12. 殿下には泣き落としが有効
「――これまでは、あらゆる生産手段が貴族階級に集中していましたが、最近は商人の台頭が顕著です。
貴族を挟まない、平民同士の物品の売買がもたらす経済効果も無視できないものとなってきています」
「へぇ……貴族の影響力が弱まりつつあるってこと?」
婚約パーティーの日が大分近づいてきた中、アンナの勉強も順調に進んでいた。
アンナは人に教わるやり方が性に合ったらしく、ツヴァイト・プリレーゼの認定取得も近そうだ。
シャーロットの私室に二人集まって、侍女も見守ってくれている中、資料をめくる。
「そうですね……市場が一部奪われたという点ではそういうことになるかもしれませんが、一方で競争が激化したことによる農業技術の革新や、有力な平民が台頭したことによる高級志向製品の需要の拡大などがあり、一概に貴族にとって悪いこととは言えないだろうと、でん……そういうことみたいです」
殿下が仰っていました、なんてうっかり言ってしまいそうになって背筋が冷えるが、シャーロットはそれをおくびにも出さず、再度資料に目を落とした。
「へぇ、現状を色んな視点から見るのが大事なのね」
「ええ。例えば軍事が土地利用に与える影響について考えてみるのも、面白かったりしますよ?」
「そう……」
シャーロットが微笑むと、アンナは何故か彼女の方を見て、訝しむような顔をした。
「……アンナ様?」
問うような声音で名前を呼ばれると、少し言いにくそうに一瞬視線を外してから、再度目の前の少女と顔を合わせて口を開く。
「――失礼だけれどあなた、本当に恋愛結婚なの?」
「……っ!」
警戒していたのとは違う角度からの問いに、シャーロットは思わず息を詰まらせたのちに、逡巡する。
――ここに来て、レイナールの計画がフレデリック側にバレるのは痛すぎる。
顔が引き攣りそうになるのを堪えながらも、シャーロットは一旦、反省より対処を優先することにした。
努めて冷静に、最終目的から逆算した対応を考える、
……とりあえず、究極的にはシャーロットがフレデリックに、ナラネスラ王国への訪問に連れて行ってもらえさえすればいい。
弟の大切なものを奪わせる、というやり方が最も確実ではあったが、これについては多少不自然ながらもシャーロットが国王に好かれていることを利用して、どうにかする方法もなくはないだろう。
また、怪しまれることで色んなところを探られ、レイナールの本性がバレたりする方がよほど痛い。
「……バレましたか」
決まり悪く笑みを浮かべると、アンナは秘密を暴いてしまったことを後ろめたく感じたのか、少し困ったような顔をした。
「……その、シャーロット様の性格的に、レイナール殿下と一晩で意気投合するとは思えないというか……殿下は知識や国家戦略よりも、身近な人との関わりを大切にするお方だから……」
アンナは、少々言い訳じみた口調で考えていたことを口にする。レイナールについても言葉は選んでいるものの、要は優しいだけが取り柄だと評している。
……シャーロットが初めてレイナールと対面したときに下したのと、全く同じ評価だ。
なまじ素の彼とは、業腹なことにある程度考え方が似通っていると感じていたせいで、傍から見ると相性が悪いことに、まるで気を回せていなかった。
疑う余地なく、身から出た錆だ。
「……それまでよりも良い暮らしがしたくて、殿下の人の良さにつけ込みました」
嘘をつく罪悪感がじわりと沸いたが、シャーロット自身とその家族、そしてレイナールの未来には代えられない。
軽蔑されたかとアンナの様子を伺うと、彼女の顔からは笑みこそ消えていたが、シャーロットがあまり想定していなかった表情を浮かべていた。
目を細め、口を一文字に結んでいる。
公爵令嬢という立場にはそぐわない表情でありながら、元々彼女の顔立ちが整っていることもあり十分に可愛らしいといえる。
そして示しているのは軽蔑というより……悔しさ。
「……たった一晩で、どんな手を使って婚約にこぎつけたのよ」
「え、あの……動機が不純だったことは批判なさらないのですか?」
初手から目的ではなく、手段の方を聞いてきたことにシャーロットは目を丸くしたが、アンナは当然でしょう、と呆れ顔を浮かべる。
「私は人にとやかく言える立場にはないわ。私なんて少しでも大きい権力を持った人と結婚することを、人生の目標にしているもの」
「あ、あー……」
けろっと恐ろしいことを言うアンナに対し、確かにそうですね、と言うわけにもいかないシャーロットは曖昧な反応になった。
「……レイナール殿下とは三ヶ月もの間頻繁にお会いしていたけれど、あの人畜無害そうなお顔に違わず、媚びてもおだてても効きやしなかったわ。一応は照れたような顔をしてくださるけれど、演技だってことくらい私には分かった。仕方ないから誘惑じみた真似までしても、笑って流されるだけ……正直、本当に男なのか疑いそうになったわ」
「それは……」
……正直、思い当たることしかない。
シャーロットは、自分とアンナが同一の作戦に出たことがあり、そして形は違えど二人してあえなく撃沈されていた事実に、表情筋が固くなった。
「いったい、どうやって落としたのよ」
アンナはシャーロットの方に、僅かに体を乗り出して興味を示す。
ここで落としたとは無論、「恋に落とした」という意味ではなく「婚約を結ぶよう言いくるた」という意味である。
「……私には将軍をしている兄がいるのですが」
「もちろん存じているわ。英雄将軍のアレクセイ様でしょう?」
「そうとも呼ばれていますね。
しかしお兄様は、大変名誉な職に就かれた一方で、王都で多忙を極めました。
辺境に住む私たち家族の元に帰ってこられない状況になってしまったのです。
貴族の方々にとってはそれも普通なのかもしれませんが……私はそれまで平民で、お兄様が遠くに言ってしまう覚悟など出来ておりませんでした。
こちらから王都に赴いたところで簡単にお会い出来る訳でもなく……あまりに寂しいので、せめて仕事中の姿だけでも姿を見られる環境にいられたらと……――そう思っていたことにしました」
「……私が言うのもなんだけれどあなた、女優ね」
咄嗟に、かの誕生祭でクロードが同情的な人物だった場合に使うつもりだった、泣き落としの策を話してみると、アンナは少し引き攣った笑みを浮かべた。
「心優しい殿下は恋愛結婚のふりまでしてくださって、正直気が引けるのですが……ここまで来たら、もう開き直って何でも享受させて頂こうと思いまして。気にしないことにしました」
「それは……いえ、なんでもないわ。あなた達が恋愛結婚でないことは、フレデリック殿下には内緒にしておくわね」
「……え? あ、ありがとうございます」
アンナに秘密がバレる愚を犯したシャーロットとしては、フレデリックに全てを内緒にしておいてくれる気遣いはとても有り難い。
だがにこりと微笑むアンナにシャーロットは、全てを見透かされているような気がしてならなかった。
思わず黙って息を飲むと、アンナが口を開いた。
「ところでシャーロット様、婚約パーティーに着ていくドレスをどうするかは、もう決めていたりするかしら?」
話題を変えてくれたアンナの好意に甘え、シャーロットは表情を切り替える。
困ったように眉を下げ、苦笑を浮かべた。
「そうですね……一応色までは決まっているのですが、細かいデザインを考えるのがどうにも苦手で……」
「それは大変ね。オートクチュールにするのが暗黙の了解みたいになっているから、既製品で妥協することも出来ないし。良ければ手伝うわよ?」
「本当ですか?」
降って沸いたような申し出に、実はそれなりに困っていたシャーロットは目を瞬かせた。
「ふふっ、任せなさい! 色は決まっていると言ったけれど、何色がいいの?」
「水色です」
「……そうなの? てっきり緑色かと」
「緑色? なぜです?」
「……いえ。なんでもないわ。そうね、水色は控えめな色味を好まれるシャーロット様にしてはちょっと意外ね。でも新鮮で良いと思うわ!」
アンナの指摘は、シャーロットも自覚するところだった。
桃髪の主張が強いために、淡い色のドレスを着ると喧嘩してしまいやすい。それ故にこれまでネイビーブルーやビリジアンなど、濃い色味の物を好んで着用してきたのだが……
「……水色は、殿下が何故かどうしてもと」
「そうなの?」
理由はついに教えてもらえなかったが、レイナールから水色が良いと強く言われていた。
シャーロットにはそこまでの拘りが無かったのでとりあえず頷いたが、そのせいでオーダーの難易度が格段に上がってしまったので少しだけ、安請け合いすべきでは無かったような気もしてきている。
――そんな心中で、シャーロットが苦笑を浮かべる中。
アンナは少し思い至ることがあり、先日の記憶を呼び起こしていた。
実は一週間ほど前に、王宮専属の服飾士が突然アンナの私室にやってきていた。
婚約パーティーで着るドレスはシャーロットが着るものの補色である、赤色にするように言ってきたのだ。
アンナがシャーロットの脇役のような扱いをされることについては、全く驚かなかった。
桃色の髪を持ったシャーロットの方が、国王に気に入られているというだけのことだ。
アンナがレイナールからフレデリックへ、易々と乗り換えたように見られていることも原因の一つだろう……まあ、これについては事実以外の何物でもない。
レイナールよりもフレデリックが愛され、アンナよりもシャーロットが愛されている。
国王からの覚えの良さという面では、奇しくも均整が取れたような状態になっているのだ。
とはいえそんなことをさして気にしている訳でもないアンナは、赤いドレスを着ることにも文句はなかったので、一も二もなく頷いた。
シャーロットが着るのは緑色なのだとばかり思っていたのは、それが赤色の補色だからだ。
……しかし改めて考えるとそれは、亡くなった第一王妃ミロスラーヴァが好んで身につけていた色。単純に、彼女の目の色が緑色だったためによく似合っていたのである。
対してシャーロットは、髪こそ色味までミロスラーヴァとよく似ているが、その瞳は鮮やかなサファイアブルーだ。
つまりシャーロットを亡き妻と重ねる国王陛下が緑色のドレスを希望し、それにレイナールが反発したといったところだろう。
二人とも随分大人気ないことをしたものだ。
――案外、多少はぐらついているのかしら。
シャーロットには聞き取れない独り言を呟いた後、アンナは笑顔でシャーロットに向き直る。
「そうねぇ。レイナール殿下はかなり温厚な性格で、プライドもあまり高くはなさそうよね。そういうタイプは、たまに甘えさせてあげると喜ぶものよ」
「……なんの話です?」
突然の話題転換に困惑気味のシャーロット。
そんな彼女を尻目に、しかしアンナは構わず言葉を続けた。
「例えば……そうね、頭を撫でてあげたりするのはどう?」
「……え?」
「立場上私には難しかったけれど、婚約者のシャーロット様ならタイミングを見つけられるはずよ」
「……それはなんとなく、厳しいような」
一応は言葉を濁すシャーロットだったが、内心ではなんとなくどころではなく、無理だと確信していた。
己を優秀と称す上に人をからかうのを楽しみにしているような男だ。
どこからどう見てもプライドは高い。
シャーロットは猫かぶり男に対する日々の鬱憤を全部、アンナにぶちまけてやりたい気持ちをどうにか堪える。
彼女は顔に見事な笑みを貼り付け、たまには恋愛指南も面白いですね、とまで言ってのけた。




