【終章】ー魔刻の後ー
失踪事件の終焉。
その後の後始末。
【終章】
『先触れの悪魔』が顕現し、ミサトらの活躍により、現世より祓われてから数日後。
仕事の後始末を終えて、彼女が学校を去る日がやって来た。
簡単な挨拶の後、校長と数人の教員が、拍手と共に彼女を玄関まで見送ってくれた。
表向きは、臨時教員として赴任して来てから数日、殆ど授業らしい授業もしていない彼女の退任に対して、この待遇というのは少し照れる。
とは言え、彼女が学校にやって来た翌日には、彼等を悩ませていた失踪事件は、失踪者の無事保護という最良の結果と共にアッサリと解決し、その事件を密かに解決に導いたのが彼女である事を、僅かにでも知る者には、彼女の存在は讃えるべき功労者であるに違いなかった。
学校関係者の中に、黒魔術だの悪魔召喚だの、事件の全容を知る者は殆どいない。
彼女では無く、治安当局側の判断で、責任者である校長だけには、社会的に通用する常識の範囲内で真相らしきが伝えられた様だが…。
説明があったとしても、捜査の主な容疑は、表向きは、幻覚作用のある違法な合成薬物の製造及び使用となっている筈だ。悪魔や黒魔術は、子供の悪ふざけ程度の範疇にしかない。
言っても誰も信じないからだ。
それに、特待生が学校の設備施設をを利用して違法薬物の製造に関わったという嫌疑なのだから、学校にとっては、看過出来ない不祥事には違い無かった。
それも今後、刑事事件として立件されればの話だが…。
その為か否か、校長は、この数日、事件の事後処理にも追われて神経を擦り減らし、最初に合った時から比べても、また随分と痩せた気がする。
経緯はどうあれ、施設長としての管理責任は免れないのだから仕方が無いとも言えるが、訳の分からない事件に一応の区切りが付いた訳だから、今後どういう結果となったとしても、彼としては納得出来る決着の付け方だったとも言える。
だから、彼女を見送る校長の顔は、少し機嫌が良さそうにも見えた。
苦笑いしながら、その場を立ち去り。歩いて校門まで来ると、彼女の前に車が停車した。
見覚えのある車だ。ミサトは少し不機嫌そうな顔で、中を覗き込むと。
「よくも騙したわね。…この男」
軽い親愛の情も込めて、チョッと毒付いて見せたのだった。
運転席の葛城は、それに苦笑いして応える。
「駅まで送って行きますよ。…揣摩 香津魅様」
代りに車のガラス窓を下して、彼女に、そう申し出たのだった。
彼等は皆、少なからず世間を欺いて生きている。
重大な案件には多方面から複数名の要員が送り込まれる事も珍しい事では無い。
事件が大詰めに至って、気が付いたら隣に居たのが見知らぬ身内だったなんて、まま在る事だ。
だから彼女も、分家人に出し抜かれた事に多少の憤りは感じるものの、それ以上、そのことにこだわる気にも為らなかった。
「本名で呼ばないでよ。…嫌いなんだから」
ミサトは少し唇を尖らせながら、そのまま車の中に入り、助手席に腰を下ろす。
車はすぐに動き始めた。
「…天広の家族、消えたそうです。…ジーベス家の研究資料と一緒に」
ミサトが何も言わずにいると、おもむろに葛城は語り始めていた。
報告するような事務的な口調だ。
事件の後。ミサトが面と向かって葛城と合うのはこれが始めてだった。
彼はこれ迄、残りは事務的な作業だけとは言え、警察側の事件の後始末に奔走していたのだ。
治安当局は、総じてこういった事件に関与する事に消極的だ。
彼女等の存在が、彼等をそう仕向けて来た節もある。
奥向きの事は関知しかねるか、事件は薬物関連の犯罪容疑として、表向きの捜査が成されたのは先程にも言った通りだ。
とは言え、失踪した四人の女生徒は、無事発見され保護され、要観察処分とは言え、今では何事も無かった様に各々の家に戻っている。
ミサトは彼女等を蘇生する時、事件に関する全ての記憶を消し去った。
よって、彼女等は失踪していた間の記憶を殆ど失っており、失踪の経緯を誰に訊ねられたとしても、『何の事?』と、むしろと問い返す様な状態である筈だ。
暫くの間、記憶障害や、違和感は残るだろうが、社会復帰の妨げになる程のものでは無い筈だ。…それに、忘れてしまった方が良い記憶と言うモノもある。
後は時間が、全てを解決して行くに違いない。
結局、主犯格と目される天広少年の死亡のみが確認されて事件は幕引きがなされた形だ。
それも他殺では無く自殺扱いだろう。
理由は、特待生としての期待を一身に受け、その重圧に耐え切れず、強度な神経症になった揚げ句の上での凶行とでもしておくか…。要するに理由は後で何とでも取り繕える。
こうなると、自殺と失踪、二つの案件の間に関連性が見い出されるかどうかも怪しい。
加害者は加害者と認められる前に死に去り、被害者は事件の事を忘れてしまった。
加害者も被害者もいない事件は、事件として成り立たない。
それがこの世の法の原則だ。
そして、関係者は姿を消し、部外者の記憶からも忘れ去られる。
やはり、このまま立件は見送られ、刑事事件として扱われない可能性が高い。
(因みに、後日結局、そうなった。)
警察の捜査は、彼等の思惑通りの帰着を見せて終了すると言う訳だ。
何れにしても彼女等の存在だけは完璧に秘匿される。彼女等にはそれで充分だ。
事件は、それぞれに個別の事件として細分化して処理され、表向きの捜査は完了した。
世間の話題からも消え去り、もう誰も返り見る事は無いだろう。
そして彼女等も忘れ去られる。…それで終わりだ。
そうされるべく葛城はこの数日、治安当局内部で奔走していたのだ。
『まだ、人々に告げるべき時は来ていない』
結局、全ては彼女の思惑通り、真相は闇の中に葬られたのだった。
しかし、彼女等にも懸案は残った。
「捜査官が、容疑の強制捜査の名目で天広の家に踏み込んだ時には、既に両親とも消えていたそうです。…天広が語っていた研究データ諸共ね。調べた結果、天広に該当する家族は、書類上も本人以外、最初からこの街には存在していませんでした。…結局、奴も最初から、何者かの操り人形だったと言う訳ですかね」
声にはせず『そんな気はしていた』とミサトは思った。
「人間を悪魔に変える物質『D』因子…。思ったより奥は深そうね。…人類は滅亡への片道切符を手に入れてしまったのかしら。それとも、天広少年が言っていた通り、新たなる覚醒に近付いたのかも知れない…。この事件を画策したのは誰か? 黒幕の解明は今後の課題として、これからもまた、お互い忙しくなりそうね。…葛城天狗の若長さん?」
「…『D』の所在を見失って一世紀以上。やっと掴んだ手掛かりですよ。俺は諦めません。…俺の代で必ず終わらせてやります。身内から裏切り者を出した汚名は俺が必ず雪ぎます」
「諌山は、葛城の支族でしたっけ?」
憮然とした表情をしながら葛城はコクリと頷く。
「手前勝手な愛国心に嵌り込み、大儀を見失って暴走した愚か者です」
吐き捨てる様に言うと、葛城はアクセルを踏み込み、車の速度を上げたのだった。
窓の外には、平穏なこの国の、一般的な街並が続く。
守らなければならないのは、結局、そんな極有り触れた街の普遍的な平穏なのかも知れない。
「それでも当時は協力者が多かったのでしょう? …前の『D』の騒動から百年近く経ち、諌山に引導を渡した私は、今回も天広少年の暴走に歯止めを掛けることまでは出来たのに、また『D』の系譜を断ち切ることは出来なかった…。マア、焦る事無く、気長に次を待つとしましょう。私達の仕事は、悪しき越境者を排除する事であって、追跡者は、また別の者の別の仕事だとも言えます。…それとも、長く生き過ぎて、私は温厚に成り過ぎたのかしらね?」
葛城は黙して語らない。
常人の時間の流れから埒外にいる彼女の葛藤に応える解を彼は持ち合わせていない。
幼い顔をしているが、彼女は名を変え、過去を変え、今も昔も変らない。
世の中を陰から支えて来た彼女にとって、この程度は些事なのかも知れない。
ただ、何もかもが、いつも通りの世界が愛おしい。何が在っても、自分を犠牲にしても、この平凡な街並みに暮す、普通の人々の平穏だけは守り抜かなければならない。それが自分の存在に課せられた使命だと、彼女は改めて自分に言い聞かせるのだった。
車が街を走り抜けていった。
トレード・マークのトンガリ帽子を目深に被りながら、
『次は何処に向うのかしら…。』彼女はフト、感慨に耽った。
今回も前回も、『D』の暴走は、同じ街の同じ場所で起った。
理科塔と呼ばれるあの怪しげな建物には『D』を引き寄せる要因があるのかも知れない。
だとしたら、いずれ三回目も同じ場所で…。
ならば、気長に相手の出方を待つさ。何時になるかは判らないにしても…。皮肉なことに、彼女には他人よりも時間だけは充分過ぎるぐらいに在るのだから。
☆彡
彼女等の闘いは、終わる事無く続く。