11. 堕ちた妖精姫
書斎のソファでシャーロットは、レイナールにアンナとのお茶会の顛末を報告した。
並んで座るのも最近では恒例となりつつあり、もう気まずくはない。
……気まずくなくなったこと自体の是非については、あまり考えないことにしている。
「――ツヴァイト・プリレーゼの勉強?」
「ええ」
シャーロットの話を聞き終えたレイナールは、目を丸くした。
彼としても、シャーロットに対するアンナの振る舞いは想定外だったらしい。
「……アンナがそんなに明るく振る舞うところなんか、一度も見たことがないぞ。一応、数ヶ月に渡って一緒に過ごしてたはずなんだが……あのか弱く可憐な雰囲気は、本当にガチガチの演技だったんだな……」
身震いをするレイナールが面白くて、シャーロットは思わず笑みを浮かべた。
「ふふっ、役作りにおいては、殿下に勝るとも劣らない技術をお持ちのようですね」
「そういう君も相当だぞ。なぜここには変な女しかいないんだ?」
「まあ。そこまで綺麗にご自分を棚に上げられるものですか」
シャーロットがわざとらしく手のひらを口元に当て、驚きを表現したところで、レイナールは何かを思い出したらしく、ニヤリと笑った。
「――そんな俺たちに朗報だ。自慢の演技を高位貴族全員にお披露目する時が来たぞ」
「……はい?」
シャーロットが首を傾げて続きを促すと、レイナールはますます笑みを深める。
「まずは聞いて驚け。俺たちは現在、結婚秒読みの婚約期間真っ只中だ」
「それは驚きました。一ヶ月前の私は、一体全体なにを考えていたのでしょう」
「さあ、それには俺もさっぱりだ。おおかた残念な頭でもしていたんじゃないか?」
仮にも婚約者を相手にしているとは思えない、とんでもない軽口を叩くレイナール。
しかし彼はその口調とは裏腹に、シャーロットの手のひらを、少なくとも見かけ上は愛おしげに撫でた。
――実は最近、彼はかなり頻繁にこういった行動に出ている。
この二か月間レイナールは、それはそれは計画に忠実に、周りに対して二人の仲の良さを強調することを意識し続けた。
その結果信じがたいことに、彼はシャーロットと近い距離を保つことが無意識の癖になりつつあるのだ。
なんとなく指摘し辛いシャーロットにとっては、うっかり頬を染めてしまわないことに全神経を集中させざるを得ない、拷問のごとき時間である。
一応レイナールとて自身の、虫も殺さない清純な王子としてのイメージが大切なので、あまり派手なことはしてこない。
だが今のように手に触れるくらいなら、二人きりの時でも平気でしてくるようになった。
彼ばかりが距離の近さに慣れて、自分はいつまで経っても動揺している現状にシャーロットは、内心忸怩たる思いだったりする。
「……婚約パーティーを開催なさるのですね?」
レイナールの口ぶりから言いたいことを察したシャーロットは、口を開いた。
「その通りだ。まあ、俺たちと兄さんたちのを合同で行う形ではあるがな」
「そうなのですか、その決定は少し意外ですね。王族の婚約パーティーなんて、王室の権威を民に印象づける数少ない機会でしょう。合同でやってしまうと、ケチくさいと思われませんか?」
合同で行うことに不満があるというよりは、戦略として不自然だと感じたシャーロットは首を傾げた。
「いや、君には辛気臭い話ばかりしてきたから感覚にないかもしれないが、実は政治的には、権威の誇示よりも俺たち兄弟が平等を扱われることの方が重要なんだよ」
「あー。王位の継承は、個人的な贔屓をしうる国王の一存などではなく、純粋な資質で決められているのだとアピールするためですか。それで私たちは同じ日に婚約しているから、パーティーも同じ日に、と」
「そういうことだ。笑えるだろ?」
「……笑えますね」
現状は、民にアピールしている内容とは真逆。
王位の継承はほぼ国王の一存で決められている。
あまりにも皮肉な措置に、二人は揃って呆れ顔を浮かべた。
「まあそういう訳で、来月、婚約パーティーに主役として参加することになる。心の準備だけしておいてくれ」
「かしこまりました。……久しぶりにニーナ様にもお会い出来そうですね」
はにかむシャーロットに、レイナールも心做しか表情を和らげる。
「サールグレン公爵家の一人娘か。俺との婚約以前は、彼女の侍女をしていたんだったな」
「ええ。急なお別れだったので、お会いしたら謝らなければなりません」
国の筆頭貴族の娘でありながら、無邪気な笑顔を絶やすことのなかったニーナに思いを馳せる。
まだ幼く、普段は少しお転婆なところもあったが、ここぞという時には優雅な所作で場を引き締められる、尊敬すべき少女だった。
「サールグレン公爵家と言えば、ミロスラーヴァ義母上の実家……狙ったな?」
「無論です」
目的を持って動いていたことを、シャーロットは悪びれもせず認める。
彼女がかの公爵家に就職したのは、ミロスラーヴァの死に、兄が関わっていないことを示すような情報があることを期待したからだ。
「何か見つけられたか?」
「そうですね。僭越ながら、公爵閣下の書斎を漁らせて頂いたのですが――」
「普通に犯罪だな」
レイナールの至極真っ当な指摘は無視して、シャーロットは言葉を続ける。
「――めぼしい情報は特にありませんでした。唯一興味深かったのが、妖精姫アイリーン様についての裏情報でしょうか」
「ほう? ミロスラーヴァ義母上の母親がどうした」
シャーロットの話に興味が湧いてきたのか、レイナールは肘掛けから手を離し、体を彼女の方に向けた。
「アイリーン様は、国民に広く伝えられているように崖から落ちて亡くなったのではなく、失踪していたそうなのです」
「そうか……」
複雑な色彩を放つレイナールの瞳は、彼の思考を映し出さない。
シャーロットは目を逸らし、自分でも願望に過ぎないと分かっている仮説を述べた。
「アイリーン様の失踪に何らかの原因があったとすれば、そのご息女であるミロスラーヴァ様も亡くなった訳ではなく、同じ原因で失踪した可能性があるのでは無いかと……」
その口ぶりから、シャーロット自身もそこまで信じていない仮説だということを正しく理解したレイナールは、少し言いにくそうに口を開いた。
「……いや。残念ながら義母上の遺体は、俺がこの目で確かに見ている。君も知るとおり、胸をナイフで一突きだ。アイリーンについては別件……というか、不倫だったんだろうなぁ……」
レイナールは目を伏せ、指先でシャーロットの桃色の髪を一房すくい、それを指にくるりと巻き付ける。
シャーロットは一瞬、口をつぐんだ。
不倫は彼女とて想像したこと。
しかしそれが他人の口から出ると、途端に現実味を帯びてくる。
「……私の母も、この桃色の髪を持っています。そして母は、孤児院の出身です」
「……君の母親は不倫の証拠となる赤ん坊として、アイリーンに見捨てられたと考えるのが自然だな」
――未だ行方の分かっていない妖精姫に、死んだ第一王妃。
シャーロットは多分、彼女らと血縁関係にある。
数少ない自慢の桃髪が、今は目に毒々しく映る。
気づけば震える手で、レイナールのシャツの裾を掴んでいた。
「……あ」
すぐに我に返って離れようとしたが、意外にもその手を逆に掴まれた。
彼は反対側の手を彼女の髪から離し、代わりにソファについて自らの体重を支える。
そして、シャーロットに顔を近づけ、額をこつんと合わせた。
いつになく近づいた距離に、シャーロットは目を瞬かせる。
また彼の気まぐれかと考えるが、毎度のことながら彼の表情からは何一つ読み取れない。
それでも呪いをかけられたみたいに、シャーロットは彼から目を離せなくなった。
……ついさっきまで視界を彩っていた本棚や間接照明の存在感が、この上なく希薄になる。
初めて肌で感じた彼の息遣いに、意識を向けたのもつかの間。
紫色の双眸からの、射抜くような視線に少女は息を飲んだ。
「――あまり舐めるな。俺は、父上のようなヘマはしない」




