茶会への参加も渋る令嬢たちについては、手をこまねいていたのが現状だ。
今日のパーティーが初対面に近い人も少なくない。
中でも幼少期からフレデリックやレイナールの妃候補に入っていたらしいソランジュ・ヴュイーユ公爵令嬢は、シャーロットの姿を見つけると厳しい顔つきになった。
シャーロットはソランジュが何か言いたそうな様子でこちらを見ていることに気づくと、迷わず彼女の元へと歩を進める。
ソランジュの周りには、取り巻きだろうか、三人ほどの令嬢が控えていた。
シャーロットの記憶によると、いずれもヴュイーユ公爵家と懇意にしている家の令嬢だ。
「――ごきげんよう、シャーロット様」
「――お初にお目にかかります、ソランジュ様」
ソランジュは柔和な微笑みを浮かべたが、その深紅の瞳は笑っていなかった。
ルビーのような瞳はアンナのそれを彷彿とさせるが、実際二人は血が繋がっているのだろう。
高位の貴族同士の結び付きが強いのはよくあることだ。
しかしソランジュがアンナと似ているのはそこまでで、彼女はその豪華な金糸を長く伸ばしてきつく縦に巻いていた。
ひねりのない王道のスタイルが、しかし彼女の美貌を堅実に引き立たせている。
王族に対する正式な挨拶をしに来た訳でもないのに、立場的には自分より上であるシャーロットに対して先に話しかけたのも、立派なマナー違反にはあたるが、わざとだろう。
自分の上に立つ者としてシャーロットを認めないという意思の表れだ。
こんなあからさまなことは、シャーロットの隣にレイナールがいればしなかったはず。しかし、そうと分かっていてシャーロットは自ら彼から離れることを選んだ。
表面だけ取り繕ってしこりを残すようでは、憂いを断てたとは言いがたい。これを機に全てに片をつけておくべきなのだ。
その手段を問うつもりもない。
「この度はご婚約、大変おめでとうございます。恋愛結婚だなんて羨ましいですわ」
「ありがとうございます。こんなにたくさんの方に祝っていただけて、私としても光栄の限りです」
当たり障りのない挨拶を交わしたところで、ソランジュはボーイに赤ワインのグラスをもらって一口飲んだ。
アルコールを摂取できるだけの余裕を演出しているようだ。
「……」
彼女の意外にも幼稚な行動に、身構えていたシャーロットは肩透かしを食らった気分になる。
「その貧相な……あら失礼、小柄な体で、いったいどうやって殿下を陥落させたんですの?」
「……っ!」
しかしソランジュのジャブに、シャーロットは思わず息を詰めてしまった。
やっぱりこれは幼稚な令嬢でも思いつくような、基本的な侮辱に使われる内容だったのだ。
それをレイナールは、悪気すらもなく流れるように垂れてくれた。
シャーロットの感覚は間違ってなどいなかったのだということを、皮肉にも敵対する令嬢が明らかにしてくれた。
……あの揶揄い性、どうしてくれようか。
淑女にしてはあからさますぎる動揺を見せてしまったシャーロットに、自分の言葉が効いたのだと勘違いしたソランジュは、目の前の少女をますます嘲る笑みを浮かべた。
彼女を取り巻く令嬢たちも、堪えきれずに目を半円形にしている。
「まあまあ、落ち着きなさって。そのドレスはとてもよくお似合いでしてよ。王族に相応しいかと言われると疑問が残ってしまいますけれど――あら」
ソランジュはワイングラスを持ったまま、バランスを崩してシャーロットの肩にワインをこぼし――そうになった。
「……っ!」
無論シャーロットのドレスを汚して惨めな思いをさせるための作為的な行動だったのだが、シャーロットがすんでのところでソランジュの手を掴んだことで、その目論見は不発に終わってしまった。
――シャーロットは英雄将軍アレクセイの実の妹。
平民だったころ兄の訓練の相手をして遊んでいた彼女にとって、この程度の危機管理はお手の物だ。
「高いヒールはバランスを崩しやすいですから、お気を付けになってくださいね?」
「くっ……!」
暗にヒールも履きこなせない彼女の未熟さを謗ったシャーロットに、ソランジュは悔しげに顔を歪ませる。
今のはわざとで、ヒールごときに苦戦する自分ではないのだと主張する訳にもいかないこの状況は、彼女にとって耐えがたいはずだ。
「――さて。流石にワインをかけられるのはドレスを作ってくださった仕立て屋さんに悪いので受け入れられませんが、他にしたいことがおありでしたら何でも仰ってください?
誰が王族になるに値するか、恨みっこなしの勝負をいたしましょう。
知識を比べ合いますか?
ダンスを比べ合いますか?
……それとも、殴り合ってみますか?」
「ひっ……」
温和な笑みを浮かべたままで世にも物騒なことを言うシャーロットに、ソランジュは顔を青ざめさせた。
たった今、彼女のワイングラスを手で掴むという並々ならぬ反射神経を見せつけたシャーロット。
最後の言葉も冗談のつもりはないのだろうと感じたソランジュは、後ずさるようにしてシャーロットの前を去った。
「……ソランジュに何を言ったんだ?」
タイミングを見計らってやってきたレイナールに対し、シャーロットは形の良い人差し指を自らの唇に当てて見せた。
「淑女同士の語らい合いは、いつだって殿方には聞かせられないものですよ?」
「……そうか」
それ以上の追及は野暮だと正しく理解したレイナールは、微かな笑みを浮かべたままその場で膝をつき、シャーロットの手に口づけを落とした。
「一曲お相手願えますか?」
「喜んで」
シャーロットは優雅なカーテシーで応えると、差し出された手に自らの手を重ねた。
パーティーの主役に大勢の視線が集まる中。
ヴァイオリンの奏でる涼やかな音が、失敗出来ない一曲目の始まりを告げた。