15. 公爵令嬢の意地
三巡目でノエリアは、二つ目の的球をビリヤード台のポケットに落とした。
再び手球を狙い、キューを構える。
淑女たちの親睦会には、男など必要ない。
護衛は部屋の外で待機させているので、現在部屋にいるのはノエリアとシャーロット、アンナの三人だけだ。
ビリヤードがしたいと言ったのはノエリアだが、特別得意という訳でもないらしい。腕前は経験の少ないアンナやシャーロットと同程度だ。
恐らく、そうなるような遊びを狙って指定してくれたのだろう。
「ここでは角度的に難しいですわね……」
ノエリアは純粋にビリヤードを楽しんでいる様子で手球を睨む。アメジストカラーの瞳が鋭い光を帯び、緩く巻かれた栗色の髪が、主人の動きに合わせてふわりと揺れた。
ゲームに真剣になる姿さえも絵になる、美しい王女だ。
……しかしシャーロットには、彼女が本題を切り出すタイミングを伺っていることがしっかりと伝わってきていた。
張り詰める空気の中、シャーロットは緊張を隠すように、笑顔の仮面を被り続けていた。
――シャーロットはこの頃、王族について考えていることがある。
血筋がそうするのか環境がそうするのかは分からないが、彼らはみな多かれ少なかれ、民を導く資質のようなものを備えているような気がするのだ。
例えばヨエルは民に自分の全てをさらけ出し、国民に親近感を抱かせた末にそれを敬意に昇華させることができる。
反対にフレデリックは民に心の内を見せることはないかもしれないが、一方でその頼もしさとカリスマ性で、民を引っ張っていくことができる。
そしてレイナールは、一見自分をさらけ出しているように見えるが、その実隠された内面がある事までは勘づかせる。
しかし勘づいたところで、それを具体的な言葉にすることはついぞ出来ないような不思議な一面があり、それ故に気づけば吸い込まれているような、そんな求心力がある。
……ノエリアはヨエルの双子の妹でありながら、その雰囲気は従弟のレイナールの方に近かった。
彼女を見ていると、彼を敵に回したような気分になるのだ。
つまり、凄まじく怖い。
「ところでアンナ様。フレデリック様はお元気になさっているかしら?」
「……っ」
脈絡もなく、その時が来た。
シャーロットは心臓が激しく鼓動しているのをほのかに自覚しながら、改めて神経を研ぎ澄ます。
「ええ、お陰様で。直情的なところは残念ながら相変わらずですが、最近は私がいるからか、侍女の方々への態度が柔らかくなったとの噂ですよ」
アンナは、流石に少し顔を強ばらせながらも、公爵家の人間の意地をその優美な微笑みに滲ませた。
「まあ、左様ですか。フレデリック様が即位なさる日が楽しみですわ――もっとも、その時点で一度はリンデル王家に流れたナラネスラ王国の血が、消えてなくなりますけれど」
「……っ、それについては、不運が重なってしまった結果なので、こちらとしてはご了承いただくしか……」
ノエリアの嫌味にアンナが歯切れ悪くなるのは、仕方のないことだった。
二十三年前に勃発したリンデル王国対ナラネスラ王国の戦争で勝利したリンデル王国は、しかし敗戦国を吸収できるほど安定してはいなかった。
苦肉の策として、当時のナラネスラ王国の第一王女ローズマリーをリンデル国王の第二王妃に迎え、彼女を「人質」兼「友好の証」とした。
しかし、このやり方には問題があった。
友好関係を結ぶことを目的にした政略結婚では、相手国への敬意を示し、嫁いでくる妃を正妃とするのが礼儀とされていたのだ。
当時は間が悪く、若き国王にはすでに妃がおり、それなら王子の妃にしようにも、第一王子フレデリックはまだ二歳になったばかりだった。
リンデル王家は仕方なく、戦勝国であることにかこつけてローズマリーを国王の第二王妃としたのだが、それについては今だにわだかまりが残ってしまっている。
「わたくしたちナラネスラ王族は両国の友好のため、泣く泣くローズマリー叔母様を差し出しましたのよ。
それなのに現在、御子息であるレイナール様を王にしない可能性が高いと言われていますわよね?
つまり、叔母様はたった一代限りの和平のために犠牲になられたということ……」
ノエリアは手を口元に当て、目を伏せた。
悲しみを表現するにしても、いささか大袈裟すぎる表情だ。
しかしきっと、そう思われても構わないのだろう。
なんなら演技などせずとも二人を説き伏せられる、絶対的自信の表れだと思った方が良い。
シャーロットは、自分に直接向けられてすらいないその戦意に、思わず身を震わせた。
「それは……」
アンナが言葉に詰まると、ノエリアはこれ幸いと言葉を続ける。
「友好国として、このような扱いには納得がいきませんわ。
それでもフレデリック様を即位させるとおっしゃるのなら――フレデリック様の妃の座くらい、譲って下さってもよろしいのではなくて?」
その決定的な言葉に、アンナの握るキューがぴくりと震えた。
だがアンナも言われっぱなしでいるつもりは無いのか、瞳に強い意志を宿してゆっくりと口を開く。
「リンデル王国において王位継承者は純粋に、その資質によって決定されます。血筋も誕生した順番も、一切考慮に入りません。もちろんレイナール殿下が王位を継がれる可能性も、未だ無くなってはいませんよ」
アンナの度胸ある反駁に、シャーロットは密かに息を飲んだ。
確かに建前上、リンデル王国の王子たちは国王が王太子を選出するその日まで、平等に扱われる。
しかしそんな規則などとうに形骸化していることは、既にナラネスラ王国を含む、多くの周辺国の知るところだ。
結局は国王から一番覚えが良い王子が、立太子されるのである。
だがそれでも、慣習通りに王太子を決めているのだと言い張ることにこそ意味がある。
それは単純に現在、少なくとも表面上はレイナールよりフレデリックの方が優秀だからだ。
今は偶然、国王の寵愛と王子自身の資質が一致している状況にあるのである。
ここでノエリアがレイナールを王にすべきだったと言おうものなら、ノエリアこそリンデル王国の慣習を蔑ろにしていることになってしまう。
アンナはキューをブリッジに乗せて軽くかがみながら、淡々と締めくくった。
「――逆に言えば、申し上げにくいですが、レイナール殿下が王位を継げなければ、それは殿下の責任ということになるのです。
我が国のこう言った慣習については、貴国もご存知だったはず。
王位継承権の所在について、とやかく言われる筋合いはございません」
アンナの打った手球に当てられた的球は、少し離れたもう一つの的球に連動するように当たり、そのまま二つとも角のポケットに飲み込まれていった。
アンナの強い語気に、しかしノエリアは気分を害した様子はなく、逆に笑みを深める。
「まあ。わたくしは貴女を少しみくびりすぎていたようですわ、アンナ様。
確かにわたくしは、レイナール様が国王になれないからと言って喚く権利は持っていませんわね。
また、フレデリック様とは既にアンナ様が婚約されていることも事実。
今更割り込むには、少々分が悪いことは認めざるを得ませんわ。ですが――」
ノエリアは一拍空けると、ここまで長らく聞き役に徹していたシャーロットの方に目を向けた。
「――仮に、わたくしがナラネスラ王国の『癒しの国』たる所以である『癒しの力』を持っていたら、話は変わって来たりするのではなくて?」
「……っ!」
なぜ自分の方を見て言うのか、理解してしまったシャーロットは息を詰まらせる。
――どんな病をも治すとされる、ナラネスラ王国の一部の人間だけがその身に宿す、神の力。
人智を越えるそれが政治の世界に介入してくることを、シャーロットは最も恐れていた。
ここに来る直前にレイナールが貸してくれた小瓶を、忍ばせていた袖から静かに取り出し、お守りのようにぎゅっと握りしめる。




