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「そろそろお茶が切れるなぁ。ジャムも作りたいけれど、木苺はまだ早いかぁ」
早春の山小屋で戸棚を確認しながら呟く。
リンデンの家をでたものの十四歳(ボディは十五歳だけれど)の少女に行くあてなんてある訳もなく。とはいえ、どこかの町や村で仕事を探す、なんてことは考えていなかった。
自分が非合法に造られたアンドロイドだから、というのももちろんある。正体がバレれば、即、王立研究院に連行されてモルモット一直線。さすがにそれは勘弁願いたい。でも、それ以上に自分が一年くらいしかもたないことがわかっていたから。
えっ、なんでそんなことがわかるのかって?
だって、一年ごとにボディを取り換えていた私に新しいボディが用意されることはもうないから。つまり一年はもつとしても、そこから先は長くないだろう。
銀朱たちが私を追い出したことも裏付けになった。私の存在は彼らにとっても爆弾だ。もし、私が何年ももつ存在なら彼らはその場で処分しただろう。先が長くないと予想していたからこそ、自分たちの手を汚すより、捨てることを選んだ。
不本意ではあるけれど、私に残された選択肢は、人目に触れず一年程度を過ごし活動停止すること、しかなかった。
結果、選んだのはリンデンの南に広がる常盤の森の山小屋。薬草採集でよく来ていたから土地勘があったし、山小屋は銀朱たちの持ち物だった。ここで活動停止すれば、私が彼ら以外の人間に見つかる可能性は低い。
リンデンを離れると言っていた銀朱たちが、いつ私を見つけるかはわからない。でも、アンドロイドだから何年経とうと腐ることはないだろう。まぁ、腐っていたらその時はその時だ。そのくらいの迷惑はかけてもばちは当たるまい。
こうして消化試合のような森での生活を始めた。のだけれど。当初の予想を大きく裏切って森での生活はこの春で十年を迎えていた。想定外もいいところだ。
銀朱たちも自分の造ったアンドロイドがこんなに長持ちだとは思いもしなかっただろう。まぁ、この十年、山小屋はもちろん森でも彼らを見かけることはなかったから、今はどこで何をしているのか知らんけど。
とりあえず人に見つかるわけにはいかないから、森の中で暇つぶしに専念した結果、山小屋生活が随分充実してしまった。食事の必要はないけれど嗜好品としてのお茶やジャム、お菓子は作るし、簡単な家具や道具も作った。服だって自作の機織り機と草木染で今や売り物になるんじゃないかってレベルのものを作りだすに至っていた。
そうそう、自分に食事が不要なことは山小屋に来て一週間で知った。
アンドロイドといっても特殊な機能は何もない十四歳の小娘が森の中ですぐに食料を手に入れられるわけもなく。山小屋の保存食が尽きてどうしようと思っていたら、食べなくても全然問題なかった。どういう仕組みかはさっぱりわからないけれど、ある意味これが特殊能力といえば特殊能力かもしれない。
ついでに薬草採りなんてこともしている。森には人はいないけれど、動物はいくらでもいるから切り傷の薬とか案外需要があった。そんなこんなで、私はいつ終わるとも知れない孤独だけれど快適な生活を日々続けていた。
「まぁ、こんなものかな?」
やっぱり木苺はまだ無理だったけれど、お茶の材料も足りなくなっていた薬草もいくつか補充できた。そろそろ日が暮れそうだから帰ろう、と、元来た道を歩き出したその時。
「……けて」
「ん?」
人の声らしきものを聞いた気がしてふと立ち止まる。
でも、まさかね。薬草や山菜を採るには早すぎるし、この辺じゃ、狩りに向いているような大きな動物も少ない。気のせいかと歩き始めたその時。
「誰か、いませんかぁ」
もう一度、声がした。今度はしっかり聞こえた。その声はどう考えても人の声。
当たり前だけれど人間に会うのは、例えそれが私を知らない人間だとしても、極力避けたい。とは言え、多分、今この声に気が付いたのは私だけ。
確かこの先は崖だったはず。もし崖から落ちて怪我でもしていたら。まだ早春の森。夜になればかなり寒くなる。風邪でもひいてこじらせたら。何よりここで無視して、万が一、変わり果てた姿を後日見つけたりなんてしたら。
「うわぁ、聞かなかったことにできない」
自分の無駄な想像力に盛大に顔を顰める。大きなため息を一つついた私は、かなり不本意ながら声の聞こえた方向へ歩き出した。
「ここかぁ」
思ったとおり、声のした方向には崖があった。といっても、そんなに深くはない。ロープさえあれば安全に降りられる程度だ。でも、数日前の雨のせいで地面がぬかるんでいたのだろう。崖の淵に足を滑らせた跡がしっかり残っている。
「誰かいるんですか?」
のぞき込んでみるが暗くてよく見えない。声を掛けたものの返事もない。あれ? 違ったか? そう思って帰ろうとしたら。
「います! ここです! 助けて!」
一拍遅れて切羽詰まった少年の声が返ってきた。
「はぁ、やっぱりいるのね。はいはい、ちょっと待ってくださいね」
私は背負っていたリュックサックからロープを取り出して、近くの木に結び付ける。
「今からロープを垂らします。登ってこれそうですか?」
「ありがとうございます!」
ロープがピンッと張り、声の主が登ってくる気配がしたので、私は慌ててマントのフードを目深に被る。顔を覚えられるのは避けたい。
「はぁはぁ……どこのどなたか知りませんが、助かりま……」
息も切れ切れに崖から顔をだした少年は右足を怪我したのか、庇うような動きで崖から体を持ち上げている。と、その少年は私の顔を見上げた瞬間に大きく目を見開いて固まってしまった。
「大丈夫ですか? って、大丈夫ですよね? それじゃ、失礼します!」
なんとも中途半端な体勢で固まっている少年に私は慌てて背を向けて元来た道へ歩き始める。まさか私のこと知ってる? 右足の怪我は気になるけれど、とりあえず崖からは登ってこられたなら大丈夫だろう。
「あっ、ちょっと待って! ロープ、ありがとう。でも、こんな森の奥で女の子が一人きりなんて危ないよ。君、名前は? 俺は天。よければ村まで送ろうか?」
はぁ? 何を言い出した? 危なかったのはむしろあんたでしょ。
予想外の言葉に思わず振り返ってしまってすぐに後悔した。そこにはロープが結ばれた木に片手をついて格好をつけている馬鹿な少年がいた。
うん、見なかったことにしよう。
そう思って今度こそ元来た道を歩き出す。
「えっ、ちょっと待って! 怪しい者じゃないから! って、痛ぇ~!」
背後で何か、というか確実に天と名乗った少年だ、が倒れる音と情けない叫び声がした。やっぱり怪我しているのか。
「どちらかと言うと危ないのは君の方だと思うよ。ほら、足見せて」
渋々ながらもう一度振り返り、天に歩み寄る。見れば右足首がまぁまぁ腫れている。折れてないといいけれど、そう思って手を触れると天が息をのむ音が聞こえた。
「痛いだろうけど、ちょっと我慢して……良かった。折れてはいないみたいね。……はい、これでよし。帰ったらちゃんと医者に診てもらってね。じゃあ」
出来る限り手早く処置を終わらせると私はリュックサックを背負い直す。結局、天は一言も、痛い、とは言わなかった。見かけによらず根性はあるみたいだ。
「あっ、ちょっと待って!」
「何? まだどこか痛い? 他には怪我しているところはなさそうだったけれど」
正直、暗くなる前に山小屋へ戻りたい私は少しイラっとした声で振り返る。そんな私に天がなんとも情けない顔をする。
「あっ、怪我は右足だけなんだけど、あのさ」
「何?」
「えっと、あの、タイム村までの道ってわかったりする?」
はぁ? あんたさっき、村まで送る、とか何とか言ってなかったか?
どうやら心の声が顔にでていたようだ。バツの悪そうな顔で天が続けた。
「どうやら道に迷っちゃったみたいでさ」
てへっと笑うその顔に、あぁ、これが殺意というものか、と私は初めて実感していた。
天と出会ったことで用済みと捨てられたアンドロイドの運命が動き出します!
続きもお付き合いいただけたら嬉しいです!