第二週:残骸と神々(火曜日)
承前。
「わたしから離れろ!ブラディオス!」と、河神クサニスが叫んだ。
「このまま殺戮を続けたいのならばそれもよかろう。だが、それはここではないどこか遠くでやるべきことだ。
わたしの美しい身体をこれ以上お前たちの呪われた血や肉で汚すのは止めろ。お前たちを見ていると悍ましい気持ちにさせられる。殺戮を止めるのだ、ブラディオス。さもなければ直ちにこの地を去れ」
が、しかし、これに応えてブラディオスは、
「それは出来ぬ相談だ、河神よ」と、今度はオムリスの頭蓋を盾で割りつつ続ける。「私が立ち去るのは、ここにいるゴラスどもがみな消え去った後だ」
この応えとオムリスの頭蓋の砕け散る音に、次の餌食となるであろうアスネイアは、恐怖で動きを奪われていた。
すると、それを見付けた英雄は、彼の折れた槍、割れた盾に一瞬の憐みを感じつつも、
「お前の顔も覚えているぞ、アスネイア」と、黒き血に塗れた盾を男に向けた。「メネイスの脇盾を盗んで行った男の顔だ」
と、直後、ブラディオスの手刀がアスネイアの左脇腹へと刺さり、アスネイアは、その折れた槍、割れた盾の代わりに、近場の岩を持ち上げようとした。
が、今度はここで、突如としてムラスの大地が揺れ動き、周囲を光が眩み眩ませた。
彼らの怒りが、河神にも伝染したのである。
「ここを立ち去れと言っておるのだ!ブラディオス!」
河神はそう叫ぶと、15クラディオン (この時代の1クラディオンは約3m)はあろうかと云う高波を英雄目掛け引き起こした。
その波は一度高く立ち上がると、次の間には彼とアスネイアの頭上へと降り注いでいた。
瀕死のアスネイアはそのまま河下へと押し流され、英雄ブラディオスは、先ずは盾を、次には剣を大地に突き刺し抵抗を試みる。
が、波は容赦なくそれらもろとも英雄を流し去ろうとする。
盾を流され剣を流されたブラディオスの目の端に大きく豊かに繁った樫の木が見え、彼はその枝に掴まった。が、ここでも――
「小賢しいわ!ひと如きが!」
との河神の声に樫の木も根こそぎ河下へと流されて行く。
水中に引き込まれたブラディオスの身体に、彼の殺したゴラス兵やその武器武具、それにこの地の木や岩や泥が襲い掛かって来る。
が、それでも、その水中にあってブラディオスは、黒き騎士と神の血によって渦巻く河より顔を出し、平原へと逃げて行く。
すると再び、ムラスの大地が揺れ動き、周囲を光が眩み眩ませ――、
「ともに怒り給え!我が兄弟よ!」
と、河神クサニスが、その双子の兄・河神ドロニスに呼び掛けた。
クサニスは陸へと上がり、いくつもの堤を乗り越えブラディオスを追う。
すると今度は、日の沈む方角より兄ドロニスが耕地を水浸しにしながら彼の方へと押し寄せて来る。
「母よ!賢明かつ懸命なる我が母君よ!」
黒き血と碧き瞳持つブラディオスが叫んだ。
「救いは?助けは?私に救済は来ぬのですか?メネイスの仇も討てぬまま、アウクシスに打ち殺されるでもなく、このような河の底で死ぬのが私の運命とでも言うのですか?」
己が殺した勇者どもの屍に巻き込まれ、彼らが遺した武具や武器に飲み込まれながらもブラディオスは、双子の河神の熱き水と冷たき水の中を走り続ける。
「我と我が兄が、お前の奥都城となろう!」
河神クサニスのうねりが彼に告げた。
が、直後、彼らは未だ自分たちが見たことのない光景を見ることになる。
(続く)