10. 第一王子妃とのお茶会
シャーロットがレイナールと婚約してから、ふた月が経った。
相変わらずレイナールの執務は手伝っていて、かつ二人の仲の良さを全力でアピールして回っている。
その努力が功を奏した形で、王宮内でもその外でも、二人はラブラブのカップルとして浸透しつつあった。
シャーロットはこの事実について、喜べば良いのか不本意だと叫び散らせば良いのか、決めかねているところである。
ところでレイナールは、シャーロットに仕事を手伝って貰っているとはいえ、未だ非常に多忙な生活を送っている。視察等で遠くへ赴かなければならないことも多い。
当然だが、シャーロットと遊んでばかりいられる訳では無いのだ。
そんなときは、シャーロットもシャーロットで別の仕事に勤しむことになる。
貴族女性にとっての戦場である社交の場を、国の最高権力者に近い王子の婚約者として主催するのだ。
正直これは、シャーロットの得意分野だった。
まず事務仕事については、元々レイナールを手伝えるだけの手腕がある。
そして実際の社交の手腕については、シャーロットが子爵家の娘の身でここまで上り詰めたことが全てを物語っている。
彼女は着々と、王宮に訪れるご令嬢たちとの親交を深め、その社交界における立場を固めつつあった。
――が、今日のお茶会だけは、そんなシャーロットでさえ全く気乗りのしないものだった。
「はぁ……」
「大丈夫ですか、シャーロット様? お加減が優れないようでしたら、本日のお茶会は延期にされても……」
珍しくため息をつくシャーロットに、彼女専属の侍女は気遣わしげな表情を浮かべる。
「……大丈夫です。私もそろそろ、アンナ様とお話をしてみたいと考えていたところですから」
今回お茶会の招待状を送ってきたのは、つい先日、シャーロットたちの婚約と同時にフレデリックの婚約者となった、アンナ・シャブルー公爵令嬢。
元々はレイナールが兄に押し付けようと考えて近づいた彼女だが、レイナール曰く裏では浮気性で有名。
上昇志向も非常に強く、たった一夜でレイナールから、より王座に近いフレデリックに乗り換えている。
シャーロットが初めて彼女を見たのはパーティーのときだが、記憶にあるのはレイナールに分かりやすく媚びる姿と、フレデリックと情熱的なキスを交わす姿の二つのみ。
思い出しただけで、無意識にげんなりとした顔になってしまっていた。
未だ王太子が決まっていない現在、表面上アンナとシャーロットの立場は対等。
しかし実情としては、フレデリックの方が明らかに王位に近く、またアンナは最高位の貴族である公爵家の娘であるのに対し、シャーロットはしがない子爵家の娘。
認めたくは無いが、対面する前から勝敗は決まっている。
お茶会への参加について、一応レイナールにも相談してみたが、「好きにすればいい。やらかしたら俺が何とかしてやる」とのこと。
表情ひとつ変えずその返しが出来るのには流石の一言だが……かっこいい旦那様というよりは、頼れる上官といった趣である。
そこまで言われると、行く他ないような気がしてきてしまった。
それすらも彼の狙い通りなのかもしれないと思うと癪だが、シャーロットとしても対立する王子の婚約者の誘いを断るのは、流石に下策だと感じている。
シャーロットはその、紺色のアフタヌーンドレスにシルバーのアクセサリーが合わせられた華やかな服装とは裏腹の、憂鬱な表情を浮かべた。
〇
シャーロットが赴いた王宮の庭園には、既に純白の丸テーブルと二脚の椅子が据えられていた。
テーブルの上のケーキスタンドには色とりどりのスイーツも用意されていたが、王宮のシェフが腕によりを掛けて作ったであろうそれらも、今のシャーロットの食欲を煽るには至らない。
「――ごきげんよう、シャーロット様。来て頂けて嬉しいわ」
少ししてやってきたアンナは、これまで数知れない男たちを手玉に取ってきただけあって、相変わらず綺麗な人だった。
琥珀色の髪は、高位貴族の令嬢としては珍しく肩のあたりで切り揃えられている。
長い髪こそが高貴さの象徴だという風潮がある中でこんなことが出来るのは、彼女が国でも指折りの力を持った家の出身だからこそだろう。
生まれから高貴なはずの女性が、高貴とされる長髪を捨てている。
得てして新しいもの好きな殿方の心理をよく理解した、大胆な戦略だといえよう。
シャーロットより二つ年上のライバルは、その磨き抜かれたルビーのような瞳を艶やかに細め、優雅に微笑んだ。
対してシャーロットも、引き攣ってしまわないよう注意しながらも笑みを浮かべる。
「……ごきげんよう、アンナ様。こちらこそ、お招き頂きありがとうございます」
「いえ。王国は、私たちの婚約の話で持ちきりみたいね。王子二人が揃って恋愛結婚なんて、前代未聞なんですって!」
「そう言われると、確かに珍しい気がしますね。それが許されるくらい、国家が安定しているということでしょうか」
「それは心強いわね」
朗らかに笑い合う二人。
実際にはアンナは打算で、フレデリックは弟への嫌がらせで婚約を決めている可能性が高く、またレイナールとシャーロットに至っては脅し脅されの関係だったりするのだが、そんなことは一般市民の知るところではない。
一部では、あのパーティーが「奇跡の夜」だなんて呼ばれているらしいが、シャーロットからすればとんだ皮肉だ。
穏やかな空気が流れる間も、シャーロットはアンナの振る舞いを注視し続けた。
ぴんと伸びた背筋は一瞬たりとも曲がらず、マナーも当然完璧。
彼女のティーカップはテーブルに置かれる際も、小さな音ひとつ立てない。
実は、十四歳の時に兄が英雄となった時までただの平民だったシャーロットは、そのたった一年後にフレデリックからの脅しを受ける憂き目にあったせいで、まともにマナーを学んだことがない。
その代わりというべきか、言葉巧みに家に呼び込んだ高位の令嬢たちの振る舞いを自力で分析し、その最大公約数を割り出して真似ることで、どうにかサールグレン公爵家の一人娘の家庭教師になるに至ったのである。
……ご令嬢方の観察ばかりしてきたシャーロットには、よく分かってしまった。
アンナは、一国を代表する淑女となるのにどこまでも相応しい人だ。
ますます気後れしながも、いつ本題に入るのだろうか、いつアンナが彼女を招いた理由が分かるのだろうか、と身構える。
単純に自慢話をするためだろうか。
あるいは、シャーロットの爵位が王族に相応しくないと糾弾し、フレデリックの立場をより盤石なものとするためだろうか。
「――ところでシャーロット様は、子爵家のご出身だったわよね?」
アンナが僅かに表情を固くして、少し不自然に話題を変える。
シャーロットはついに来た、と思った。
「……ええ。ですが一応、サールグレン公爵家での経験も――」
「――生まれに優位性がない中でここまで来るには、相当な苦労をしたわよね?」
「……え?」
人の話を遮るという、淑女あるまじき行為に出てまでアンナが紡いだ言葉は、しかしシャーロットが想像していたのとは少し方向性の異なるものだった。
ここでアンナは初めて、言葉を探す様子で目を泳がせる。
「その、ツヴァイト・プリレーゼの認定は通っていたりするかしら?」
「ツヴァイト・プリレーゼ……? まあ、一応……」
「本当!?」
なんの話をしているのか掴みきれないながらも正直に答えたシャーロットに、アンナはこれでもかと目を輝かせ、席から立ち上がる勢いでシャーロットに向かって身を乗り出す。
「――ひゃっ!?」
一方で、突然の行動に面食らったシャーロットは思わず勢いよく身を引いてしまい、背中を椅子の背もたれにぶつけた。
「まあ、驚かせてごめんなさい! 怪我はない?」
心底心配そうにこちらを見るアンナは、全くもって悪人には見えない。
「え、ええ、大丈夫です。それより、ツヴァイト・プリレーゼがどうされたのです?」
「あー、えっと、私も流石に王子妃として、それくらいはそろそろ取らないとまずいのだけれど……どうにも数字が苦手で、経済学が理解できなくて、でもそんなことを今さら殿下や使用人の方々に言い出せなくて……」
「……まさか」
「その、良ければ教えてもらえないかな、なんて……あの、代わりと言ってはなんだけれど、恋愛指南ならいくらでもするから!」
臆面もなく恋愛指南という言葉を口にするアンナ。
そんな彼女にシャーロットは、新たな印象を抱きつつあった。
……浮気性で上昇志向が強いのは、名誉やお金を求めてというよりは、恋愛そのものを愛した末に生まれてしまった性質だったりするのではないだろうか。
「恋愛指南までして頂くのは流石に恐れ多いですが……」
聞くに恐ろしい見返りだけは速攻で断りながらも、シャーロットは思案する。
……アンナがどれだけ親しみやすかろうと、所詮はフレデリックの妃、つまり立場上は紛うことなき敵。
アンナが資格を得ることは、シャーロットたちにとって少しの利益にもならない。
だが一方で頼みを聞けば、勉強を教えたという恩を売っておくことができる。
どちらも一長一短でかつ、王位継承順位の変動に大きな影響を及ぼすことはないだろうと結論づけたシャーロットは、ふわりと微笑んだ。
「――こちらでの社交にも慣れてきて、ちょうど時間を持て余しているところでした。ぜひ引き受けさせてください」
……シャーロットの社会的地位が上がりすぎた現在、対等に接してくれる人間はもう、数えるほどしかいない。
どちらでも良いのならと、シャーロットはそろそろ同性の友人が欲しい気持ちを優先してみることにした。