2. 勝負の日
シャーロットが啖呵を切ったあの日から、四年の月日が経った。
リンデル王国の寒い冬が明け、春らしい陽気が感じられるようになってきた。
今日は、第二王子殿下の誕生祭が開催される日だ。
参加する貴族たちはみな、準備で朝から大忙し。
それは王家に次ぐ地位を誇るサールグレン公爵家においても、全く例外ではなかった。
「大変お綺麗ですわ、奥様!」
「ドレスの色がとても鮮やかなので、アクセサリーは真珠のものを使うと引き締まって見えますよ!」
「御髪にはこちらのバレッタを使いましょう!」
使用人たちは主人を目一杯華やかにするため、ドレスや化粧品を手に奔走している。
公爵家における主従関係の健全さが、使用人たちの熱心な仕事ぶりによく現れていた。
――そんな中、今日の仕事を全て免除された使用人が一人。
公爵家当主の一人娘であるニーナの侍女兼家庭教師を務める、シャーロットである。
免除されたのは、彼女もパーティーに参加するからだ。
主人であるニーナが十二歳にして初めて社交の場に出るということで、お目付け役として随伴することになったのである。
子爵家の娘であるシャーロットは普通なら、王家主催のパーティーに参加出来る身分にはない。
この機会は、彼女にとっては降って沸いたような幸運である。
――と、周囲の人間は思っている。
「……今日で勝負が決まるようなものね。気を引き締めないと」
シャーロットは化粧台の前で一人、その決意を新たにした。
狙う男との婚約が叶うかどうかは、今夜の彼女の振る舞いにかかっているのだ。
円形の鏡の中で、桃色の髪の少女が彼女を見つめ返す。派手な髪色なのでドレスを選ぶ際には困らせられるが、母親とお揃いのこれは気に入っていた。
「わぁ、すごく綺麗ね、シャーロット! その姿なら、クロード様もきっと好感を持たれるわ!」
準備が整ったらしいニーナが、部屋に入ってくるなり、年相応の満面の笑みでシャーロットを褒めた。
駆け寄ってきたニーナが化粧台に頬杖をつくと、丁寧に巻かれたリンゴ色の髪がふわりと揺れる。
「まあ、お上手ですね。お嬢様もとっても可愛らしいですよ」
四年前とは全く異なる淑女然とした仕草をもって、シャーロットは品よく微笑んだ。
クロードとは、第一王子の側近の名だ。
第一王子が秘める、とんでもない気性の荒さがほとんど噂になっていないのは、クロードの尽力によるところが大きい。
そんな凄まじいやり手の男と、シャーロットは何とかして親しくなり、ゆくゆくは婚約にこぎ着けたいと考えているのであふ。
しかしその理由は、ニーナが信じるように彼を街で見かけて一目惚れしたから、などではない。
というか、本当は彼の顔など一度も見たことがない。
サールグレン公爵家に務めだして以降、ニーナのお目付け役としてパーティーに参加する権利を狙い続けてきたシャーロットの目的は、ただ一つだけ。
第一王子フレデリックが国王となるのを、食い止めることである。
〇
会場に到着したシャーロットは、大広間の荘厳さと煌びやかさに思わず身震いしながらも、まずは王族に挨拶をしなければと歩を進めた。
国王は少し遅れてやってくるので、今会いに行くべきは二人の王子たち。
開始早々、因縁のフレデリックと対面しなければならないということだ。
彼らの方に目を向けると、何やら一人の青年を加えた三人で談笑している。
加わった青年は紫色の瞳を持っていので、隣国であるナラネスラ王国の王族だろう。
この国の王子たちというということは、王太子であるヨエル王子だろうか。
改めて、とんでもない世界に飛び込んでしまったと身震いをするシャーロットだったが、幼いニーナの前で情けないところは見せられない。
隣を歩く赤髪の少女は、少し緊張した様子ながらも凛とした姿で歩いている。
教え子の勇姿に励まされたシャーロットは、王子たちを前に優雅な一礼をした。
「ごきげんよう、フレデリック殿下にレイナール殿下。マーセル子爵家が娘のシャーロットと申します」
「……久しいな、シャーロット」
第一王子フレデリック・リンドケルンはシャーロットを一目見ると、僅かに苦々しげな表情になる。
それでも、四年前の様子からは想像もつかない程に冷静な態度だ。
意外にも、パーティーの場で騒動を起こさないだけの分別はあるらしい。
「ええ、大変ご無沙汰しております」
シャーロットは白々しく微笑むと、改めて因縁の相手を見据えた、
こうして落ち着いて対面してみると、悔しいが彼が国民から一定の支持を得ている理由も見えてくる。
国王によく似た金髪と翠色の瞳は凛々しく、その鍛え上げられた大柄な体躯は頼もしい。
仕草はやはり荒めだが、それも溢れ出るカリスマ性だと解釈できなくもない。
シャーロット個人としては苦手なタイプだが、支持したくなる人も出てくることは十分に想像できる。
もっとも、シャーロットの実家に対して理不尽な脅迫をしてきた時点で、国王への適正は全く認められないが。
「あれ? 二人は知り合いなんだ」
フレデリックの隣に立っていた第二王子レイナール・リンドケルンが、その紫色の目を見開く。
「知り合いという程でもありませんよ、レイナール殿下。数年前に一度だけ、お会いする機会があったに過ぎません」
「そうなの?」
首を傾げるレイナールの瞳は、その隣に立つ隣国の王子と同じく紫色だった。
彼はリンデル王家の人間でありながら、その身にはナラネスラ王家の血も流れているのだ。
腹違いの兄フレデリックとは似ても似つかない彼だが、それはナラネスラ王家の出身である第二王妃の特徴を色濃く受け継いでいるからである。
線の細い体と温かみのある亜麻色の髪が、彼の心優しい性格を映し出している。
執務関係の仕事は不得手らしいが、その底を知らない優しさが国民の心を掴んでいた。
……まあ、シャーロットに言わせれば優しい以外に取り柄のない男だ。
しかしこんなのでも、フレデリックよりはマシなのである。シャーロットはこれから、この男を全力で国王の座に押し上げなければならない。
ため息を押し殺していると、レイナールの後ろから茶髪の女性が顔を出した。
「――あら、とっても可愛らしい子がきているのね」
さらさらの髪を肩のあたりで切りそろえた美しい女性は、ニーナを微笑ましげに見つめる。
「この方は……?」
「アンナ・シャブルー公爵令嬢だよ。悲しいことがあって塞ぎこんでいるようだったから、僕が色々な場所に連れ出しているんだ」
「もう、気を使わず言ってしまってよろしいのですよ、レイナール殿下。
お恥ずかしながら私は、三ヶ月前に婚約者に別れを告げられてしまったのです。
気弱な性格がうっとおしかったらしくて……でも、お優しい殿下が根気強く慰めてくださったおかげで、最近はとても調子が良いのですよ」
アンナはふわりとはにかみ、レイナール王子の腕にしがみついた。
「……そうですか」
その様子にシャーロットは、とうとう優しさにつけ込まれるようにまでなってしまったかと、一応は支持しているはずの王子に更なる失望を覚えた。
「……シャーロット嬢?」
王子二人があまりに心許ないので、いっそもう自分が女王になれたりしないだろうかと投げやりになっていたら、名前を呼ばれた。
先程王子たちと談笑していた、ナラネスラ王族の青年だ。
「私はナラネスラ王国第一王子のヨエル・ナラネスラだ。お兄さんにはお世話になったよ」
「やはりヨエル様でしたか。初めまして。わざわざお礼だなんて、大変恐縮です」
「何度でも言うよ。あなたのお兄さんは私の命の恩人だからね」
ヨエルは人好きのする笑顔を浮かべる。
軍隊の将軍であるシャーロットの兄が、まだただの一兵卒だった頃のこと。
彼は連合軍として共に戦っていたヨエルを、その身を呈して庇ったことがあるのだ。
ヨエルは律儀でありながらも、身のこなしに隙がない。
瞳の色こそ第二王子のレイナールと同じだが、おっとりとした性格のレイナールとは異なり、その一対のアメジストの奥には確かな知性が宿っている。
――どんな病も治す「癒しの力」を持つ者が度々生まれるナラネスラ王国は、またの名を「癒しの国」という。
女神に守られているとも言われる国で、いかにも無難そうな次期国王がいて、シャーロットは隣国を心から羨ましく思った。