『告白』
不気味な理科塔で『悪魔召喚』の儀式の痕跡を発見した、ミサトと葛城は、失踪事件の真相を探るべく、恐らくは事件に関わる最後の一人、如月晴香の元に向う。
如月晴香の自宅は、学校から車で約三〇分弱の場所にあった。県下で有数の進学校だけあって、生徒も県下の広範囲から集まって来ているのだ。彼女の自宅は、近い方だとも言える。
家の前に来ると、葛城は、家の前に止まる車の中をさり気無く除き込んだ。
どうやら覆面の警察車両らしい。そこで周囲を警戒中の私服の警察官に、さり気無く異常が無い事を確認すると、そのまま如月晴香の家の前に足を進めたのだった。
ミサトも黙って、その後に続く。
一戸建て住宅。豪邸とは言わないが、普通よりも少し大き目な家だ。玄関のチャイムを鳴らすと、上品そうな夫人が姿を現した。その顔は少しヤツれている様に見える。
「アッ、先生・・・」
葛城の顔を見ると、夫人は少しホッとした様な顔をして、丁寧にお辞儀する。それだけで、彼がどうやら、この婦人の信頼を得ているらしい事が判る。彼女の態度は、彼に対して協力的に思えた。
「晴香さんの様子はどうですか?」
葛城が聞くと、夫人は黙って彼等を家の中に招き入れた後で喋り始めた。
「相変わらず、部屋に閉じ籠り切りです。昨日からは食事も殆ど・・・。あの、そちらの方は?」
婦人の視線がミサトに移る。
「申し遅れました。私は心理カウンセラーの紅ミサトと申します」
彼女は丁寧に頭を下げて自己紹介するが、刹那、夫人の表情があからさまに曇ったのが判った。
どこの親も、自分の子供を精神疾患者扱いされたくはないだろう。
「お母さん、彼女は信用出来ます。晴香さんに合わせてもらえませんでしょうか?」
即座に、葛城が執り成してくれたので、彼女は迷いながらも二人を二階の娘の部屋まで案内してくれたのだった。部屋の前にはトレイに乗せた食事が手付かずの状態で残っている。
「もう、この娘は、食事も摂らないで…」
愚痴りながら夫人はトレイを回収した。そのまま、
「晴香ちゃん? 先生がいらしたの。入っても良いかしら?」
ドアにノックを入れながら母親が中の娘に呼び掛ける。しかし、返事が無い。
部屋に居ないのか? 寝ているのか? 意図的に無視しているのか?
黙ってノブを回すがドアには鍵が掛かっていて中には入れなかった。
「晴香ちゃん! どうしたの! お願いだから返事だけでもしてちょうだい!」
母親は再度、部屋の中に呼び掛ける。けど、結果は同じ。
「オイ! 如月! 先生だ! 葛城だ!」
只ならぬ様子に、母親を押し退ける様に交替して、葛城がドアを叩いて呼び掛けるが、依然、中からの反応は無かった。その瞬間、彼等の脳裏に不吉な予感が走った。
「お母さん! 予備のカギは?」
「カギは予備も含めて娘が預かっていて…」
「だったら何か壊す物を!」
「ハッ、ハイ!」
言うが早いか夫人は階段を駆け降りて行く。
「オイ! 如月!? 返事しろ! 如月ィ! 大丈夫なのかァ!?」
その間にも葛城は部屋の中に向って呼び掛ける。
夫人はハンマー片手に直ぐに戻って来た。
「先生! これでお願いします!」
葛城は、ハンマーを受け取ると、躊躇わずドアのノブめがけて振り落としていた。
二・三度ハンマーを叩き付けると、ドアノブはアッサリと外れて床に転がった。
三人は即座に部屋の中に駆け込む。
部屋の中には少女がいた。
しかし、彼女は床板の上にうつ伏せになって倒れ込んでいた。
しかも、彼女は血溜まりの上にいる。
血塗られた刃物が無造作に床に転がっていた。
「キャャァァァーーーーーーッ!!」
母親が堪え切れずに悲鳴を張り上げる。
その時、家内に異常に気付いて、外で張り込んでいた警官達も家の中に駆け込んで来た。
☆ミ
幸いにも、その後、すぐに病院に担ぎ込まれた如月晴香の命に別状はなかった。
比較的、発見が早かった事も幸いした。
手首を切っての自殺未遂行為の原因は、極度のストレスによって引き起こされた神経衰弱状態により、衝動的に行ったものと、警察は簡単に結論付けたが、その後の現場検証でミサトは即座に葛城に、彼女の異常行動には明確な目的があると主張したのだった。
「魔法円…。またですか?」
病院の待合室近くで自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、問い返す葛城に、ミサトはコクリと頷いて応えていた。
区立の大きな病院、夜間、診察時間はとうに終わって周囲に他に人の気配はない。
「黒魔術はね。常に術者に代償を求めて来るものなの。生贄とか自己犠牲のね。痛みを堪えながら、滴り落ちる自分の血で描く魔法円は、より強力な『結界』となるわ。単純にそう考えたのでしょうね。ただ、何日もろくに食事もせずに貧血状態だったので思う様に血が出なかった」
「それで誤って太い血管を切ってしまったと?」
「神経衰弱下の異常行動に違いはないですけどね。血溜まりに隠れて見え難かったけど、倒れ込んだ彼女の下には書きかけの魔法円の一部が残ってました」
「彼女は、どうして、そんな事を…」
「怖かったのでしょうね。単純に、『悪魔』が迎えに来ることが。彼女は本気で信じているのに、警察を始めとして他の人は誰も本気で信じてくれない。そんな状態が不安になって…。そう考えれば判らない話ではないと思いますが」
「彼女は本気で信じていると、『悪魔』の実在を…?」
「信じていなければあんな真似はできませんよ。私達が認める必要はないとしても。少なくとも彼女は大真面目でね。こんな筋書きはどうかしら? 状況から推察して、彼女が化学室で魔法円を書き、悪魔召喚の儀式を執り行った者達の一人である事は、先ず間違いない。儀式を行うまでは半信半疑だったものが、実行して見ると本当に『悪魔』が召喚されてしまった。……しくは召喚に成功したと思い込むに充分な現象が起ってしまった。半信半疑だった分、返って、その結果は彼女の深層心理に恐怖として、必要以上に深く刻み込まれてしまった」
「彼女が言う『悪魔』とは、本当は一体何を暗示しているのでしょうか? 犯人? それとも脅迫観念が生み出した単なる虚像…?」
「それは今の状況では何とも…。ただ、如月晴香は何かを知っているのでしょうね」
「待つしか出来ないってのは、もどかしい限りです。警察に入って随分経ちますが、こんな奇妙な上にもどかしい事件は初めてですよ」
「だから私が呼ばれたのでしょう。今は静かに如月晴香の意識が戻るのを待ちましょう」
「そうですね。彼女の意識が戻ったら病室で張り込んでいる警官が教えてくれる筈です。ミサトさんも少し休んでいてもいいですよ」
「そうさせてもらいます。久し振りに頭を使ったので、少々疲れました」
言うとトレードマークのトンガリ帽子を、顔の前にずらして彼女は、そのまま待合室のソファの上で横になったのだった。しかし、結局、彼女にユックリと休んでいる暇などなかった。
五分も経たない内に如月晴香の意識が戻った事が、彼等の元にもたらされたからである。
☆ミ
病室で、少し上半身を起こしたベットの上に横になる如月晴香は、精神的にも安定し、思ったより元気そうだったが、あからさまに不機嫌そうだった。周囲で動き回る看護婦でさえ目障りで仕方が無いといった様に、ギラギラとした目で周りを窺っている。
医師から様態を聞いて面会の許可を取ると、ミサトと葛城は病室に入って行った。
晴香は部屋に入って来た葛城達に一瞬視線を動かすが、すぐに鬱陶しそうに彼等から視線を逸らしてしまった。
「よう、如月、大丈夫か? 気分はどうだ?」
葛城は、教師らしく気さくに声を掛けるが、晴香はそれを黙って無視した。
葛城の愛想笑いは、そのまま苦笑いに変貌する。
「そんなに嫌がるなよ。…先生、心配したんだぞ?」
葛城は言いながら、ベットの横にイスを持って来て、そこに腰を下ろした。
しかし、如月晴香は何も応えない。
黙って顔を逸らしたままだ。
「・・・・・」
暫くの間、周囲に気不味い沈黙が醸し出されていた。
「いいかしら・・・?」
更に暫く沈黙が続いた後で、このまま放っておいても埒が開かない。
ミサトがズイッと前に歩み出したのだった。
妙な格好をした正体不明の女の子が近付いて来たので、シカトを決め込んでいた如月晴香も少し警戒して声を出す。
「何だよ? アンタ?」
少し刺のある晴香の誰何の声に、ミサトはニッコリと笑って答えていた。
「初めまして、私、魔法少女の『プリティ・ミサ』と申します」と。
傍らで葛城が『この人は~』と、こめかみの辺りを押えていたのは言うまでもない。
「ふッ、ふざけんじゃねぇ!」
それでなくともイラついているのに如月晴香はミサトの態度に俄かにキレていた。
怒号と共に、枕がミサトに向って飛んで来るが、ミサトは事も無げに顔前に飛んで来るそれを直前で軽く受け止めた。
「おおッ!?」
そして次の瞬間、葛城は思わず喚声を上げていた。
やたけたになった如月晴香が手当たり次第に投げ付けて来る花瓶やコップを平然と掻い潜りながら、ミサトは、さらに接近し、そのまま彼女をベットの上に押し倒していたのである。
行動の大胆さ以上に葛城は、
『ゴキブリか? この人は?』思わぬミサトの素早さと反射神経に目を奪われていた。
「何するのよ! 離せ! 離しなさいよ! この、このぉ!」
「学校の化学室で魔法円を見たわ…」
抑え込むミサトが耳元で囁いた瞬間、もがき続けていた如月晴香の動きがピタリと止まった。
その時、室内の騒動を聞き付けて病院の医師や看護婦、警備の警官までもが部屋に駆け込んで来るが、機転を利かせた葛城に入口付近で圧し止められていた。
看護婦達は葛城の行動に一度は抗議しようとするが、
「このまま暫く時間を下さい。責任は私が執ります」
言いながら彼が懐から取り出した警察手帳を見て、大人しく引き下がっていた。
「彼方を助けたいの、私なら彼方を助けることが出来る…」
「本当に・・・?」
「本当よ。さっきのは彼方を少し試しただけ。私、本当は葛城先生に雇われた『悪魔祓い』なのよ。彼方が信じてくれるなら、私は、どんな『悪魔』からでも、必ず彼方を守ってあげる事が出来る」
掌を返した様に、晴香はミサトの言葉に素直に耳を傾け始める。
『催眠術…?』
葛城にそう思わせる程、それは玄人裸足の鮮やかさだった。
「話してくれるわね? 彼方達に何が起ったのかを?」
ミサトの申し出に、如月晴香は憑き物が墜ちた様に素直にコクリと頷いていた。
★
「あれは、まどかが消える一か月位前の出来事だった…」
暫くして落ち着いてから如月晴香は独白するかの様に淡々と語り始めていた。
「私とまどか、新宮司、そして瑤子は、その儀式を行う為に、夜中に学校の理科塔の化学室に忍び込んでいたの…。言い出したのは誰だっけ? 確か新宮司だったと思う。新宮司は家庭の問題で、あの頃、とても悩んでいたから…」
「家庭の問題?」
疑問に思うとミサトは適宜、それに口を挟んだ。
因みに証言は携帯端末に記録している。
「両親が離婚するかも知れないって、新宮司はどっちかを選ばなければならない。その事で何も手に付かない様子だった。それで『悪魔』にでも縋る気になったのだと思う。でも、そもそも焚きつけたのはまどかじゃなかったかな…? あの娘、私達の中でも真正の厨二だったから、何かと言えば、あんな儀式とか実験とかやりたがっていたから…。私と瑤子は単なる付き添い。本気で悩んでる新宮司の気休めになればって程度に思って…」
「それで?」
「それであの日、泊り込みの勉強会って口実で夜、まどかの家に集まって、夜中を待って、まどかの両親にも見つからない様に彼女の家を抜け出して、学校の化学室に忍び込んだの。儀式の場所に化学室を選んだのはまどか…。理由は忘れた。何かもっともらしい事、言っていた様な気がするけど…。まあ、それ以前に、誰も文句は言わなかった。…自分達の部屋で、やれるほどの勇気は無かったし。そして、それから化学室に忍び込んだ私達は、魔法円を書き込む作業を始めた」
「魔法円はヤッパリ血を混ぜて?」
晴香はコクリと頷く。
「注射器を使って四人から集めたの…。儀式には人間の生き血を使うのが一番だって、まどかが言ったから。魔法円を書いたのもまどか。まどかは厨二だから、ああゆうモノを書くのに物凄く手馴れていて、こっちが引く位だった。それでもインクに血を混ぜて書き上げるのに一・二時間ぐらいかかったかな…。真夜中の零時少し前に、私達は召喚の儀式に取り掛かった」
「儀式の内容について出来るだけ詳しく教えてもらえるかしら?」
「書き上げたばかりの魔法円が乾くのを待って、私達はその上に座ったの。そして『儀式の進行役』にはヤッパリまどかが就いて、最初に魔法円の役割とか儀式の進行とかの大まかな説明を受けたけど、大真面目なのは新宮司とまどかだけで、私と瑤子は半信半疑だったから、内容に付いては、あまり詳しくは覚えていない。それで最初に、まどかが用意した『魔除けの聖水』を飲んだの…」
「『魔除けの聖水』?」
「青色の液体…。飲んだけど、別に変な味も臭いもしなかったよ。むしろ、甘くて、美味しい、カクテル・ジュースみたいだった。…『悪魔』は隙を見せると、すぐに交渉の内容を捻じ曲げたり、騙そうとして来るから、その為には事前に、それに対抗力を付けておかなければならないのだって、まどかは大真面目で言ってたけど、私達は、洒落程度にしか本気にしていなかった」
「それで?」
「それで、まどかが呪文を唱えて『召喚の儀式』を始めたのだけど、その後に起った事は、とても、信じれない出来事だった。その時まで、私にとって、これまでの事は、悪ふざけの延長線上に過ぎなかったのだけど…。まどかが魔導書を読みながら淡々と長い『喚起の呪文』を詠唱する内に、部屋の中が寒くなって来る様な気がして…。そうしたら突然、瑤子が悲鳴を上げて倒れたの…。こんな現場、他人に見られたら大変じゃない。急いで抑え付けて黙らせて、やっと彼女が落ち着いたと思った矢先、私達は、部屋の中に私達以外の何者かの気配を感じ取っていた。部屋の端の暗闇の中から誰かが私達に近付いて来る足音、足音とは全然違う場所で、机の上に避けておいた椅子が突然、床に転げ落ちて、そして現れたの本物の『悪魔』が…」
「『悪魔』ね。・・・その『悪魔』は、どんな顔を、姿をしていたの?」
「顔、姿、どんなと言われても…、だって、そいつの顔は人間じゃなかったのだもの…」
「人間ではない?」
「黒い服に黒いマント…。顔は毛むくじゃらで、角があって、二本足で歩く山羊みたいだった。何かを呟きながら闇の中から姿を現し、歩いて来たのだけれど、何を言っていたのかは判らない。日本語じゃなかったのだけは確かだけど…」
「山羊頭の悪魔『バホメット』。…手の込んだこと」
ミサトは薄く笑う。
「何ですそれ?」葛城が聞く。
「中世ヨーロッパで異端者に崇拝された人間の身体に山羊の頭を持つ姿をした。代表的な『悪魔』の名前です。黒魔術では、人間と上級『悪魔』との契約を仲介して『魔界』と『人間界』を繋ぐ外交官的な役割を担っているとも言われている」
「まさか・・・」
「本当よ! 私、見たのだから!」
傍らで葛城が、あからさまに不審そうな顔を形造ったので、晴香は憤り立つような声を上げて、彼に抗議していた。過敏になっているのが判る。
「判ったわ。落ち着いて晴香さん。それで、その先を話してもらえないかしら?」
ミサトが宥めると、晴香は思い直した様に、再び話し始めたのだった。
「それで、あまりの事に動けない私達の中で、最初の交渉を試みたのも、ヤッパリまどかだった。最初の内は何を言ってるのか判らなかったけど、それが、その内、日本語に変っていて、そいつは聞いて来たの、『お前たちの目的は何か?』って。まどかが『闇の者達との契約だ』って応えると、『叶えるには代償がいる。お前達は何を対価として差し出すのか?』って聞かれて、私達は予め書式通りに用意しておいた契約書を、集めて差し出したわ。四人とも、お互いの契約内容は知られたくないから、封をした便箋に入れて…。そして、悪魔はそれを受け取った。それから続けて言ったの『汝等の願いは受託された』って、『契約の成就の暁には、速やかな代償の支払いを望む』と。まどかが、それに応えて『ここにいる契約者は、みな当事者として契約を履行する責務を受け入れる』って言うと、そいつは『契約は、滞り無く完了した』と言って姿を消してしまった。…今、話していても、それが本当にあった出来事だったのか、全く自信が持て無い」
「それで? それから?」
「…それからの事は覚えていない。気付くと、私達は魔法円の上で目を覚ました。四人とも、眠る様に意識を失っていたらしかった。外はもう明るくなり始めていた。だから、みんな最初は、その夜の出来事は悪い夢だと思っていた。それを考えるより早く、その場から引き揚げなければならないと思った。その場を片付けて、私達は逃げる様に、その場を後にした。あれが現実か夢か、みんなで話し合うことが出来たのは、まどかの家に帰り着いてから後の事…。俄かには、それが現実と考えられ無かった。けど、夢なら四人は同じ場所で同時に同じ夢を見た事になる。それもまた信じられなかった。それに…」
「それに?」
「まどかの家に帰った後、みんなでシャワーを借りたの。とても気分が悪かったから。そうしたら、その時、背中に変な痣が出来ているのに気付いて…」
「痣・・・?」
「そう、痣、紋章みたいな。後で聞いたら場所に少し違いはあるけど、みんなにも同じ様な痣が出来ていて、それが『悪魔』の残した契約の刻印じゃないのかって…」
「見せてもらえる?」
ミサトが頼むと、晴香は後ろを向いて、ほんの一瞬、寝間着の襟を引き下ろして、肩の一部を彼等の前に曝したのだった。
丸い、少し腫れた様になっている赤い痣が、確かに紋章の様に見えた。
「契約の刻印か…。それで結局、契約の方は、その後どうなったの?」
「判らない。…私は他の三人が『悪魔』とどんな内容の契約を結んだのか知らないから。ただ、新宮司に関して言うのなら、あの後、両親が復縁したって喜んでいた」
「彼方は? 彼方は『悪魔』と、どんな内容の契約を交わしたの?」
「私は…、私は、言えない」
「どうして? とても重要な事なの、話してはくれないかしら?」
「・・・。」晴香は固く口を閉ざす。
「言いたくないの? それとも言えないの?」
「どっちでも良いじゃない!」
追及する様なミサトの口調が気に障ったのか、晴香は言い放つと、再び心を閉ざして、布団の中に潜り込んでしまったのだった。
結局、ミサト達は、彼女からそれ以上の事を聞き出す事は出来なかった。
その後、晴香は再び証言を拒否してしまったからだ。
☆ミ
「彼女、まだ何か隠してますね…」
病院から引き揚げる際、腹ごしらえに入ったレストランで、ミサトはポツリと呟いていた。
「まあ、警察には何も話してくれなかった彼女から、短時間に、ここまで聴き出せたのですから、大した成果だと思いますよ」
葛城はコクリ頷いてそれに答える。
「…解決に繋がらないと成果とは言えません」
注文を終えたから後、彼女はそんな感じで、時に自嘲しながら、時に黙って考え込んでいるのだ。
「今日はもう、満月ですね…」
「はいィ?」
彼女等の座った席からは外の風景が見える。
何の脈絡も無く、ミサトが外の夜空に浮かんだ月を見ながら、そう言ったので葛城は思わず問い返していた。ミサトは黙って窓越しに空を見上げている。
街の光の中にも、その存在は消え切らない。
「『悪魔』を召喚した。…彼女が言っていた事は本当なのでしょうか?」
葛城は、話題を変えて問い返していた。
「目の前で起っている事象を捉えて、それをどう認識するかなんて、結局、恣意的なものです。本当かどうかは判らないとしても、彼女がそう信じている事は確かでしょう」
「しかし、どうすれば、そんな荒唐無稽な存在を、四人の人間に、しかも一度に、ああも鮮やかに、信じ込ませる事が出来るというのですか?」
葛城の口調は少し愚痴っぽい。
「出来ますよ。仕掛けさえあればね。…ケッコウ簡単かも」
「仕掛けですか。…例えばどんな?」
「例えば、彼女が最初に飲んだと言っていた青い液体が本当は一体何だったのか、…と云う事とか。或いは、それが幻覚作用のある薬品だったとしたら?」
「まさか・・・」
「あらゆる可能性を考慮して私の身勝手な推論です。間違っていても怒らないで下さいね。不愉快なのならこれで止めます」
「いえ、そのまま続けてお願いします。こんな訳の分からない事件なんだ。どんな可能性でも検討して見る価値はあると思います」
葛城の要請にミサトはコクリと頷いていた。
「人間と言うものは意外と騙され安いものです。常識、良識、知識、法律、信念、信条、…これまで厳格そうに見えても、キッカケさえあれば過去は容易に覆る。そして前提、証言をした人間の思い込みが、そのまま型を造って、捜査する人間の自由な発想すら縛り付ける。先ずは彼女の証言を疑う事から始めてみる事です。…まず、事件の当事者は四人。でも、当事者は本当に四人だけなのか? …それは違う。なぜなら現れた悪魔、彼が本物でも無い限り、事件の当事者は、最低五人以上いる事になる。…そして、その場にいた彼女等四人は本当に悪魔が現れる事を知らなかったのか? …そこにも疑念が存在する。…人狼ゲームみたいですね」
「四人の中に騙す側の仕掛人が居たのだとしたら、一体誰が?」
「飽くまで仮定ですが、勝手な推論を披露させてもらうと、朧気ながら仕掛けが見えて来るような気がします。取り敢えずここで、彼女等を丸め込んだ演出者【黒幕】Aの存在を仮定して見ましょう。演出者Aの動機は不明ですが、前提として彼、若しくは彼女は、彼女等四人に悪魔の存在を信じ込ませなければならない事情があった。…この演出者は、彼女等四人の内の誰か、若しくは全員と親しい間柄にあった可能性が大です。彼女等四人の内の誰かである可能性もあります」
「…だとしたら、彼女等は意図的に失踪した可能性も、何処かへ蓄電して、生存している可能性も高いですよね!?」
葛城が、俄かに思い付いた考えを披露していた。
「気が早いですよ葛城さん。その前に、仕掛けの解明を進めましょう。黙って聞いておいて下さい」
ミサトは少し呆れて苦言を呈す。葛城は黙って頭を下げた。話を元の筋に戻す。
「ええと、何処まで言ったかな、…私がそう思ったのは、この演出が四人の性格を熟知して、且つ、彼女等に信用されていなければ実現は不可能だと思うからです。では、演出者はどうやって彼女等を騙したのでしょうか? 恐らく彼、若しくは彼女は、彼女等四人の行う召喚実験の計画を、随分前から知っていた。・・・ううん!」
言いながら、ミサトは自らの発言を否定する様に首を横に振っていた。自己の中で思考を巡らせて自己陶酔状態に入っている様にも見える。そして、さらに淡々と話を続けていた。
「…それ以上に、その召喚実験自体を、彼女等に行う様に教唆していたのも彼なのかも知れない。彼の計画は用意周到でした。四人の内、彼が事前に根回しをしていなかった者が居るのだとしたら、恐らく新宮司珠樹だけでしょうね。彼女には四人の中で、唯一明確に儀式に参加したいという動機が在りますから。残りの三人の内、二人は予定調和だとしても、最低一人は演出者が操り、忍び込ませた仕掛人若しくは演出者A本人。…ここでは協力者Bとします。但しA=Bの可能性もあります。では、この協力者Bが誰なのかと言うと、私が推察する限り・・・」
「…藤原まどか?」
葛城が再び先走る。
「イエ、彼女のオカルト趣味は夙に知れ渡っています。彼女がAやBでは、むしろ、あそこまで、他の三人に事態を信じ込ます事は出来ないと思います。失踪する必要も無い」
「では如月晴香?」
「彼女がサクラなら、『悪魔』を恐れて手首を切ったりしないでしょう」
「まさか、敷嶋瑤子?」
「恐らく・・・」
ミサトはコクリと頷いて、それに答えていた。
「しかし、彼女は普段から真面目で大人しくて、儀式には一番消極的で、とてもそんな事する様な娘には見えない。それに彼女も失踪の被害者ですよ。さっき、共犯者なら消えてしまう筈がないって、言ったのはミサトさんですよ?」
「まだ部品が完全ではありませんが、真夜中に行われた儀式と失踪事件は別のモノです。それに共犯者だから邪魔になると云う事もあります。演出者【黒幕】Aにとって彼女等四人は、最初から、それぞれの役割を持って動く駒の様なモノだったのかも知れません。…集団化した人間と言うモノは面白いモノです。肯定派と懐疑派がいて善意の裁定者を加えての裁定。そういう一様の体裁を整えてしまうと、時として、その集団外では、まったく異常と思える様な状態すら参加者は是認してしまう。否定派の中に協力者を忍び込ませておけば、尚の事管理は容易です。演出者Aの意図も恐らくその辺りにあったのではないでしょうか。そう考えると彼女等は見事にその役割を演じているとも言える。具体的に肯定派の役割は藤原まどか。否定派の役割は如月晴香。裁定者の役割を演じたのが新宮司珠樹。そして否定派の中に忍び込ませた協力者が敷嶋瑤子」
淡々と語るミサトの推移に葛城がゴクリと唾を飲み込むのが判った。
「その後は、台本通りに内容を進行すれば良い。儀式の最中にも幾つかの仕掛けを施してね。…多分、彼女等が最初に飲んだ『青色の液体』もその一つ。恐らくは軽い幻覚作用を引き起こすモノでしょうね。彼女等が認識していたかどうかは判らないとして、幻覚剤で判断力を弱めておけば、それだけ騙し安い訳ですから。そして儀式の最中、周囲の最中を、周囲の状況から判断して、絶妙なタイミングを見計らって、敷嶋瑤子が悲鳴を上げて倒れる。これには、瞬時に否定派から肯定派に転向する意図が込められている。更にそれを合図に次の仕掛けが始まり。悪魔に扮した、恐らくは演出者自身が、そこに姿を現す」
「『悪魔』が、なぜ演出者自身だと断定出来るのですか?」
「確証はありませんが、可能性の問題です。事件の閉鎖性を確保する気なのなら、計画に関わる人間は極力少なくするのが至極当然な成り行きと言うモノです。後、『悪魔』が現れた時に起った、突然、誰もいない場所の机の上から椅子が転げ落ちる現象に関しては、糸や紐を使えば、至極簡単に出来る手品ですから。後は突然の事態に、クスリの効果も相まって集団ヒステリーに陥った彼女達を、演出者は自分の思い通りに洗脳すれば良い。そして、彼等は思惑通りにそれを実行し、それに成功した。…最後の痣にしても、薄い酸を使って肌を焼けば簡単に付けることが可能です」
「ウ~ム・・・」
長々と語られたミサトの見解が終わった。葛城は思わず唸り声を上げていた。全くの見当外れとも思えないが、体よく彼女の推理に誘導されている様な気もする。
「と…、マア、単なる私の推論です。別に裏付けがある訳ではありません。…それに、」
ミサトは、葛城が思い込み過ぎない様に、再びその大前提を持ち出し、断りを入れた。
「それに?」
葛城の問いにミサトは続けて言う。
「私にとって不可解なのは、むしろ動機の方です。…儀式に参加した女の子だけが次々に失踪していることから考えても、失踪事件とこの黒魔術騒動は必ず繋がっています。けど、こんな事をして黒幕に一体何の利益があると言うのでしょうか?」
「マア、確かに、単なる愉快犯にしては手が込み過ぎている様に感じるし、穿った見方をすれば、何か知られては不味い事を彼女等に知られてしまって、その口封じという線も…」
「それは私も考えました。特にあの『青い液体』。幻覚作用がある。これはもしかして…」
「まさか薬物? …麻薬!?」
「或いは何者かが学校に持ち込んで隠し持っていた薬物を、彼女等が偶然見つけて面白半分に使い込んでしまった。事の露見を恐れた犯人は、捜査を攪乱する為に黒魔術を利用した事件を演出し、不都合な事態の隠蔽と、彼女等の口封じを狙った…」
「まさか! この事件に、そんな真相が!?」
今にも飛び出して行きそうな勢いの葛城に、ミサトは再び呆れた視線を送る。
「彼方の欠点は、思い込みが激し過ぎるという点ね。…繰り返すけど可能性の問題。単なる私の推理の一つ。裏付けがある訳では無いの。それに仮に動機がそうだとしても、こんな手の込んだ回りくどいことするかしら。…私なら御免だわ」
「でも、こんな訳の分からん事件ですよ。当ってみるだけの価値はあります。それと、もう一つ。ミサトさんが推察する犯人像ですが、宜しければ参考程度に教えていただけませんか?」
「そんな事、言わない方が良いでしょう。・・・捜査に固定観念は厳禁ですから」
「では、教えて下さい。ミサトさんは、天広を、どう思っているのですか?」
「私の男性の好みの話ですか?」
彼女は真顔でキラリと目を光らせる。
「いえ、彼が黒幕だとは考えられないでしょうか? と言う意味で…」
「短刀直入な質問ですね。では、お答えします。答はNOでありYESです。私の推察では確かに、彼は現場の化学室を自分の子供部屋の様に利用している主の様な存在で、四人とは同級生で顔見知り、科学の知識にも明るく、状況的には、現状で一番、演出者の実像に近い存在だと、私も認識しています」
「では、やはり!」
「しかァし! 現状で考える限り動機が判りません。しかも、仮に私の推理が正しいとして、彼が口封じの為に彼女等を陥れたのだとしたら、この事件はあまりにも荒唐無稽で突飛に過ぎる。もしそうなのだとしたら、まだ何かある筈。こんな事件を引き起こしたハッキリした動機がね。それが判るまで断定的な物言いは出来ません。葛城さんも、当然、先走った行動は謹んで下さい」
『ヤッパリ、疑ってはいるんじゃないか・・・』
葛城は黙って頷く。
「何にしても今日はもう遅いです。気が逸るのは判りますが、捜査の続きは明日にしませんか?」
「そうですね。落ち着いて考えれば、見落としている。もっと何か重大な事に気が付くかも知れない。…勘ですが、この事件、もうあまり時間が残されていない様な気がします」
そう言って彼女は、再び、夜空に輝く月を見上げたのだった。
☆ミ
失踪事件の経緯はあらかた把握した。
後は動機だけ。
しかし、知らぬ間に時は迫る。