発達障害児を育ててると思ったら自分も発達障害者でした。〜29歳でASD・ADHDと診断された自分の人生〜
はじめまして、こんにちは!
ハルユキと申します。
なろうで小説を書き始め、1年ほど経ちました。
自分にとってこの場所はとても楽しい場所で、素敵な気持ちを教えてくださった皆さまに心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。
さて、本題です。
小説を書いているうちに、自分の人生面白いなと思うようになりました。
また、自分の人生で起こったことが、万が一の確率ではございますが、今困っていらっしゃるどなたかの対処の引き出しを増やすヒントになるのではないかと思い、このエッセイを書こうと思いました。
身バレ防止のためぼやかすところもございますし、記憶も曖昧ですので、色んなことを間違えているかもしれません。ご了承ください。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
◇
『「怒りのコントロールができない」ことがお医者さんに相談するきっかけだった自分が、憧れてた"あんまり怒らない人"になれた理由』
現在自分は33歳。夫と7歳と5歳の息子がいて、7歳の息子はASD(自閉スペクトラム症)と知的障害、5歳の息子はASD、自分自身はASDとADHD(注意欠如・多動症)と診断されています。病名など難しいと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
大まかにまとめると、私と息子二人は病院で発達障害と診断を受けているということです。
あれは自分が29歳の頃。
当時息子は3歳と1歳。3歳の子が発達障害と診断され、私は初めて『発達障害』という言葉を知りました。
私たちがかかっている病院は、子どもが発達障害と診断された親が発達障害への理解を深められる勉強プログラムが用意されていて『発達障害』のことを勉強すればするほど「いや、これ、自分めちゃくちゃ当てはまるんだが」という、まるで占い本でも読んでるかのような、言い当てられている感覚がありました。
そして、自分も発達障害なのではないかと考えるようになった私は息子の主治医に自分のことを相談しました。
『怒りのコントロールができない』という悩みを取り返しがつかなくなる前にどうにかしたかったのです。
自分は叩かれ罵倒されて育てられました(のちに自分の父も発達障害と診断を受けます)。自分ではわからないけれど父の地雷を踏むと部屋から引き摺り出され叩かれるのです。「出てけ!」と怒鳴られるので、家出をしていました。
自分には幸い母がおり、母が迎えにきてくれて家に帰るということをしていました。
家に帰ると父は私に「愛してるから怒ったんだよ。怒ってもお父さんはハルユキが大好きだよ」と声をかけ、そしてけろっと何もなかったかのように接するのです。
叩かれるのは痛く悲しいことだと実感していた自分は、自分の『怒り』で子どもを叩きたくないと思っていました。そうして、誰も傷つけない、自分を叩くという方法を編み出します。当時の自分は誰も傷つけないと本気で思っていました。何よりも大事な自分を傷つけているのにね。
叩くところは頬だったり、太ももだったり。
クッションや布団を叩くことも試しました。
しかし自分は『怒り』を『痛み』に変換しないと気が済まなかったのです。
少し時間を巻き戻して長男が2歳の頃。
息子が発達障害と診断される前、今思えば私の転機になった言葉と出会いました。
「あなたは感情が乏しいですね」
市役所で子育て相談したときに言われた言葉です(正確な言葉はわかりません。ニュアンスだけ覚えています)。
私はその言葉に本当に驚きました。どちらかと言うと今まで人にかけられてきた言葉は「表情が豊かだね」「明るいね」といったような言葉だったからです。
初めてかけられた言葉に理解が追いつかなかった私は「どのあたりがですか?」と質問しました。
すると「ハルユキさんは、焦りも、不安も、悲しみも、痛みも、苦しみも、全部怒りになっちゃってますね。ひとつひとつ、そのまま捉えてみてはどうでしょう」というようなアドバイスをいただきました。
なるほど、と目から鱗が落ちました。たしかに全部怒ってた、と納得しました。自分の怒りを細分化すると色んな感情が混ざっていました。
さて、時を戻します。
『怒り』を細分化しようと思っても、なかなか難しいのです。
アドバイスをもらったものの、使いこなせていない私は、変わらず自分を叩くことで自分の怒りを処理していました。
そんな時「小説家になろう」と出会ったのです。
出会うきっかけはラジオからという、なんだか不思議なご縁ですが、この出会いは自分にとって、とても幸運でした。
大人になって発達障害と診断され、ミスばかりの日々の中で、小説は書けたという、自分にとって奇跡のような一筋の光が、自分の人生を照らしました。
ああ、もう、自分を叩かなくてもいいんだと、救われた出来事があります。
コロナ禍というご時世の中、マスクが苦手だった自分は、いつの間にかマスクなしでは不安で外に出られなくなっていました。
子どもを保育園に預けに行った朝、マスクを忘れたことに気づいた私は焦りました。子どもにマスクを取りに家に戻っていいか聞きましたが、予定が狂うのが苦手な子どもです、癇癪を起こしそうだったので、家に戻ることを諦めました。
先生にわけを話し、許可をもらいマスクなしで子どもを預けに行きます。マスクなしで外に出ている罪悪感から、いつもより慌てて子どもを預けようとしましたが、子どもはいつもと違うことを感じ取り、行きしぶりました。
先生に任せ、逃げるように家に戻った私は、マスクなしで外に出たことでパニックを起こしてしまいました。怒りが収まりません。
私の家には訪問看護の方が置いていってくれているノートがあります。何か出来事があったら書くノートです。週に一度訪問看護師さんが読んでくれ、月に一度主治医の先生が読んでくれます。
パニックの中で、ふとそのことを思い出し、無我夢中で書きました。荒々しい字。感情そのまま吐き出します。
嫌だったことをつらつらと書き出していきます。
つらつら。つらつら。
すると、あれ? といつもと違うことに気づきました。
いつもだったら、うまく言葉に表せず、途中で放り投げて自分を叩いて痛いから諦める。というような行動をとるのに、長編小説の連載をなろうで毎日書いていたおかげで、つらつら言葉が途切れることなく出てくるのです。
紙に文字で書くことで、自分の感情を自然に細分化していました。
パニックになっている間には見つけることができなかった『怒り』の中の不安、悲しみ、苦しみ、混乱などの感情を紙の上に見つけ出すことができたのです。
ああ、君はこんな姿をしていたんだね。という気持ちでした。
『怒り』の布を被った本心とかくれんぼで遊んだ気分。
ずいぶん手こずったけど、見つけたよ、と握手したい気持ちになりました。
自分も痛くありません。
自分を叩かなくてもパニックが終わったことで、自分を叩かなくてもパニックが終わる方法があるんだと実感しました。成功体験ですね。そして、やっぱり痛いのは嫌だったよね、ごめんね、と自分と仲直りできたような気持ちでした。
子どもの頃から"あんまり怒らない人"に憧れていました。
穏やかで優しく、あたたかい人に憧れていました。
自分の『怒り』を文字で表現できるようになったこと。
『痛み』を伴わなくても、パニックから抜け出せると知れたこと。
そのことが、自分の『怒り』を本当に『怒り』でしか表現できないことかと疑えることに繋がりました。
私の子どもは大きい声で怒っても、怒られたということだけ残るだけで、言ってる内容はあまり彼らに届きません。
私はホワイトボードに絵を描いたり、文字を書いたり、実物を見せたり、残り時間が目に見える時計を見せたり、視覚支援をしながら、大きな声というよりはむしろ囁くくらいの小さな声で伝えたりします。
大きな声で声を張り上げるのもエネルギーを使います。疲れるのに伝わらなくて自分の感情が『怒り』に傾くより、伝えたいことがどうしたら伝わるのか工夫し、試行錯誤してる方が楽しいのでそうしています。
自分の『怒り』はどうやら『楽しみ』にも変えられるらしい。
『痛み』に変換していた自分のことは、お疲れさま。よくがんばったね。と抱きしめてやりたいです。
『怒り』を感じなくなることは私にはできない。
けれど『楽しみ』に変えることができる。
それを発見できた。これが私の『「怒りのコントロールができない」ことがお医者さんに相談するきっかけだった自分が、憧れてた"あんまり怒らない人"になれた理由』です。
人それぞれ色んな方法があると思います。
色んな道がある。
とっても素敵なことだと思います。
ここまで読んでくださったあなた様の歩く道に、穏やかな風が吹き、花の優しい香りが咲きますように。