第十週:彼と彼女(火曜日)
承前。
幾十幾百の夏が来て、
幾十幾百の秋が駆け抜けて行った。
が、いつかどこかの何者かは現れなかった。
それでも女は、その宙に向け、その“怒り”と“祈り”を訴え続けた。
いくつかの山が崩れ、
いくつかの国が亡び、
いくつもの生命が奪われて行った。
が、いつかどこかの何者かは現れなかった。
それでも女は、その宙に向け、その“怒り”と“祈り”を訴え続けた。
幾十幾百の冬が来て、
幾十幾百の春が駆け抜けて行った。
女にもやっと黄泉の国へ向かう時が来た。
が、いつかどこかの何者かは現れなかった。
が、その代わりに、女の“怒り”と“祈り”を受け継ぐ者が現れた。
男は、女の最期を看取ると、女の代わりに器の横に立ち、女の代わりに宙を見上げた。
それから幾十幾千幾億もの季節が巡って、
男にもやっと黄泉の国へ向かう時が来た。
が、それでもやはり、いつかどこかの何者かは現れなかった。
が、その代わりに、男の“怒り”と“祈り”を受け継ぐ者たちが現れた。
男と女は、男の最期を看取ると、男の代わりに器の横に立ち、男の代わりに宙を見上げた。
そうして、
幾十幾千幾億もの季節が巡り、
幾兆幾京幾垓もの季節が巡って行った。
そうして、
宙を見上げる者たちの中に最初の女の“怒り”と“祈り”を憶えている者がいなくなった頃、彼らの訴えは“うた”へと変わった。
これが、我々の知る“うた”の発生である。
およそ音楽は、我々のこころから生じる。
我々のこころは、外界のものに感じ動かされると、そこに音声を生じる。
音声は互いに応じ合い変化し合い、そこに文を為し、それが“おと”となる。
“おと”を並べて“うた”とし、“まい”を並べて“がく”とするのである。
そうして、これは大変興味深いことでもあるのだが、この“うた”は、どうやら、銀河のあらゆる時空で、同じような経路を通って、生じたように、想われるのである。
そう。
それは例えば、東銀河辺境域のある惑星で、その星の表意文字のひとつに、二つの箱と二つの棒とひとりの女の姿を描いた 《歌》と云う文字が残されていることからも分かるし、
また例えば、東西銀河の流浪民、歌うたいのパンテラ族などが、この二つの箱を模した伴奏用楽器、所謂 《メルトスの鼓》を用いていることなどからも分かるのである。
*
「相も変わらず汚い字で悪いんやけどのう」と、短く刈り揃えた淡紅色の髪を掻きながらその女性は言った。
すると、彼女の前に座る別の女性が、「以前にも言いましたが、文字の上手下手ではありません」と、そんな彼女の書く文字を見ながら応えた。「丁寧な想いの有る無し……はい。やはり、好い字をされています」
この女性の名は“デナンダ・アングリス・パンテラ”。歌うたいのパンテラ族が族長“ミルトス・メルトス・パンテラ”の一人娘であり、惑星ラケダはオーレス王の第三王子、レフグリス=リアスの奥方である。
そして、そんな彼女の 《メルトスの鼓》に四つ折りにした“祈りの紙”を入れようとしている女性の名は“スピ=ヤビノ”。北銀河の伝説的美女“スピ=タルヤ”の従妹にして、先週先々週のこの連載で色んな美女に囲まれっ放しの鼻の下伸ばしっ放しだった“あのクソバカ野郎”こと脳筋男、ショワ=ウーの第一夫人である。
(続く)