婚活はパーティーの後で
成沢は周囲を見回した。山城は大の字に倒れたまま、ピクリとも動かない。里子の姿はなかった。美沙が殴った瞬間に、「ひっ!」と悲鳴を上げてそのまま走り去っていた。塚本はというと、相変わらず地面に座ったまま放心している。
他に、人の姿はなかった。ホテルから出て来る人もおらず、通行人もいなかった。しかし、誰が見ているか分からない。誰かが警察に通報する前に、この場から離れるのが得策だった。
「おい、しっかりしろ、塚本。起きろ」
成沢は塚本の頬を軽く叩いた。2、3回叩くと、塚本は我に返ったようで、目をしばたいた。それから周囲を見回し、山城が倒れていることに気づく。
「あの人は、どうしたんだ?」塚本は山城を指差す。
「殴られたんだ」
「殴られた? 誰に?」
「あの女の人にだよ」そう言って、美沙を指差す。
「嘘だろ?」塚本が驚く。どう見ても、美沙はそんなことをするような人には見えなかった。
「色々あったんだ」成沢が肩をすくめる。
「それで、里子はどうした?」
「あの女なら、逃げたよ。あの人が殴った瞬間に、悲鳴を上げて走って逃げた」
「そうか・・・」塚本はうなだれた。
「まあ、気にするな。人生に失敗はつきものだ。次は、ちゃんとした相手を見つければいい」
「里子は結局、何がしたかったんだろう?」
「さあな」成沢は首を左右に振る。「他に交際相手を探していたのか、もしくはおまえから金をむしり取ってくれる、共謀者を探していたのかもしれない」
「成沢、俺はまだ傷心中なんだ。もっと優しい言葉をかけてくれ」
塚本の反応を見て、「この調子なら、大丈夫そうだな」と成沢は思った。また、看病させられることはなさそうだった。昔と同じような失敗をしたが、塚本も少しは成長しているのかもしれない、と思う。
希美は、美沙に駆け寄った。後ろに立ち、「美沙、美沙」と呼びかける。反応がないため、肩を掴んで振り返らせた。美沙は目を釣り上げていたが、希美の顔を見ると「はっ」とした表情を浮かべた。それから「ごめんね・・・」と震える声で言い、うつむいた。
「いいの」希美は、美沙を抱きしめた。「まさか、この男を殴るとは思わなかったけど。でも、すっきりした。それに、美沙が言ってくれたことも、嬉しかった。あたしのこと、心配してくれたんでしょ?」
そう訊くと、美沙はこくこくと頷いた。それからまた、小さい嗚咽を漏らす。希美は「また泣くの? 男の人を殴ったくせに」と言って笑おうとしたが、うまくいかなかった。気を抜くと泣いてしまいそうで、うまく笑うことができなかった。
「感動的なシーンに水を差すようで悪いが、この場から離れたほうがいいように思う」
そこに、成沢と塚本が現れた。成沢は落ち着き払っていた。美沙の拳の威力には舌を巻いていたが、今は普段の冷静な表情になっている。塚本は腰を折り曲げて、倒れている山城の顔を覗き込んでいた。
「鼻血を出しているぞ、大丈夫か?」塚本が顔を青くしながら言う。
「顎の骨は、折れているかもな」成沢はにべもなく言う。
それを聞き、美沙はさらにうつむいた。人を殴ったことを恥じているようで、やってしまってから事の重大さに気づいているようだった。
「悪いのは、この男でしょ。こんな奴、殴られて当然でしょ」希美は美沙を擁護した。鋭い視線を、成沢と塚本に向ける。
「いや、俺は見ていなかったし・・・」塚本はおろおろと両手を振った。しかし成沢は、「あんたの言う通りだ」と言って、希美の言うことを肯定した。
「あれは良かった。実に良い右フックだった。角度もタイミングも完璧で、見ていて爽快だった。あんなの、格闘技の試合でもなかなか見れない」
成沢が言うと、美沙は顔を赤くした。下を向き、何かをぶつぶつと呟いている。その様子を見て成沢は笑い、「俺は褒めているんだよ」と優しく言う。隣の塚本は目を丸くし、「そんなに強烈だったのか?」と何度も訊ねた。
「あの・・・」場が和やかになりつつあったが、希美は話題を戻した。「とりあえず、この男どうすればいいと思う? このまま放置しても、いずれ警察がやって来るでしょ?」
そう言うと、成沢は山城に近づいた。スマホを取り出し、倒れている姿を何枚か写真に収める。それから頬を叩き、山城を起こした。よほど深い眠りについていたのか、何度も強く叩いてからやっと目を覚ました。
「おはよう」目を覚ました山城に向かって、成沢は挨拶をする。「油断していただろ? まさか、女に殴り倒されるとは思わなかったはずだ。あんたには同情するよ。だが、あんまり堅気の人を食い漁るのはよせ。限度を超えると、あんた自身が身を滅ぼすぞ。さっき、倒れている写真を撮った。これ以上余計なこと、この人たちにちょっかいを出すようだったら、この写真をネットにバラ撒く。さっきので少しは目が覚めただろ? 窮鼠猫を噛むってのは、案外馬鹿にできないぞ」
山城は黙ったまま成沢を見つめていたが、何も言わずに起き上がった。ゆっくりと立ち、スーツについた砂を払う。ハンカチを取り出し、鼻と口を拭うと、無言でその場を去ろうとした。成沢は「ちょっと待て」と言い、財布から札を取り出した。「歯の治療費だ。何本か、折れているように見える」と言って差し出す。山城はじっと睨んでいたが、金を受け取った。それから「いつからだ?」と訊ねた。
「いつから?」成沢が怪訝な表情をする。
「その女に訊いている。いつ、俺のことが分かった?」山城は、顎で希美を差す。
希美は成沢を見た。目で、「答えてやれ」と言っている。
「住んでいる場所を答えた時」希美が正直に答える。「目黒と言った時、嘘をついていると分かった。詐欺師と言ったのは、ただの当て勘。でも、嘘をついても堂々としていたから、そうじゃないかと思った」
「嘘が分かるのか?」山城は、さらに訊ねた。
「そう。物心ついた時からね。表情やしぐさの微妙な変化で、分かる。でも、あんたほど嘘を隠すのが巧妙な人間は、これまで見たことがなかった」
山城は失笑した。それから「今回は良い勉強になった。もう、あんた達には近づかないから安心しろ。面倒な連中と関わるのはご免だ。それに、あんな強烈なパンチ、もう二度と食らいたくない」
山城はそう言うと、くるりと前を向いて歩き出した。遠ざかる山城の後ろ姿を眺めながら、希美はほっと安堵の息を吐いた。嘘はついていなかった。あたし達に関わりたくないというのは、どうやら本心のようだった。
「さっきのパンチで心が折れたようだな。よほど、効いたと見える。一体、どんな馬鹿力をしているんだ」
成沢がそう言うと、美沙は顔を真っ赤にした。それから、右手を引いて殴る構えを見せる。それを見た成沢は両手を前に出し、大袈裟にのけ反った。
希美はその光景を見て笑った。塚本は「女性に何てことを言うんだ」と言って友人を非難する。それから、「ところで詐欺師って何のことだ? あの男は、詐欺師だったのか? それに、嘘が分かるってどういうこと? 一体、何があったんだ?」と溢れる疑問を口にした。
3人は互いに顔を見合わせた。それから成沢が代表するように、「まあ、話せば長くなるんだ」と言った。
「それじゃあ、まるで俺だけ仲間外れみたいじゃないか」塚本が喚く。「そんなの、不公平だ。第一、俺の彼女・・・元カノは、あの男と一緒にいたんだ。あの男が何者か、そして何があったのか、知る権利があるだろう」
「駄々をこねるな」成沢が溜め息を吐く。「仲間外れって、何なんだ。別に俺たちは、仲間でもなんでも・・・」
「じゃあ、これから飲みに行きませんか?」成沢の言葉を遮って、美沙がそう言った。
希美は驚いた。美沙の顔を見ると、清々とした顔をしている。男を殴ったことですっきりしたのか、そこには暗い陰は微塵もなかった。
「そうだ、それがいい。どっか居酒屋にでも入って、ゆっくり話を聞かせてもらおうじゃないか」
「美沙、大丈夫なの?」希美は訊ねた。
「うん、私は大丈夫。それに、塚本さんの言うように、話を聞く権利はあると思う。私たちの知っている範囲のことは、話してあげるべきだと思う。それと、これは私の勝手な意見だけど、今は飲みたい気分なんだ」
美沙は明るい口調で言った。少し、無理をしているようには見えたが、しかし嘘はついていなかった。希美はその様子を見て、安心した。今回の件は、どうやら引きずらないで済みそうだった。あの男を殴り、自分で決着をつけたことが、美沙の自信になったのかもしれない。
「分かった。それなら、あたしも付き合うよ」希美はそう言ったが、内心飲みたい気分ではあった。色々と疲れることがあったため、酒でも飲んで気分を晴らしたかった。
「よし、じゃあ決まりだな。成沢、新宿でいい店知っているか?」
「俺は行くとは言っていないぞ」成沢はかぶりを振る。
「成沢が来なくてどうするんだ。俺1人に、会計を負担させるつもりか?」
ケチな癖に、こういう時だけ恰好をつける塚本にうんざりした。「あの男の治療費を払ったのは、俺だぞ」
「あっ」と美沙が声を上げた。それから何度も頭を下げ、財布を取り出す。
「いや、いいんだ」成沢が手で制した。「殴ったのはあんただが、事の発端は俺にある。治療費ぐらいは、出させてもらおう」
「でも・・・」美沙は納得していない様子だった。
「大丈夫だ。金は塚本に請求する」
成沢がそう言うと、塚本は驚いた顔をした。「な、何で俺なんだ?!」
「そもそも、俺がここにいるのはおまえの依頼があったからだ。つまり、大元の原因はおまえにある。治療費を負担するのは、当然だろう」
成沢の言葉を聞き、塚本は口をぱくぱくさせた。否定したいが、女性たちがいる手前、そうすることもできない様子だった。かろうじて、「な、成沢にも原因があるんだから、折半にしような?」と言った。
「じゃあ、飲み代はあたしと美沙で負担しようよ」
希美が提案すると、塚本はパッと顔を明るくした。嬉しさを隠しきれないようで、「そんなの、悪いよ~」と言いながらも、顔がにやけている。
「おまえ、思ってないだろ」
成沢が指摘する。希美も、「うん、嘘をついている」と思った。
塚本は唾を飛ばしながら、成沢に抗議した。そんな男2人のやり取りを見て美沙は笑っていたが、突然「あの・・・」と口を開いた。全員が、美沙を見る。
「どうしたの?」下を向いている美沙に、希美が声をかける。
「まだ、希美と成沢さんにちゃんと謝っていないな、と思って・・・」
「もう、済んだことだからいいよ」希美は笑った。
「金のことなら気にするな」成沢も美沙を気遣う。「正直、倒れているあの男を見た時、少し不憫に思った部分もあるんだ」
「いや、でも・・・」
「もう、湿っぽいのはよそうよ」希美は努めて明るい口調で言った。軽く、美沙の肩を叩く。「確かに色々と大変なこともあったけど、結果オーライじゃない? あたしも美沙も、無事だったんだし。塚本さんは、裏切られて終わったけど・・・」
それを聞いた塚本は笑おうとしたが、明らかに失敗していた。頬が引き攣り、痙攣を起こしている。成沢は「この希美という女は、すでに塚本の扱い方を心得ている」と思った。
それでも美沙は、納得していないようだった。希美に「ごめんね」と言い、それから成沢に頭を下げ、「本当にありがとうございました」と言った。
「いや、俺は何も感謝されるようなことは・・・」
「成沢さんが来てくれて、助かりました。最初は疑って酷いことを言ったりして、本当にごめんなさい。成沢さんのおかげで、騙されずに済みました。ありがとうございました」
そう言って、美沙は深々と頭を下げた。成沢は美沙の後頭部を眺めながら、ぽりぽりと頬を掻いている。
「確かに」と希美は思った。この成沢という男が現れなかったら、自分と美沙はどうなっていただろう。きっと、美沙はあの男に騙されたままだったし、自分との仲も引き裂かれていたかもしれない。一時はどうなるかと思ったが、成沢が財布を届けてくれたからこそ、こうしてハッピーエンドを迎えることができた。
その時ふと、希美の脳裏に疑問が過ぎった。それは至極単純なことで、「どうして、成沢は財布を届けてくれたのだろう?」というものだった。成沢は自分で、泥棒だと名乗った。泥棒だったら、わざわざ返すようなことはしないのではないか? なぜ成沢は、美沙に財布を届けようと思ったのだろうか?
美沙が顔を上げると、成沢は「お礼は、この男に言うんだな」と言って塚本を指差した。「さっきも言ったが、俺が今日この場にいるのは、こいつに仕事を頼まれたからだ。こいつの依頼がなかったら、あんたに財布を届けることもできなかった。礼なら、この男に言うべきだ」
美沙がはっとした顔をする。それから塚本の方を向いて、「ありがとうございました」と頭を下げた。塚本は「いや、別に俺はいいよ・・・何もしてないし」と頭を掻いていたが、まんざらでもない様子だった。
「それと」成沢が言葉を続ける。「これは余計なお節介かもしれないが、あんたと塚本はどこか似ているところがある。案外、良いカップルになるかもしれない。あんたも婚活しているなら、この男にアプローチしてみたらどうだ? ケチだが、根は優しい男だ」
塚本が「ちょ、ちょっと待てよ」と成沢の腕を肘でつつく。「美沙さんごめんね。成沢はたまに、変なことを言うんだ・・・」と美沙を見るが、当の美沙は顔を赤くしていた。塚本と目が合うと、恥じらうように下を向く。それを見て塚本も顔を赤らめ、同じように下を向いた。
「な? あんたも、そう思うだろ?」成沢が希美に、同意を求める。希美はくすくすと笑った。
それから一同は、ゴールデン街へと向かった。「いい店を知っているんだ」という塚本の案内に従い、駅の方向へと歩く。先頭に塚本と美沙が歩き、その後ろを成沢と希美が歩いた。
「ねえ」希美は、成沢の隣に歩み寄った。ぼうっと先頭の2人を眺めていた成沢が、横へと視線を向ける。
「塚本なら、心配いらない。あいつは真面目で優しい男だ。ケチじゃなければ、もっといいんだが」
「まだ言うんだ」希美は笑った。「そうじゃなくて、訊きたいことがあるの。どうして成沢さんは、美沙に財布を届けてくれたの?」
成沢は前を向いた。前方を歩く美沙を見ているようだった。しばらく無言で歩いてから、「美学だ」と言った。
「あの男にも言ってたよね。成沢さんの、ポリシーみたいなもの?」
「そうだ。俺は泥棒だが、反社会的な人間しか狙わない。汚い金なら、盗んでも手が汚れないからな」
「泥棒でも、そんなこと気にするんだ」
「まあ、俺だけかもしれないが」成沢は苦笑する。
「でも、美沙のことは助けたいと思ったんでしょ?」希美は訊いてみた。成沢は、視線を合わさず前を向いている。
「だから、あの男の財布も見せてくれたんでしょ? あたしたちの会話を聞いていたのか知らないけど、騙されていることを美沙に伝えようとした。あの男に財布を掏ったことを教えたのも、財布は美沙が持っているって言ったのも、全て計算してやったことなんでしょ? まさか、殴るとは思ってなかっただろうけど」
成沢は答えなかった。前を向き、黙ったまま黙々と歩く。「背が高いから、歩幅が大きい・・・」と希美が思っていると、突然「あんたは、嘘が分かるのか?」と口を開いた。
「うん、分かるよ」
「生まれつきなのか?」
「そう。それが人と変わってるってことに気づいたのは、だいぶ後だけど」
「俺が嘘をついても、分かるか?」
「もちろん」希美は笑った。「残念だけど、すぐに分かる」
成沢は苦笑した。それから、「あんたは、俺の天敵だ」と言った。
「天敵? どうして?」
「嘘つきは泥棒の始まりって言うだろ。嘘がつけないんじゃ、泥棒として失格だ」
「その言葉って、そういう意味があるの?」
「さあな。その言葉を考えた奴に訊いてみろ。俺の勘だと、そいつも間違いなく泥棒だがな」
成沢の言うことがおかしくて、希美は声を上げて笑った。笑いながら、「確かに、この人は泥棒だ。泥棒で、嘘つきかもしれない。でも、もしかすると、優しい嘘つきなのかもしれない」と思った。




