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雨に宿る

作者: 秋田 茂

 私は急に降りだした雨の中、片田舎の砂利道を駆けていた。まだ十八時前なのに薄暗くなりだした寂れた道をひたすら駆ける。生憎傘は持ち合わせていないので、代わりに学生鞄を頭の上にし走っている。そのせいで腕が段々と疲れてきた。早くバス停に行かなければ。バス停と言ってもこの田舎には木造のボロっちいものしかない。それでも無いよりマシだ。

 制服購入の際、大きくなるからと一つ上のサイズを買ったが故に、足より少し長いスカートの裾が泥を吸い上げ一歩進むたびにぐちゃぐちゃと嫌な感触がする。


 暫く走ると、雨のせいで視界がぼやけているので判りにくいが、視界の先に屋根のあるバス停が見えてきた。

 もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせて足を早める。それと同時に雨脚も強くなってきた。


 小さな蛾が集る蛍光灯のみに照らされたバス停に着いた私は鞄の中からタオルを出し髪をガサツに拭く。他に誰もいない無人のバス停で雨音とゴシゴシと髪を拭く音だけが響く。

 髪も拭き終わり、遂に雨音だけが響く静かなバス停。そのベンチの端に腰掛け首にタオルを巻き一息つく。バスの時刻表によるとあと二十分程すればバスは来るそうだ。その間暇をつぶす方法はない。

 何か特別なことを考えるでもなく、何かするわけでもなく、ただ何となく雨を眺める。ぼーっとする。


 しかし、雨というのはなぜだろうか無性に落ち着くものだ。ザアザアと鳴り降る雨粒も、雨が地面に落ちて飛沫が舞う様も、蛍光灯の光を反射してキラキラと輝く水溜りも、霞んで視界不良の景色も、そのすべてが微かな不安とともに安心を与えてくれる。

 雨を眺めながら思案に耽っている間に既に五分経過していた。バスが来る様子はまだない。流石にずっと雨を見ているわけにもいかないので勉強でもしようと鞄から参考書を取り出す。出てきたのは雨によって濡れ、印字もイラストもメモも見えなくなったボロ本だった。その他の参考書やノート、問題集の類は全滅しており、残ったのはポケットに入れてあった単語帳が唯一だった。仕方がないのでその単語帳を広げようとしたら、単語カードの一枚がヒラヒラと椅子の下まで落ちていった。よく見ると金具で纏めるための穴の部分がふやけていて他のカードもかろうじて繋がっている状態だった。落ちたカードを拾おうと椅子の下を覗くと、そこには皮でできたありふれた鞄が一つ置かれていた。


 革の鞄を椅子の上に置いてみると、思いの外重かったことと中に何か入ってることがわかった。鞄の表面は光沢があり、つい今しがた誰かが置いていったような真新しさだった。鞄の側面に口はなく、上にチャックが付いてあるだけのシンプルな鞄だ。もはやカードなどどうでも良くなった私は好奇心と暇潰しのため恐る恐るチャックを開けた。

 中に入っていたのは五十センチ程度の所謂フランス人形だった。フリルやリボンがあしらわれた白を基調としたドレスに頭には貴婦人が被っていそうな立派な帽子、思わず見入ってしまい呼吸を忘れてしまうほどの綺麗な碧い瞳。人形などについて微塵も知らない私だが、この娘については相当価値の高いものだと疑いようもなく思った。でもだからこそ不思議だ。なぜこれほどまでの代物がこんな寂れた田舎の埃臭いバス停に、それも椅子の下なんかにあったのだろう。普通なら誰かの忘れ物と思うのだろうが自分にはこれがただの忘れ物とはどうしても思えなかった。何故そう思ったかは定かではないが、何か確固たる理由があってこの鞄が、この娘がこんなところに置かれていたのだと私は悟った。


 人形を眺めてるのに夢中になっていると雨の中を車が走る音が聞こえた。時計を見るとさっき見たときから更に十五分経過していた。バスに乗り込み一番うしろの席に座る。ここが一番横が広く、少し高い位置にあるので全体を見渡せるこの席がいつもの特等席だ。疲れたときはここに寝転がったりもする。マナーは良くないが、この辺りではバスを利用するのなんてせいぜい自分か遠くから来た者だけだし――新型ウイルスの影響で元々少なかった数がより減ったが――、運転手も何も言ってこないので別に構わないだろう。もっとも、こんな田舎に訪れる物好きなどいないだろうから実質私の貸し切り状態なのだけれど。

 扉が閉まり軽い揺れとともにバスが発車する。(人形の入った)鞄が落ちないように膝に載せ、中の人形をゆっくりと観察することにした。この時、私は無意識にバスのミラーに映らないよう端の前の席がちょうど死角になる位置にまで移動していた。


 バスでの移動中、私はずっとフランス人形を眺めていた。この人形には不思議な魔力がある。見ていて飽きない。まるで雨みたいだ。

 ふと、この人形の経緯について考えてみた。なんであんなところにあったのだろう?忘れ物とは思えないし、このような高価なものを捨てるわけもないだろうに。元は誰のものだったのだろう?よっぽどの金持ちの女の子か、はたまた人形愛好家か。いつからあそこにいたのだろう?真新しさがあったので今日中なのか、もっと前からあったのか。自問自答を繰り返し片時も人形から目を離さなかった。


 バス内に次の駅のコールが入る。自分の降りる駅だ。学生鞄から定期を取り出し手早く会計を済ませる。

 先程までとはいかないが雨は未だ降り続けている。人形が濡れてはいけないと思い、革の鞄を庇うように前傾姿勢で走る。傘代わりの鞄すらないのでがら空きとなった私に容赦なく雨が降り注ぐ。

 雨ざらしになりながらも家路を急いでいると携帯の着信がなった。適当な屋根のあるところまで一時避難し、届いたメールの内容を読む。メールは母からであった。帰りが遅くなるから家にあるもので適当に夜ご飯を済ませてほしいとのことだ。「わかった」とだけ返事をし再び帰路に就く。


 家に着くと私は、靴を脱ぐやいなや自室へ上がった。扉を開け正面奥にあるベランダの鏡に自分の姿が写る。向かって右側、奥の隅に設置されたベッドに学生鞄を放る。その対面に勉強机が構えてある。部屋はそれなりに綺麗にしているつもりだ。件の鞄を床に置き、中の人形を勉強机の棚に座らせる。見れば見る程に美しい。人形の髪は雨で濡れていた。それがより一層美しさを際立たせている。

 こうしてずっと人形を見ているとバスの中の続きを考えてしまう。そもそも、この人形はなぜあんなところにいたのだろうと考えても考えても、納得のいく答えは出ない。あの鞄の中に他に何か手がかりになるものはないかと中を探るがそれらしきものは見つからない。溜息と肩を同時に落とすと、ゾッとした寒気も同時に背中を走る。そういえばびしょ濡れのままだった。早いとこ風呂に入って着替えよう。人形の頭をベランダの窓に向けさせ――せめて退屈しないようにだ――自分は急いで風呂に向かう。湯が溜まってないのでシャワーだが。



 風呂から上がり、部屋着に着替えてから食事の支度をする。といっても、料理なんて出来ないので即席麺用のお湯を沸かす。その間、適当にスマホをいじりながら何気なくテレビをつけてみた。たまたまつけたチャンネルではニュースをやっており、ドクニンジンを誤って食べてしまった一人暮らしの男性が死亡した事故が取り上げられていた。ああいう有毒植物の事件は心が痛む。というのも、私の父はまだ私が幼かった頃にトリカブトを口にしてしまい死んだのだ。私の誕生日の前日のことだ。幼い私は現実が受け入れられず鬱ぎ込んでしまったのを覚えている。毎年楽しみにしていた誕生日パーティーはその年から数年やらなかった――否、やれなかった。父の死を思い出すのが私には苦痛だったからだ。勿論今は既に克服している。現に私の誕生日はもう来週までと迫ってきているが、昔のように怯えたりすることはない。

 私の回顧を邪魔するように湯が沸いたとヤカンが煩く喚き散らす。予め用意しておいた麺が入った容器に湯を注ぐ。お湯を注ぐだけでできるのだから、これほど優れた食べ物はないと思う。


 食事を終え、二階の自室へと戻ってきた。明日提出の問題集をしなければならないからだ。部屋に入って何か違和感を覚えた。なんだろう、この胸騒ぎ。……そうだ。問題集は今日の雨で濡れてしまったんだった。慌てて学生鞄から取り出すも、時すでに遅し。濡れたまま放置された問題集はページ同士がくっついた状態で乾いており、無理に剥がそうとするとぺりぺりと音を立てて表面が剥がれていく。せめて問題だけでも解いて提出しよう。そう考え、クラスメートの誰かにメールしようとすると学校からメールが届いているのに気が付いた。どうやら生徒の中に件のウイルスに感染していた者が出たらしく、明日明後日と臨時休校になるらしい。良かった。これで猶予は出来た。

 問題集を見せてほしいという旨のメールを送ったら、思いの外早く返信が来てくれた。クラスのグループに送ったから既読が早い人が気付いてくれたのか。ともあれこれで課題を終わらせることができる。スマホとノートを手に机に向かい合う。黙々と問題を解いていくうちに喉が渇いてきたので、飲み物を取ってこようと席を立つ。すると、机の上の人形と目があった。相変わらず綺麗な瞳。つぶらな瞳でこちらを見つめている。課題をする私を見守ってくれていたのかな。なんていう馬鹿げた妄想をしながら一階に降りた。


 飲み物を手に取り階段を上がろうとすると丁度母が帰ってきた。おかえりとだけ声をかけ顔も見ずに二階へ上がっていった。さて、もうひと踏ん張り。


 時計を見ると時刻は十一時を回っていた。勉強に夢中になり過ぎていたらしい。部屋の電気を消し布団に入る。毛布の温もりが心地良い。この時期は雨も多いしジメジメするけど、今夜は気持ち良く眠れそうだ。そういって眠りに就いた今晩は、重石でも上に乗ってるみたいにとても寝苦しかった。




 翌朝。彼女は目を覚ました。体が汗でビッショリと濡れているのに気付いた彼女は、いくらなんでも毛布で寝たのは無理があったようだと自分を納得させベッドから出た。早く風呂に入ろう。そう呟くと寝起き特有の浮遊感と共に胡乱な瞳でフラフラと階段を降りていく。ガチャリと扉が閉まるのを、"彼女"は眺めているのだった。



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