第13章 絶望的な初恋ー1(ゾイ視点)
俺は王都から馬車で三時間ほどかかる、ベルギル侯爵領地に住む農民の息子だった。
ただ農民と言っても親父はまとめ役をしていたから、貧しいといっても暮らしぶりはまだましな方だったと思う。
領主夫妻は居丈高で傲慢な奴だった。領地を定期的に見回りをしに来ては、農産物の生育の悪さにただ文句言うだけで、何の対応策も示さないような能無しだった。そして無慈悲に税だけは取り上げていく。
天候が悪くて農産物の出来が悪く、自分達の食べる物さえ無くて困っていても、そんなことはお構い無しだった。
そして、税が払えなくなった領民は、すぐに領地から追い払われた。
親父は顔が広かったから、王都だけでなくあちらこちらに知り合いが多かった。だから領地を追われた者にはよく仕事を紹介していた。
俺は領主夫妻が大嫌いだった。無能で欲深くて冷酷で。
ところが俺が一目惚れしたのは、その領主の娘だった。
俺の母親はとても信心深かった。だから半月に一度、親父達が農産物を王都へ運ぶ際に、家族みんなで荷馬車に便乗させてもらって教会へ行っていた。
そして俺が十四の時、教会で彼女と初めて会ったのだ。
彼女は、母親や妹と一緒に慈善事業をするために、教会に訪れていた。
金色の綿毛のようなふんわりした髪に、菫色の瞳、色白の肌にピンク色の頬、さくらんぼのような唇、鈴をころがすような声、そして花が綻ぶような笑顔……
そう、俺は彼女を見た瞬間に彼女に恋をしたのだ。それが慕うことさえ許されない恋だとも知らずに。
俺はその時、その少女がまさか自分の領主の娘だとは知らなかった。
彼女は俺と目を合わせた瞬間血の気を失くし、ガタガタと震え出した。
そして彼女が倒れそうになったので、俺は慌てて彼女の肩を掴んで支えようとした。
「大丈夫ですか?」
俺がそう尋ねると、彼女の肩は信じられないほど大きくはねた。
貴族のご令嬢に思わず触れてしまい、不可抗力だったとしても叱責されるだろうと俺は覚悟をした。
しかし彼女は驚愕の表情をした後、震えながらこう言った。
「ありがとう。大丈夫です」
と。
それから彼女は知人らしき同年輩の少年と少女に支えられて、教会の中の貴賓室へと消えて行った。
俺はそれまでの人生の中で、その少女ほど愛らしい少女に会ったことがなかった。
まるで天使のようだった。そして実際に彼女は俺の天使だったのだ。近くにいても一生手の届かない……
教会で初めてあの少女に逢ってからわずか半年後に、俺は思いがけずに彼女と再会した。しかも自分の家で。
彼女はなんと領主の跡取り娘のカスタリア様だった。
カスタリア様は、婚約者であるカナディーク王子殿下や妹のへラリー様と一緒に、領地の視察に来られたのだ。
父に促されてようやく名前を告げて挨拶をすると、彼女はちゃんと俺を覚えていてくれた。しかも、先日はお世話になりましたと俺に礼を言ってきたので動転した。
カスタリア様はあの選民意識の強い領主の娘だとはとても信じられないほど、俺や家族に対して、まるで対等な人間のように接してくれた。
ただやはり彼女は平民とはあまり接触したことがないのだろう。少し怯えていたが。
✽
その後も俺は、頻繁にカスタリア様にお目にかかることになった。
何でも近頃領主夫妻は体調があまり良くないらしく、屋敷に引きこもるようになったのだそうだ。
そのために次期後継者であるカスタリア様と、その婚約者であるカナディーク王子殿下が、領主の代行を務めることになったのだと言う。
もちろんまだ十歳と幼い二人が領地を治められるわけもないので、王家から侯爵家に経営や農業の専門家がサポートに入ったようだった。
「領主様が何かやらかして、国に目をつけられたんだろうな」
父がそう呟いたので俺は目を瞠った。
「それじゃここは国の直轄領になるのか?」
「いや。第三王子殿下の婿入り先を無くしたくないから、侯爵家は取り潰されることはないだろう。
だからこそ王家が専門家を導入して、立て直しを図っているんだろうよ」
「それ、ずるいんじゃないか。王家の都合じゃないか! 悪いことをしても見逃すなんて」
「だが、あの領主様が表に出られなくなったんなら、俺達には都合がいいじゃないか。
領主様を断罪していっとき気分がせいせいしたって、新しい領主があの人よりましな方だとは限らないんだからな。
お嬢様と殿下が領主様になって治めてくれる方が、絶対にこの領地は良くなると思うぞ。
あの方達はこちらの話しを聞いてくれている。そしてこちらの相談にも乗ってくれて、一緒に対策も考えて下さる。
一方的に勝手な要求だけしてきたあの領主とは全く違う」
父親はそう言った。その時俺は何かモヤモヤしたが、父親の言ったことは正解だった。
カスタリア様とカナディーク王子殿下が領主代行になってからは、無理な税の徴収はなくなり、父やその他の領民の意見も良く聞いてくれてた。
そうして農地改革やインフラの整備も少しずつだが進めてくれたおかげで、次第に領民の暮らしは良くなっていたのだ。
父親が病気になった時もわざわざ医者を呼んでくれて、高価な薬も処方してくれた。普通平民は滅多に医者なんかに診てもらえないのに。
何故こんなにしてくれるのかと尋ねたら、父親のことをこの領地にはなくてはならない存在だからだとお嬢様は答えた。
そしてこうも言ったのだ。
「もちろんあなたのお力も必要ですよ、ゾイさん。あなたは若い方達のリーダーで、とても有能な人ですから」
人から必要だとか有能だと、面と向かって言われたのは初めてだった。仲間に慕われているのはわかっていたのだが。
父親はこの二年ですっかりお嬢様達を信用していたが、正直俺は次期当主達に完全に心を許してはいなかった。何か裏があるような気がして仕方がなかった。
カスタリア様が好きだという気持ちは変わってはいなかった。いや、むしろその思いはますます募っていた。
しかしそれと疑惑の念は別物だったのだ。
何故彼らを信じられなかったのかというと、それは自分に向ける彼らの目だった。
カスタリア様の妹のへラリー様は、必ずといっていいほど姉上と共に同行していた。そしてたまには、婚約者であるケビン様も。
この二人はやがてベルギル侯爵家の持っている子爵を継ぎ、現在の侯爵領の一部を分割されて管理するのだそうだ。だから将来の勉強のためにもと一緒に視察されていた。
このケビン様は俺と同じ年だった。真面目で誠実で穏やかな人柄で、俺のこともまるで友人のように接して下さっていた。
そして唯一俺を見る目に恐怖や怒りの色を含んでいなかった。
その上彼はかなり頭の良い方で、領地経営にも進んで意見を述べられていた。
「あの方が子爵領の当主になったら、間違いなく栄えるぞ。へラリー様も良い方と縁が結ばれて良かったなぁ。
それにきっとカスタリア様とカナディーク王子殿下にとっても、将来良き相談相手になるだろうな」
と親父は喜んでいた。
最初のうちお二人は年が五つも離れているし、てっきり政略的な婚約なのかと思っていた。ところがお二人はたいそう仲が良く、特にへラリーお嬢様がケビン様にゾッコンなのがすぐにわかった。
婚約者を目の前にすると、へラリーお嬢様は年相応の、愛らしくてかわいい笑顔をいつも向けていらしたからだ。
そう、俺を見る時の目とは全く違った。もちろん大好きな婚約者へ向ける目と、ただの領民である俺への目付きが変わるのは当然だ。
しかし彼女の俺を見るその目は、とても十歳前後の少女のものとは思えないものだった。
憎しみに加えて恐怖も入り混じっていた。ご令嬢が年上で平民の俺を怖がるのは理解できる。
しかしあの目は間違いなく憎悪の目だ。俺が一体何をしたというんだろう。
俺が嫌いなら嫌いだとハッキリ言って欲しい。それにそもそも俺が嫌いで怖いのなら、俺の家に来なければいいのではないかと俺は思ってしまう。
それなのに必ず彼女は姉の傍らにいるのだ。まるで姉を守るかのように。
そしてカスタリア様の婚約者のカナディーク王子殿下も、俺をあまり良く思っていないのが丸わかりだ。
まあ、殿下にしてみれば自分の大事な婚約者を自分以外の男には近づけさせたくないのは道理だろう。
あんなに愛らしくてかわいくて、日ごと美しくなっていくお嬢様を、俺のような邪な気持ちを持つ男の側には置きたくないと思うのは自然だろう。
しかし殿下の目にはそれだけではなく、俺に対する怒りや疑念を映していた。
決して視線以外にその感情は表してはいなかったし、言葉にも出さなかったが、婚約者とその妹の側を決して離れようとはしなかった。
そしてそのお嬢様自身はというと、俺に対する嫌悪の眼差しは最初から一切なかった。ただし俺を恐れていることだけはハッキリとわかった。
だからなおさら不思議だったのだ。俺が怖くて顔を見たくないのなら、俺のいない場所で父と会えばいいのにと。
好きだという気持ちが変わらないからこそ、怯える目を向けられるのが辛かったのだ。
しかし父親が病気になった時、お嬢様から俺の力や能力を褒めてもらえて、素直に嬉しかった。
怯えられてはいるが認めてはもらえているのだから、彼女の気持ちを疑うのはやめようと。
そしてそれからというもの、俺はカスタリア様の役に立つ人間になろうと積極的に行動を起こしたのだった。
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