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第十週:彼と彼女(月曜日)

 さて。


 この世は地獄である。


 いや、正確には、我々のように意識を持ってしまった生命にとって、この世は地獄である。


 そこには混沌と無秩序と不条理ばかりが軒を並べ、そこにポンっと放り込まされた我々には一銭の価値も心の準備も持たされてはいない。


 我々はただ生まれ、捕食し、捕食され、運が良ければ年を取り、更に運が良ければ病に掛かり死ぬ。


 いや、捕食し、捕食されることが出来るだけでも運の良い部類に入るだろう。


 生まれ落ちる前にこの世から消されたり、生まれ落ちた瞬間、産声も上げず、この世から消されるケースもままあるのだから。


 なので本来、我々のような生命が生き残り生き延びるためには、これらを悲しんだり嘆いたりしてしまうような感情――と云うよりはその感情をもたらす意識みたいなもの――は百害あって一利すらない無用の長物、ヒューマノイドの盲腸みたいなものである。


 が、しかし、それでも我々は意識を持ち、喜び、怒り、哀しみ、楽しむことを選んだ。


 他を知り、愛し、愛されること、他の喪失に心を痛め、抉られること、を我々は選んだ。


 地獄であった。


 なので我々は、“祈り”を覚えた。


 産み落としたばかりの子が声も上げず息もしなかった時、その母親は“祈り”を捧げた。


 捧げる相手は誰でもよかった。


 いや、そんなことは考えたこともなかった。


 ただただ、“祈り”を捧げるだけであった。


 が、しかし、それでも、いくら“祈り”を捧げても死んだ我が子は死んだまま、新たに産んだ子も、ただただ静かに消えて行くのみであった。


 ある時、“祈り”の仕方が間違っているのでは?と想う女が現れた。


 女は、小さな木の皮に“祈り”の内容を印すことを想い付いた。


 印をして残せば、いつかどこかの何者かが見付けてくれるのでは?女はそう考えた。


 が、女の産んだばかりの息子は、敵の部族に頭を潰されて死に、女の姉は、お腹の子ともども腹を割かれて死んだ。


 こんなはずではない。


 女はそう想ったが、いつかどこかの何者かは結局現れず、女も飢えのために死んだ。


 それから暫くして、“祈り”の仕方が間違っているのでは?と想う男が現れた。


 男は、小さな木の皮に“祈り”の内容を印すと、それを小さな木の器に入れ蓋をした。


 木の皮に残しただけでは、どこかに飛んで消えてしまうのではないか?そう男は考えた。


 が、男の娘は、大きくなる前に流行り病に掛かって死に、男の妻は気狂いとなり死んだ。


 こんなはずではない。


 男はそう想ったが、いつかどこかの何者かは結局現れず、男も戦に巻き込まれて死んだ。


 またそれから暫くして、“祈り”の仕方が間違っているのでは?と想う別の男が現れた。


 男は、小さな棒を持って来ると、“祈り”の入った木の器をコンコンコンと叩き始めた。


 器に入れたままでは、いつかどこかの何者かは気付かないのでは?そう男は考えた。


 が、男の生まれ育った村は、洪水に流されて消え、男以外の村人も、すべて洪水に流された。


 こんなはずではない。


 男はそう想ったが、いつかどこかの何者かは結局現れず、男も河に飛び込んで死んだ。 


 またそれから暫くして、“祈り”の仕方が間違っているのでは?と想う別の女が現れた。


 女は、“祈り”の入った木の器を二つ重ねると、コンコン、コンコンと叩き始めた。


 夏が来て、秋が過ぎて行った。


 が、いつかどこかの何者かは現れなかった。


 冬を越え、再びの春が訪れた。


 が、いつかどこかの何者かは現れなかった。


 嘘のように、

 嘘のような季節は巡って行った。


 幾度目かの春が来て、

 女は怒りを覚えた。


 器の横に立ち、

 宙を見上げ、


 いつかどこかの何者かに、


 その“怒り”と“祈り”を、


 ただ、訴え掛けた。



(続く)

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