第十三週:履と小さな愚か者(火曜日)
「酒だ! とにかく酒を飲ませろ!!」
と、貔貅のような男が叫んでいた。
「寒いのだ! なんでもいい! とにかく酒を飲ませろ!!」
スザン山中でも頂上に近い場所にサ・ジュジは建てられていたが、さらにここは山の裏側、日中でもほぼ日の当たらぬ区域――の、またさらに奥深く薄暗い洞窟の中である。
しかも、時は冬に入り掛けた頃で、学校支給の褞袍を羽織ったフェイでもその洞窟の寒さに身も凍えんばかりであったが、問題の男の格好はその比ではない。
薄いエシクス麻の貫頭衣に素手素足、その四肢には太い鎖が巻かれ、それが彼と冷たい洞窟の壁とを繋ぎ止めている。すると、
「そうわめくな」と、先ほどフェイにレルヌを求めた若い師範が言った。「本物とは言えんが、調理場から分けてもらった」
ガッ!
と、彼が差し出す竹筒を見るや否や男は、いまにも師範に襲い掛からんばかりの勢いで飛び出したが――、
ガギリ。
と、すぐさま、その勢いは四本の鎖に折られることとなった。
「だから」と、男のものであろう欠け茶碗にレルヌを注ぎながら師範は言い、「そうわめくな」と、それを男の口に含ませてやった。
が、直後、
ブッ!
と云う音とともに、若い師範の顔にそのレルヌは吹きかけられることになる。
「バカにするな!」男は叫んだ。「本物の酒だ! ワシが欲しいのは本物の酒だ! こんなまがい物など飲めるか!!」
この男の言葉と態度に師範は、急に無口無表情になると、茶碗の中のレルヌを地に棄て、残る竹筒も男の手のギリギリ届かぬ場所へと置いた。
それから彼は――これを運ぶのが彼の本来の役目だったのだろうが――腰袋に入れておいた一枚のアカラ (注1)をワザと地面に落とすと、そのままそこを立ち去って行った。
このアカラは、その日一日分の男の食事である。
カッカッカ。
と、去って行く師範の背を見ながらフェイは、自分も戻るべきだろうと考えていた。
カイゲイ師の許可なく渡したレルヌの行き先を確かめるため師範の後を尾いて来てしまったが、これはきっと見てはならぬものだろう。私も直ぐに厨房へ戻り、ここで見たこと聞いたことは直ぐに忘れるべきである。
と、彼の頭は、考えた。
が、彼の体は、そうは考えなかった。
何故なら、その男の、貔貅のすすり泣きにも似た、確かな怒りを、彼はその耳に聴いてしまったからである。
そうして少年は、洞窟の奥へと向かうと、先ずは地面に落ちたアカラを拾い、土を払い、細かくちぎり、男に渡した。
それから今度は、男の腹と口が落ち着くのを待ってから、先ほどの欠け茶碗に残ったレルヌを注ぎ、いつかの叔父にそうしてやったときのように、恭敬の礼をもって、そのまがい物を男に捧げた。
「小僧、名前は?」と、男が訊きフェイは、
「シャ=オバ」と、嘘の名で応えた。
男が笑った。
「ならワシは、ヴァイ=シュとしておこう」
この地の方言で、“シャ=オバ”は『小さな愚か者』を、“ヴァイ=シュ”は『誰でもない者』、を意味している。
「なるほど。お主も騎士ではないのだな?」と、二度目の密会でヴァイに訊かれフェイは、無言のまま、是と答えた。それから、
「が、力は欲しい?」と、重ねて訊かれて少年は、静かに、強く、無言のまま、あらためて、是、と答えた。
「では」と、これにヴァイも応えた。「ワシがお前に、武術を叩き込んでやろう」
(続く)
(注1)
我が惑星で云うフラットブレッドのようなもの。イネ科の穀粉に水と塩を混ぜて生地を作り、円形に伸ばしたものを筒状の窯にはり付けて焼く。酵母などは用いず、干した果物などを混ぜる場合もある。西銀河北西域では主食としてよく用いられている。