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14. 兄妹の歩んできた道

 ノエリア王女は三人でビリヤードがしたいとの仰せらしいので、待ち合わせ場所はビリヤードテーブルの設置された、王宮の地下にある一室だ。


 階段を降りると、廊下の壁にかけられた薔薇が橙色の照明に照らされ、豪奢な絨毯に長い影を落としていた。

 夜の遊び場として作られたこの場所は、明るく優美な地上階とは異なる独特の雰囲気を醸し出している。


 侍女の案内で指定された部屋の前までやって来たシャーロットは、軽く深呼吸をしてからドアノブに手をかけた。


「え」

 

 しかし中に足を踏み入れると、想定していなかった人物の姿に、思わず声を上げる。

 目に入ったのは、淑やかな微笑みをたたえたノエリアその人と――


「お兄様!?」


 ――英雄将軍と謳われるシャーロットの実兄、アレクセイ・マーセルだった。

 こんなところで、実に三年ぶりの再会である。

 というのも、アレクセイの方は年に一度は実家に帰省しているのだが、シャーロットの方がしていないのだ。

 少ない休みはいつも、勉強や事件に関する調査で潰れてしまっていた。


 よく考えれば、ヨエルの命を救った英雄であるアレクセイは両国の友好関係の象徴のようなものである。

 ナラネスラ王国からやって来た王族であるノエリアの護衛につけるには、うってつけの人間だ。


「……シャーロット」


 アレクセイは妹が来ることを事前に知らされていたのか、驚きこそ見せなかったが、代わりに切なげな表情を浮かべた。


 シャーロットは不意をつかれた衝撃の中、改めて兄を見つめる。

 

 ……元々、妹の目から見ても優れた容姿をしていた。

 それを高位貴族の令嬢たちを引きつける餌として、無断で利用させてもらったことすらある。


 しかし五年間も王国直属の軍で揉まれ続ければ、変わってくるものもあるらしい。

 栗色の髪の甘さとサファイアブルーの瞳の柔らかさはそのままに、明らかに重心の安定した、鍛え抜かれた体躯と健康的な日焼けが、その凛々しさに磨きをかけていた。

 名ばかりのシャーロットなどより余程、心身ともにお姫様な義姉ができる日も近そうだ……


 少々ずれてきた思考に身を委ねていると、突然アレクセイに肩を掴まれた。


「きゃっ!」

「うわ、ごめん!」


 驚いて後ずさると、アレクセイとしても無意識のうちの行動だったのか、慌てた様子で謝る。

 しかし今度は何を思ったのかノエリアの方を向き、生真面目な彼にしては考えられない願いを口にした。


「……ノエリア様。五分で構いませんので、どうか時間を頂けませんか」


 シャーロットと二人で話したいということだ。

 アレクセイがここにいるのは、政治的意味合いが強いとはいえ、ノエリアの護衛をするためである。

 護衛対象の元から一時でも離れるのは趣旨に反する。

 

 もちろん化粧室などついていけない場所もあるので、そこまで厳密な縛りではない。

 しかし、アレクセイはその性格からして、余程のことがない限り趣旨を破ろうとはしない。


 珍しいこともあったものだと考えながら、返事を待たれるノエリアの方へ目を向けるが……

 

 ……彼女はその程度のことに目くじらを立てるような器ではないらしく、レイナールと同じ紫色の瞳を微かに細め、にこりと笑みを浮かべた。


「家族水入らずの時間を奪うような野暮は致しませんわ。他にも護衛の方はいらっしゃいますから、ごゆっくりなさって?」

「……感謝に堪えません」


 シャーロットにはその余裕が逆に恐ろしかったが、アレクセイには好都合だった。

 手を引かれ、廊下に出てから相対する。

 アレクセイは深刻そうな表情で口を開いた。


「……シャーロット、今まで本当にごめん。フレデリック殿下に疑われているのは僕なのに、何も関係ないシャーロットを巻き込んで、とんでもない迷惑をかけて……望まない結婚までさせてしまった」

「っ、お兄様……」


 ここにきて初めて彼の心中を察したシャーロットは、思わず言葉に詰まる。

 

 アレクセイはただ第一王妃の遺体を見つけて報告しただけなのに、殺人を疑われているからと、自責の念に苛まれ続けていたのだ。


 シャーロットと血を分けている事実が信じられないくらいに心優しい彼のこと。

 その苦しみは並みのものではなかっただろう。

 

 これまでシャーロットは自分の計画で頭が一杯で、兄の気持ちまで深く考えたことがなかった。


 英雄と謳われて激務に追われて、一家存続の危機の対処を妹に任せざるを得なくなって。

 身動きが取れないまま家族の心配をし続けて、どれだけやるせない気持ちだったことか。

 

 それなら実際に解決を目指して動けていたシャーロットの方が、余程幸せではなかっただろうか。


「……っ」


 目の奥のじんとした痛みに、溢れ出るものを堪えるために、拳をぎゅっと握る。

 言葉を探したが、先に口を開いたのはアレクセイだった。


「……結婚くらいは、シャーロットの幸せのためにしてほしい。父さんを連れて、他国へ逃げられないかな。

 父さんはずっと領地に引きこもってるし、シャーロットもまだレイナール殿下と婚約したばかりで、肖像画を描かれた訳じゃないでしょ?

 僕と違って顔が割れていないんだから、きっとまだ逃げられるよ」

「お兄様……私の髪は桃色ですよ」

「っ……」


 シャーロットの指摘したどうしようもない事実に、アレクセイは顔を歪める。


 シャーロットはまだ他国の人間とはそんなに会っていないかもしれないが、自国の貴族たちとは既に深い交流がある。

 未来の第二王子妃が亡きミロスラーヴァ妃と同じ、珍しい桃色の髪をしていることは、当然皆の知るところだ。


 これでは他国で身分を偽ったところで、ほとんど意味がない。

 そんなことにも気づかない程に、アレクセイは冷静さを欠いているのである。


 シャーロットは小さく息をつき、兄の肩にそっと手を添えた。


「……お兄様は神様から、比類なき戦の才能を授けられた方。お兄様の存在は今や兵士の士気にも強く影響していることに、あなただってお気付きでしょう。

 お兄様はこの国に必要不可欠な存在なのです」

「でも……」


 納得のいっていない様子の兄を、しかしシャーロットは無視して遮る。

 

「対して私はただの暇人です。

 つまりこれは家族で仕事を分業するにあたって、妥当なやり方なのです。

 お兄様が疑われているのはお兄様のせいではないのですから、何も気に病むことはないのですよ?

 お兄様は既に英雄なのですから、私にも少しくらい活躍の場を譲ってください――それに……」

「……それに?」

「――それに。ここでの婚約生活も案外、捨てたものではありません」


 アレクセイに聞き返される中、シャーロットは目まぐるしかったこの二ヶ月弱を振り返った。


 半ば脅すようにして求婚してきた旦那様との生活。

 どうなることかと思っていたが、案外充実したものだったと思う。

 レイナールには、お世辞にも物語に出てくる白馬の王子様のような、全てを優しく包み込む穏やかさはない。

 しかしシャーロットにだって、物語に出てくるお姫様のような慎ましさはない。


 それでも彼との他愛無い会話は楽しく感じるし、時節みせる意思の強さにはついていきたい気持ちにさせられるし……不覚にも、胸が高鳴ってしまう瞬間だってある。


 シャーロットは本当に満足だった。

 もはやどこにも悔いはなかった。


 シャーロットの微笑みが貼り付けたものではないと伝わったのは、長いこと離れ離れだったとはいえ、目の前にいるのが実の兄だからだろうか。


 アレクセイは未だ強張ったままの顔を、しかし懸命に小さな笑顔に変え、無言でシャーロットの選んだ道を肯定してくれた。


 そんな兄にシャーロットは目線だけで感謝を示し、踵を返してノエリアの待つ部屋の扉を開いた。


「あら、もう帰ってこられたの? もう少しくらい時間をとっても宜しくてよ」


 シャーロットの姿に、ノエリアは軽く目を見開く。


「お気遣いなく。ビリヤードが楽しみで、つい早く切り上げてしまいました」

「ふふっ、それはお兄様が可哀想ですわね」

「妹の小さな我儘を許すのが、兄の務めでしょう?」

「まあ、私のヨエル様(お兄様)にも是非お聞かせしたい言葉ですわ」


 シャーロットとノエリアは、互いに笑みを浮かべる。


 戦いの火蓋は、静かに切られた。

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