1-9
着替えをすませた私はベッドに横たわった亜麻さんの様子をもう一度念入りに確認する。うん。顔色も良くなってきているし、意識もしっかりしている。
「おそらく大丈夫です。念のため二、三日安静にしていてください」
私の言葉にその場の全員がホッとする。さて事情を説明しておこうと口を開きかけたその時。
「一体何があったんです!」
寝室に一人の男性が飛び込んできた。こちらも年の頃は亜麻さんや刈安さんと同じくらい。燃えるようなオレンジの瞳、低い位置で一つに束ねられた金髪が寝室に差し込む夕日を反射してきらめいている。その姿に初めて日暮れが近いことに気が付いた。
「黄丹、なんでここに?」
「なんでじゃない! 亜麻が泡吹いて倒れたって言うから! 大丈夫なのか?」
「うん、そこにいるお嬢さんが助けてくれたんだ」
刈安さんの言葉に黄丹さんと呼ばれた男性が私を振り返る。と、オレンジの瞳を訝し気に細めた。
「あなたは? 村の人間ではないですよね?」
「えっと、あの」
戸惑う私に桃さんが代わりに答えてくれる。
「この子は月白ちゃん。天が森で出会った子なんだけど、キシセツソウを分けてくれた上に亜麻も助けてくれたんだ。月白ちゃん、この人は黄丹。村長さんの息子だよ」
桃さんの言葉に私はおもわずその場から立ち去ろうとする。そんな私の手を黄丹さんと呼ばれた男性が急に掴む。
えっ? 嘘? やっぱり手配書がでていた?
慌てる私を他所に掴まれた手がぶんぶんと上下に振られる。
ん? このパターン、つい最近もあった気が。
「薬師の方でしたか! 亜麻が危ないところをありがとうございました!」
「あっ、いえ、薬師というわけでは」
「ところで一体何があったんです? ご説明をお願いできますでしょうか?」
あぁ、この人も話を聞かないタイプか。松葉さん、刈安さんときて三人目の出現に思わず遠い目をしてしまう。
「ねぇ、なんで亜麻さんは倒れたの? 教えてくれない?」
そんな黄丹さんの手を払いのけながら天が私に問いかける。黄丹さんが天をジロリと睨みつけ、天も負けじと睨み返す。二人の間にピリリとした何かが走る。おや、この二人は仲が悪かったのか? と思いつつも黄丹さんから解放された手にホッとする。
「松葉さん、お手数ですがあんず亭から持ってきた籠をここに持ってきてもらえますか?」
「おうよ」
快く籠を持ってきてくれた松葉さんから、私は緑色の新芽を一つ取り出す。大きさは五センチメートルくらい。楕円形をしたそれは一見するとハルノトウの新芽そっくりだ。でも。
「これはハルノトウではありません」
そのまま手の平に乗せた新芽をみんなの前で二つに割いてみせる。と、何かに気が付いた桃さんがアッと声を上げる。
「ハルノトウにしては葉が多過ぎる? まさかこれって」
その言葉に私はうなずいて続ける。
「はい。ハシリナスです。ハルノトウに良く似ていますが、ハシリナスは間違えて食べると嘔吐やけいれんを起こします。一歩間違えば命にかかわる危険な植物なんです」
「……!」
私の言葉にその場のみんなが息を飲んだ。
「そんな危険な植物が身近にあるなんて。月白さんと言いましたか。今回はありがとうございました。ハルノトウはタイム村では良く食べられる山菜です。このことは村人みんなに注意するように必ず伝えます」
さすがは村長の息子。今度こそ私の仕事は終わりだろう。そう思って部屋を出て行こうとしたのだけれど。
「なぁ、黄丹。次の薬師はいつ来るんだ?」
松葉さんの唐突な問いかけに思わず足を止めてしまった。
「それが、なかなか新しい薬師を呼ぶのは難しくて」
黄丹さんが申し訳なさそうな顔で答える。今回のようなことがあれば尚更、村人としては早く薬師に来て欲しいだろう。とはいえ、それは私ではお役には立てない話だ。
「なぁ、月白ちゃんに頼むっていうのはどうだい?」
えっ? またその話します? だから、私は薬師ではないんだって。
松葉さんの言葉に何度目かわからない答えを口にしようとしたその時。
「そうだよ。これだけの知識があるんだ。薬師かどうかなんて大した問題じゃないだろうよ」
続いた桃さんの言葉に目を丸くする。大した問題に決まっているだろう。
「なるほど」
いやいや、なるほどじゃないから!
うんうんとうなずきだした黄丹さんに慌てる。
「私は薬師ではないので!」
「ですが、キシセツソウの件、亜麻の件とあなたの実力は薬師に近しいものとお見受けしました。次の薬師が見つかるまでタイム村にとどまってはくれませんか? 多少ではありますが、もちろん報酬もご用意いたします」
「いやいや、無理でしょ!」
薬師に近しい、と、薬師である、は似て非なるもの。そこには天と地ほどの深い差がある。とんでもないと断る私に黄丹さんが食い下がる。
「薬屋には今までの薬師が使ってきた道具や薬草が揃っています。もちろん住む場所もご用意します。今はどちらに?」
「昨日はあんず亭に泊まってもらったんだ。そのまま使えばいいよ」
桃さんの言葉に黄丹さんがうなずく。
「森で一人暮らしなんですよね? 必要なものがあれば村の者に運ぶのを手伝わせます。なんなら私が今すぐにでも」
「それは大丈夫です!」
今にも山小屋へ向かいそうな黄丹さんに思わず叫ぶ。なんでこの村の人たちはみんなして山小屋に行きたがるのさ!
「そうですか。では、必要なものがあればいつでも言ってください。私はこのことを父に伝えてきます。本当に助かります!」
「えっ、いや、大丈夫って、そういう意味じゃ!」
慌てて答えた私の目の前を金色の残像が流れた。
「月白、黄丹ならもう出て行っちまったよ」
「噓でしょ」
桃さんの言葉に私は膝から崩れ落ちた。
「ごめんな。結局、巻き込んじゃって」
あんず亭に戻る道すがら天が私に声をかける。桃さんと松葉さんは夜ごはんの準備があるといって先に帰っていった。
「まぁ、仕方ないよ」
「でも、本当は早く山小屋に帰りたかったんだろ」
「そう……だねぇ」
天の言葉にあいまいな返事をする。人と関わるのはもう二度とごめんだと思っていたのに。森で天を助けて、タイム村に来て、亜麻さんを助けて。ほんの少しだけ、もう少しここにいたいと思ってしまった。
森に入ってから十年。誰も私を探しには来なかった。黄丹さんも私を知りはしなかった。そして、違う名前もできた。
少しぐらいなら紅緋の身代わりアンドロイドではなく、月白という少女として生きられるんじゃないか。新しい薬師が見つかるまでのほんの少しの間くらいなら。そんな欲がでてきてしまっていた。
「まぁ、次の薬師が見つかるまでの短い間だけだしね。それより」
言い訳がましく呟いた後で立ち止まる。そんな私に合わせて天も立ち止まり、どうしたのかといった顔で私を見る。
「月白だから」
「えっ?」
私の言葉にキョトンとした顔をする天を真っすぐに見つめる。今朝からずっと私を月白と呼んでいないことに気が付かないとでも思っていたか。
「私の名前。君じゃなくて月白よ。自分のつけた名前を忘れたの?」
「でも」
今度は私が手を差し出す。そして、戸惑う天の手を無理矢理にとる。
「月白です。どうぞよろしく。……言ったでしょ。結構、気に入っているのよ」
大きく目を見開いた天は一拍遅れて太陽のような笑顔になった。
「うん。よろしく。月白」
こうしてタイム村での月白としての生活が始まった。
第一章はこれで終了です。第二章は少し時間が過ぎて夏のお話の予定です。
なりゆきでタイム村に残ることになった月白の生活に引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。