13. 隣国の王女は物申したい
気づけばもう、婚約パーティー前日。
王族の婚約ともなると一大イベントなので、周辺諸国の王族も多く参加する。
移動に時間がかかる彼らの中には前日からリンデル王国に入り、王宮で一泊して旅の疲れを癒してから参加する者も多い。
シャーロットは周辺国の王族たちとの挨拶を終え、レイナールとともに今一度、パーティーの参加者を確認していた。
「この、お名前の横についている記号はなんですか?」
シャーロットが口を開く。
名簿にあるいくつかの名前には、左側に、赤や青など様々な色の円が描かれていた。
「あー、同じ色の記号がついてる奴らは多分仲が悪いから、互いに近づけない方がいい」
「……王族のパーティーでは、そんなことまで考える必要があるのですか」
レイナールの説明に、シャーロットは戦々恐々としかがら質問を重ねる。
「そういう訳ではないが、俺は一応『ちょっと抜けた平和主義者』みたいなキャラクターでやっているからな。
諍いやマウント合戦が始まると、対応が面倒なんだよ。
それなら初めから、少なくとも俺の周りは平和が保たれるように手を回しておいた方が楽だろう?
だから一応、パーティーに参加するごとに参加者それぞれの印象を書き記しているんだ」
「……殿下も苦労しますね」
自らの置かれた立場に順応しきって、もはや困ってすらいない様子の婚約者に同情する。
「ん? その指はどうしたんだ?」
一方で、シャーロットの指先に目を向けたレイナールが目を瞬かせた。
右手の人差し指に、薄い布が巻かれていたのだ。
怪我に言及され、シャーロットは無意識に布を親指で擦る。
これはほんの小さな可能性を確かめようとして……失敗した結果。
今はまだ、口にしなくても良いことだ。
「……紙で切ってしまっただけです。大した傷ではありませんよ」
「そうか……重要なパーティーの前日にまで、書類仕事を手伝わせて悪かったな」
「殿下の書類で切った訳ではないですよ。それに明日は手袋をするので、多少の怪我はバレません」
意外にも心底申し訳なさそうな顔をされて、シャーロットはくすりと笑ってしまった。
レイナールはシャーロットの認識に納得がいかないようで、不満げな表情を浮かべる。
しかし彼が口を開く前に、書斎の扉にノックがかかった。
入るように言うと、姿を現した使用人は当惑を隠しきれない、少し青ざめた顔で口を開いた。
「……あの、ノエリア様がシャーロット様をお呼びで……アンナ様も含めて三人でゆっくりお話がしたいと……」
「まあ。ノエリア様といえばナラネスラ王国の第一王女ですよね。一体なんの御用でしょう?」
ノエリアは、ナラネスラ王国の王太子であるヨエルの双子の妹。今年で二十四歳だったはずだ。
ナラネスラ王国では最近鉱脈が見つかって、ヨエルはその整備にかかりきりらしい。
代理で妹を送るとの報告があったことは、シャーロットも知るところである。
何事だろうとシャーロットが首を傾げる一方で、使用人の前だからと瞬時に「表の顔」に切り替わったレイナールは何かを察したらしく、貼り付けた笑みを器用にも微かに引きつらせていた。
「……彼女は、長年に渡って兄さんへの求婚を続けてきた女性の一人なんだ」
その言葉に、ようやく状況を察したシャーロットも苦い顔になった。
次期リンデル王国国王の最有力候補であるフレデリックの妃の座は、言うまでもなく魅力的なもの。
狙っていた者は多かっただろうが……その一人が隣国の王女ともなると、無視するのにも苦戦してきたことだろう。
ナラネスラ王国の王女ならば十分好条件の相手とは言えるだろうが、フレデリックが首を縦に降らなかった理由は明白だ。
ノエリアはレイナールの母方の従姉、つまりは十中八九レイナールの味方である。
そんな人間を、フレデリックが側に置きたがるはずがない。
「……ノエリア様は、ぽっと出とも言えるアンナ様との急な婚約に、物申したいお気持ちがあるのでしょうか」
「多分ね」
「ですよね……あれ、それなら何故、私も呼ばれているのです?」
シャーロットはレイナールの婚約者だが、そのレイナールとノエリアは従姉弟同士である。
最近は血の近すぎる者同士の結婚は忌避される傾向にあるので、恋敵にはならないはずだ。
王女の行動の不自然さを指摘すると、今度は使用人が、恐る恐る口を開いた。
「『アンナ様をいびるつもりはなくてよ。なんでしたら、シャーロット様にもついていて頂きましょう』だそうです」
生真面目にも一言一句違わずに報告する使用人。
シャーロットは二人の対話の監視人、といったところか。
その一言に王女の雰囲気がしっかりと伝わってきて、シャーロットは嫌な予感が増すばかりだった。
「……大体分かりました。ノエリア様には、少しだけお待ち頂くようお伝えください」
なんとか王族の機嫌を損なわずに済んで、ほっとした様子の使用人は、一礼をして部屋を出ていった。
「あの女は面倒だぞ……健闘を祈る」
過去に余程のことがあったのか、レイナールは少し遠い目をした。
「まあ、私はただの付き添い役らしいですし……」
見通しの甘すぎる考えだとは分かっていながら、現実逃避を目的に呟いてみる。
アンナは男性を陥落させるという面に限っては一流とも言える技術を身につけているが、女性同士の諍いとなると少々不安がある。
国の最高位貴族である公爵家の娘で、女性の中で唯一彼女より身分の高い「王女」という存在は、現在のリンデル王国にはいない。
彼女は、「分不相応だ」といった糾弾を受けることには慣れていないと考えるのが自然だ。
一方でシャーロットは元々平民からの成り上がり貴族な上、サールグレン公爵家に取り入るために高位の令嬢たちとも盛んに付き合ってきた。
残念ながらと言うべきか、そのような視線を受けた経験は多く、こういった状況への対処には余程適任だといえる。
シャーロットが一肌脱ぐことを求められる展開になることは十分に考えられるというのが、彼女の冷静な見立てであった。
他方、敏感にもシャーロットの不安を感じ取ったらしいレイナールは目を伏せて、彼女の頬にそっと手を当てる。
「……殿下?」
唐突な仕草に戸惑ったシャーロットは首を傾けるが、レイナールは応えることはせず、彼女の額に触れるだけの口付けをした。
「……っ!?」
思わず押し黙ると、今度は頭に手のひらを載せられる。恐る恐る上に向けた目線が、僅かに腰を屈めた彼のそれと合った。
「――ん、俺の頭脳を君に預けた。これでもう心配はいらないから、存分に楽しんでこい」
レイナールはその綺麗な顔に、誰もが蕩ける柔らかな微笑みを浮かべる。
「……私に全てを丸投げした上に、言外に私の頭が悪いと仰ってます?」
照れを隠すため、少し早口になってしまっているのを自覚しつつも指摘を入れると、彼はその笑みを悪戯っぽいものに変えた。
「気づいたか。君もなかなか隅に置けないな」
「……馬鹿にしないでください」
シャーロットは素っ気なく返して目を伏せ、ドレスの皺を軽く伸ばして心の準備を整える。
軽く息をついてから再度、今度は真剣な面持ちで婚約者の方に顔を向けた。
「殿下」
「どうした?」
「どこかに小瓶があったりしませんか? 標本を入れておくような、なるべく小さいものが望ましいです」
侍女に頼まないということは、持っていくのをなるべく人に知られたくないということ。
レイナールは愉快げな笑みを浮かべた。
「その武器はどちらかというと、俺に対して使うべきなんじゃないか?」
「……この僅かな情報でどんな武器なのかがバレている時点で、あなたには使えそうもありませんね」
レイナールは婚約者にジトリとした目を向けられながらも、その笑みを崩すことはなかった。