第十一週:男と女(水曜日)
白く暗い路を抜けると、
そこには紅く昏い景色が広がっていた。
産屋代わりの八尋殿は既に炎の中にあった。
*
つづみうち、いのりうたうは、るり色の、
綾羅錦繡の、詩神デナンダ。
くらきやみ、あおきうつろに、広がりて、
あけの炎を、包みつ来たり。
*
その光景に圧されながら、
彼女らの意思と意志に圧されながら、
自身の意思も息も呼吸も、
なにひとつとてさだかではないまま、
*
かよわきおのこ独り来て、
さかる炎へその高き身を、
共に燃やすがせめてもの、
われのつぐないそう想い、
向かい向かわん歩を進む。
*
が、その時。
炎へと向かう彼の歩みを止める者がいた。
「なんや?おっさん」ウーが訊いた。
「あの方の望みは、それとはちがいます」男は答えた。
ゴオ。
と、八尋殿をつつむ炎がその勢いを増し、
ていとうていとう、のうのうのう。
と、夫人の打つ鼓と歌もその勢いを増した。
「なにがちがうんかワシにはもう分からん」ウーが続けた。「ただただ、いまは、アイツと子どもらのところに行きたいだけじゃ」
「しかし、それも違います」炎に照らされ男は応えた。
この時、詰まる意思と息と呼吸の中でウーは気付けていなかったが、火中へと向かおうとする彼のその身体は、ただこの男の持つ一本の細い杖により踏み止まされていた。
「“両手の鳴る音は知る。”」こんどは男が続けた。「“片手の鳴る音はいかに?”」
この言葉に、この言葉の意味も分からぬままにウーは、目の前の男に大きな怒りを覚え、彼の身体は、その丸太のような脚で、男を蹴り上げようとしていた。
が、これが既に男の術の中であった。
一瞬のち、ウーの目前には、去って行く昼の光と、輝き始めた星の海があった。
「なるほど。さすがはイン=ビト王のご子息」光を捨てたその目で男は言った。「が、まだ、工夫の余地はありますな」
細き白杖、浅黄の衣、光を捨てたその瞳、男の名前はウォン・フェイ・イェン。“銀河無双”“西方烈風”と、詩にまで謳われることになる盲目の武術の達人である。(注1)
「この場で確信を持たれていないのは貴方だけでしょう」と、見えぬ目を炎の中へと向けながらフェイは言った。「それが先ほどの脚にも顕れていました」
「嫁さんが腹の子ともども死のうとしとるんじゃ、なにがなにやらワシに分かるか」と、ウーが言い、
「それも違います」と、フェイは応えた。「あの方は、生きて生かすためにここに来られたのです」
*
さて。
前にも書いたとおり (注2)、ショワ=ウーの母イン=ティドは彼らが産まれる数週間前に突然の炎に焼かれて死んだわけだが、この炎の正体について書き忘れていたので、ここで少し補足しておきたいと想う。
先ず、イン=ティド妃がこの炎に焼かれたのは、彼女が孕んだ“十四と三十五余り”の子のうち最後の十一人を出産しようとしていた時のことである。
次に、こちらも前に書いたとおり (注3)、イン=ビト王の家系には 《火主》の血が流れており、時折りその血が濃く出る者がいる。
つまり。イン=ティド妃を焼き殺した炎とは、彼女が最後のお産で生んだ子のひとり、トゥ=チーが纏っていた炎のことである。
(続く)
(注1)
第七週金曜日を確認のこと。あそこでも書いたとおり、イン=ビト王の 《最大剋星龍捲風》を正面から受け生き残った者のひとりである。
ちなみに。この時フェイは69才。一般的なヒューマノイドの寿命から考えると「老人」と書いても良さそうなものだが、日々の鍛錬の賜物かその見た目は高く見積もっても40代後半。そのためここでは「男」と書かせて頂いた。
(注2)
第五週金曜日を確認のこと。この後、ミト、ムン、ウーの末子三名はイン=ビト王から産まれることになる。
(注3)
今週火曜日の (注2)、並びに第六週の水曜日と木曜日を確認のこと。