はじめに。
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怒りを歌え、女神よ。
かくて、炎の時は来たり。
テレアモンの子ブラディオスの――ゴラスの壁を打ち破り、また彼らにあまたの苦難を与え給うた、かの英雄の怒りを。
幾千もの猛き魂を、冥府の王へと投げ与え、残された骸は、野のケモノの喰らうに任せた、かの呪うべき怒りを。
さあ、詩神よ、ミルトスが御息女よ、かくて天と宙の神慮が成された、はじめこれらのことごとを、どこからなりと、歌い給えよ。
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さて。
右の文は、アルファケンタウリ出身の詩人ホスタージが書いたとされる二つの長編叙事詩の一つ『ナホトセット』の冒頭部分を――出来るだけ逐語的に――この作者が訳したものである。
ホスタージのこの『ナホトセット』とは、皆さまご存知のとおり、もう一つの長編詩『オブシディエイア』が「(アイス)オブシディアンの歌」の意であるのと同じように、「ナホトカ (またはナホウトク)の歌」と云う意味であり、《七百年戦争》の最終決戦地であった、“ナホトカの白き壁”或いは“ナホウトクの高き城”までの長き道のりとそこで行なわれた長き戦いを歌ったものである。
この叙事詩におけるホスタージの筆致・語り口は複雑多様、且つ互いに相反する幾多の条件・要求に一息に応えようとした努力と工夫の結果、大胆かつ繊細優美――いや、もっと正確に“風光明媚”と書くべきだろうか?――であり、そのため、昔の学者の中には“広大無辺・宇宙第壱之書”とまで言った者もいるようである。
無論、ここまで書かなくとも、数ある東銀河の神話・伝説の中にあって 《七百年戦争》に関する神話・伝説の人気が格段に高いのは、物語自体の雄大荘厳さはもちろんのこと、このホスタージの長編詩の影響が大きかったことは、論を俟たないであろう。
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さて。
ホスタージが書いたとされる叙事詩には、これら二つの長編詩『ナホトセット』『オブシディエイア』の他に、遠い時代に散佚してしまった六つの中短編詩があり、これら八つの詩を合わせて 《ホーライ・カスケード》或いは 《女神たちの滝つぼ》と呼ばれる連結連環構造を持った「ものがたりの輪」が形作られていた、と言われている。
もちろん。この 《女神たちの滝つぼ》だけでなく、アルファケンタウリに伝わる物語神話群の中にも 《輪》や 《滝つぼ》と云う語は頻繁に用いられていたようなので、かの恒星系の詩人たちにおいては、それぞれの叙事詩を作るに当たり、それらを連結連環させることは多分に当為のことであったようである。
であるが、しかし、それら他の叙事詩群のほとんどが――先述の中短編詩と同じように――歴史時代のかなり早い段階で散佚消失してしまったこともあり、この「ものがたりの輪」「おとぎ話の滝つぼ」と云う名称は、《ホーライ・カスケード》伝説に限定されるようになったようである。
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さて。
ここまではよろしいだろうか?
既にお気づきの方もあるかとは想うが、これらの事情を述べるに従い、我々の中にはひとつの疑問が生じて来る。
そう。
それはつまり、これも皆さまご存知のとおり、所謂 《七百年戦争》と――拙作『夢物語の痕跡と、おとぎ話の物語』でもご紹介した――《アイスオブシディアンの旅の物語》との間には、数千年以上の時空間の開きがあったのではないか?と云う疑問。これらの間にどのような連結連環構造があるのか?と云う疑問である。
もう少し、物語に踏み込んでみよう。
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散佚した六篇の名とその順序は分っている。
先ずは『クプレスト (糸杉の森の歌)』が冒頭に置かれ、『ナホトセット』がこれに続く。
次に『アルプラティア (火に焼かれた街の歌)』『ストレテスト (老雄ストーレの歌)』『プロチ・デ・カストラム (仮初めの平和)』『リバラテ (往きて還りし物語)』の四篇が『オブシディエイア』へと繋がり、『ブロクレスト (ブロラピスの歌)』を持って「ものがたりの輪」は終わる。
各詩の内容は、僅かに残された詩の断片や、それらが現存していた時代に書かれたであろう批評や粗筋などから、古来議論が重ねられており、いまでは幾つか通説めいた物も存在してはいる。
がしかし、それらの内容は、ここに書くにはあまりに多様多岐、膨大無辺なものとなるため、今回は割愛させて頂く。
が、ただ一点。本編と関係するであろうことを、作者自らの備忘として、次に書いておきたい。
それは、《輪》の最後『ブロクレスト』で歌われたとされる“ブロラピス”とは、本来 《時主》族が住む惑星 《シュールー》に産する奇妙な黄色の石の名であり、これから我々が語ろうとしている物語の主人公の中のふたり、《キム=アイスオブシディアン》と、その夫君 《フラウス・プラキディウス・ランベルト》のご子息の名でもあったと云う点である。
彼ら夫婦とそのご子息が、これら叙事詩とどのように連結連環するのか、この無知無学、無謀な作者には未だ分からぬが、それでも、出した疑問には答えを出さねばならず、書き始めた物語は書き続けねばならぬであろう。
そう。
史料は乏しく、物語には果てがない。
時を急いではならぬが、止まってもおれぬ。
そうして、それでも、辿り着く先が僅かにでも見えるのならば、どんなに小さくとも、最初の一歩は踏み出さねばならぬ。
そう。
ここまで辛抱強くお付き合い頂いた読者の皆さまにおかれては既にお気付きのことかとは想うが、これから、この作者が始めんとする試みは、相も変わらず、いつもの如く、やってみなくば分からない、鬼が出るか蛇が出るか、いやいやいやいや、それ以前、果たして、最後まで辿り着けるかどうかすらも分からぬ、そんな企てなのである。
が、いやいやいやいや、相も変わらず、いつもの如く、前置きばかりが長くなってしまった。
そう!
それでは!
歌の女神デナンダよ!
知恵の女神ナイエテよ!
そうして、この非力な作者の賢明かつ懸命な同伴者であり続けてくれる、黄金の髪と碧き瞳、そして堅忍不抜にして機略縦横なる魂持つ時の女神よ!!
御身らは、
事あるごとに、
物あるごとに、
すべての時空に居ましまし、
何ごと全てを知り給えるのに、
われらはただただ伝え聞くのみ。
だが!
今宵こそは!
是が非であろうとも!
この私に!
あの少年と!
あの少女と!
そうして!
怒りを湛えた“あの男”の物語をば!
どうか!
歌わせ給え!!
そう。
先ずは、冒頭に上げた“怒り”について――英雄ブラディオスが抱いたのと同種の“怒り”について。
その“怒り”を抱いた、この物語の第三の主人公、タル=カことタル=ジオについて語らねばなるまい。
(続く)