8 ラインカーディンへ
翌朝。
うすぼんやりとした空腹とともに、グリフィンは目を覚ます。
昨日は夕食をとらずに日をまたいでしまったため、さっさと寝てしまったのが空腹の原因だろう。
朝食にできそうなものはあったかと空間魔術の中を思い返すも、固くなったパンと入れっぱなしの紅茶くらいしか思い浮かばない。それなら買い物に出よう、とグリフィンはシャクラをゆすり起こした。
「おはよう」
「うむ、おはよう。しかし、このテントは快適じゃのう」
起こされたシャクラは、あちこちはねている髪の毛を手櫛で整えながらあくびをかみ殺す。
「このテントは元々聖女様用だから、かな。聖女様はクロスランドのお姫様だし、自然とおれたちよりいい物を使っていたから」
「聖女……のう」
シャクラは何か考え込んでいるようで、しばしののちグリフィンにとある提案をする。
「グリフィン、もしおまえさえよければ、シレ―ネシアに行かんか?」
「急にどうしたの」
シャクラの真剣な声に、グリフィンは朝食になりそうなものを考えることをやめてシャクラの方へ向き直る。
「昨日も言った通り、おまえは指名手配をされておる。なら、陸や海から国境を超えるのは難しいじゃろう? シレ―ネシアはその点空を飛んでおる自治国家じゃ、追手も簡単に手出しは出来まい」
「指名手配……されてるよね、そりゃあ」
思い当たる節のあるグリフィンはそっと目をそらす。シャクラは空腹なのか自分の腹を撫でながら、グリフィンに理由を聞いた。
「しかし、なぜ指名手配をうけておる。勇者とともにわしの討伐に尽力しておったではないか」
「えーと、トレイがおれの空間魔術にいるのは知ってるよね。それと、毒を受けていることも」
「もちろんじゃ! まさか、」
「勇者トレイに毒を持った犯人として、殺人容疑で追われているんだ」
まだ死んでないのにね、とグリフィンは苦笑いをする。シャクラは納得がいった様子で、冒険者ギルドには近寄らな方がいいと言った。
「掲示板に、似顔絵の類はないが指名手配の掲示がされておった。あの場ではお互い名を呼びはせんかったが、もしかしたら気付かれておるかもしれん。それに、昼に会うトリサはもしかしたら気付いておる」
「名乗ったら『ああ、あの』って言ってたね、そういえば。……依頼を受けたけど、どうしようか」
依頼を受けている以上、少なくとも一度商業ギルドへ行かなければならない。そこで依頼を破棄されるのか、自警団に捕まるのかは分からないが、グリフィンたちから依頼を破棄するのであれば必ず行く必要がある。
「契約書を交わしたからには、向こうも履行せねばなるまい。問題は、ラインカーディンに到着してからじゃろうなぁ」
お互い唸りながら悩むも、シャクラが空腹を訴えたことで朝食にしようという話になった。
テントを出て調理場で火を借り、簡素なスープを作る。具材は食べられる野草をいくらかと干し肉をほぐしたもので、器に入れて固くなったパンと一緒にシャクラに渡したらげんなりとした顔をされてしまった。
「いくらなんでも、これはどうなんじゃ」
スープにパンを浸し、柔らかくなったところから口に入れる。野草の何とも言えない苦みが塩味のスープのなかで自己主張をしており、ふにゃふにゃにほぐれた肉はゴムを噛んでいるような感触がある。
「おいしいよ?」
「材料費は出すゆえ、もうちっとこう、見栄えと主食肉野菜をそろえたものを用意してもらえぬか?」
シャクラは向かいで食べているグリフィンに文句を言うが、グリフィンは問題なさそうに食べていく。
グリフィンは「買い物をしてなかっただけだよ」と肩をすくめ、二杯目を器によそった。
朝食を食べ終え、グリフィンはテントを空間魔術に引き上げて管理所で退出の旨を伝える。昨日と同じラミアの男性は、グリフィンから鉄の札を受け取ると預り金と実際の費用の差額を渡した。
「お気をつけて」
気だるげに見送るラミアの男性に、シャクラは軽く手を振って応える。
商業ギルドに向かう途中、遠回りして市場に向かう。朝食の文句に対する当てつけではなく、持ち歩いている食料がほとんどなくなったからだ。
「なにを買うのじゃ?」
「干し肉と魚の干物と水と酒類と……生肉は検討中」
そう言いながら、グリフィンはいくつかの店を渡り歩いて干し肉と魚の干物を買い付ける。水と酒は樽で買えたので、すべて斜めがけの鞄──マジックバッグに入れていった。
「空間魔術には入れんのか?」
「こっちにもまだ入るから、とりあえずはね。それに、あの鞄に時間停止の類がかかっていないのはシャクラも知っていると思ったけど?」
そう言われて、グリフィンの手元にりんごの燻製を足そうとしていたシャクラは気まずそうな顔をする。
空間魔術とマジックバッグは近い性質と使われ方をする別の物だ。この二つの違いはいくつかあるが、大別すると自由に獲得できるかどうか、時間の経過があるかどうか、容量について、使用者の手を離れたときについて、そして入れられるものについてがある。
空間魔術はその名の通り『空間』を魔術で構成するため、使用者にもよるが時間経過で中のものが劣化する。マジックバッグは空間拡張と時間停止の魔術が施されている鞄を指すため、中のものは基本的に劣化しない。
また、空間魔術には生き物を入れることが出来るが貨幣を入れられず、マジックバッグには生き物が入れられないが貨幣を入れることが出来る。これは貨幣そのものが発行される際に空間魔術に入らないよう加工されることが原因で、財布専用にとたいして容量がないマジックバッグも安く流通している。
「それも……そうじゃったのう?」
シャクラは魔王の首として、グリフィンの空間魔術に潜んでいた。それゆえ知っているはずとグリフィンは投げかけたのだった。
グリフィンはシャクラの持っていたりんごの燻製も買うと、一通りマジックバッグに入れて店を出た。
「早めにお昼を食べようか。今のお店の人が卸しているっていう定食屋さんを教えてもらったし」
「そうじゃの。わしは魚が食べたい気分じゃ」
グリフィンたちは手早く昼食を終えると、商業ギルドの方へと歩いていく。
商業ギルドの前。広場になっているそこには、肩に極彩色の鳥を乗せたトリサが立っていた。トリサはグリフィンたちに気が付くと、持っていた懐中時計を懐に戻し鳥の脚を撫でる。
「お待たせしました」
「大丈夫だ、約束よりかなり早い。店まで案内しよう」
「お願いします」
トリサの案内で、グリフィンたちはロウリィトンの商業区画にある“竜の首”の店に向かう。店の前には馬が数頭繋いであり、馬車の姿はない。
「二人とも、店の中へ。契約の変更について話をしたい」
「……シャクラ」
「かまわん」
やや警戒しながら、トリサとともに店に入る。店の中は商品が並んでおらず、売り場の中央に運搬する荷物だろう木箱が積まれている。
トリサは木箱の一つに腰かけ、予定が変わったと伝えてきた。
「本国の都合により、可能な限り早くラインカーディンに向かうよう連絡が来た。この子は伝令役でね」
「それで、契約を変更したいと?」
「ああ。契約書の変更はラインカーディンに到着し次第になるが、どうか受けていただけないだろうか」
悩むグリフィンに代わり、シャクラは判断材料を集めるべくトリサに質問をする。
「そちらの都合で変更するのじゃから、違約金は弾んでもらえるのじゃろうな?」
「もちろんさ」
「では、表に繋いであった馬は」
「私とグリフィン、そしてきみの分だ。自分で馬に乗れないというのなら馬車を用意する」
「本国、というのはラインカーディンの向こうの?」
シャクラの問いに、トリサは驚いたように答える。
「言っていなかったか? 我々“竜の首”はシレ―ネシアに属する。本国に帰還するため、ラインカーディンに向かう予定だ。もし可能であれば、君たちをシレ―ネシアへと案内するように、とも言い使っている」
トリサの答えに、シャクラは「これは鴨が葱を背負って来たようじゃのぅ」とグリフィンを小突いた。
他の質問が終わってもまだ悩んでいたグリフィンに、シャクラはトリサの話を飲めばシレ―ネシア行はたやすいとささやく。
「それでは、契約変更を受け入れればシレ―ネシアに入国させてもらえる、と?」
「もちろんさ。ただ、受け入れてもらえないのならば、この場で二人とも誘拐する」
「……シャクラ、トリサさんに何を聞いたって?」
「シレ―ネシアはおまえを探している、と聞いたのう」
「それは、この国と大差ない理由なんじゃあ」
萎びた葉物のような顔で落ち込むグリフィンに、トリサは慌てて訂正を入れる。
「待て待て。クロスランドで何と言われているかは知らないが、そう悪いことは起きないはずだ。それより、契約の変更はどうする?」
「……誘拐されるといくらもお金はもらえませんからね、変更を受け入れましょう」
床に崩れ落ちそうな気分になりながら、グリフィンは契約変更に同意する。
「ありがとう。気を取り直して、運んで貰いたいものについて」
トリサは安心したらしく、やや穏やかな表情でグリフィンたちに話す。
「私のマジックバッグに入らなかったもの、つまりは生きている人を主に入れてもらいたい。空間魔術の時間経過はどれほどかな?」
「一時間につき二分じゃな。一日に直すと、四十八分か」
「えっ、」
何か言いたそうなグリフィンに、シャクラはあえて圧をかけて次の言葉を封じる。
「なんじゃ、グリフィン。時間係数は初耳か?」
「いや……なんでもない」
シャクラの意図通り黙るグリフィン。トリサはシャクラの空間魔術が高性能なことに喜びつつ、入れてもらうもののリストを一部シャクラに渡す。
「なんにせよ、それなら最終日まで入れたままでもよさそうだな。二便が一便に圧縮されたから、三十名ほどいるのだが問題ないか?」
「なんならこの店ごと入れてもいいが?」
「悪いが、この建物は借り物でね。運ぶものだけをお願いするよ」
「仕方ない」
人を連れてくる、と言って店の奥に向かうトリサ。シャクラは木箱に座らせてもらい、足をぷらぷらさせながらグリフィンとともに待つ。
「そういえば、わしは結局お前がどう戦うのかしらんのじゃが。得意な武器は何じゃ?」
「おれは前に出て戦いもしないし、後ろで何かをするわけでもないよ。荷物持ちだからね」
きりっとした顔の割に、しょうもないことを言い切るグリフィン。シャクラはかつてのことを思い返しながら、戦闘に寄与していないわけではないとグリフィンを励ます。
「おまえはなにか丸いものを勇者たちに投げていたようじゃが、それは戦闘に役立っておらんかったわけではなかろう?」
「投げ薬のこと? あれ、効果はいいけど使えないって評判だからさ」
「しかし、勇者が攻撃を受ける直前に防御力強化のそれを投げておったろう」
「そうだけど、」
グリフィンは自身の空間魔術からいくつかの投げ薬を取り出し、シャクラに見せる。
「おれが使うのは小さいし、おれ自身は一度でも攻撃を受けたら死んでしまうくらい弱いから。我儘を言ってトレイと一緒に魔王を倒す旅に出たけれど、いない方がいいって何度も言われたよ」
「しかし、おまえのおかげでわしはここにおるんじゃ。感謝しておるぞ」
そうこうしているうちに、トリサの案内で目隠しをした人が続々と連れてこられる。
「なぜ目隠しをさせておる?」
「空間魔術の中に入っているものを見せないためさ。珍しいものを入れていたりしたときに、盗まないとも限らない」
「なるほど」
床に空間魔術の口が開かれ、順番に入れられる。ついでとばかりに木箱を空間魔術に落とし、シャクラは軽い音を立てて床に着陸した。
「では、先を急ごうかの。トリサが知っておるかは知らんが、グリフィンは指名手配を受けておるからの」
「そうだったのか。では、出発前にこの子に手紙を持たせたい、少し待ってくれ」
店のカウンターで何かしらを書きつけて、鳥の胸に埋もれている鞄に入れる。
グリフィンたちが建物の外に出ると、町は何やら騒がしかい。トリサが隣の店の店主に話を聞く。
「何があった。戦か?」
「聖女様がこの街に来たらしい。隣の家の奴は見に行ってるが、俺はこの通り仕事中だからな」
「へぇ……」
トリサは何か考えているようだが、グリフィンは青ざめる。シャクラはトリサに出発を急かす。
「トリサ、急ぎなんじゃろ? なら、聖女なんぞにかまけておる隙はないと思うのじゃが」
「お、悪いね。二人とも、馬には乗れるかい?」
言いながら、トリサは馬を繋いでいた縄を解いていく。
「おれは大丈夫です。シャクラは」
「乗れるが、わしはひとまずグリフィンと相乗りさせてもらう。余る馬が偶数になるからのう」
馬の下に空間魔術の口を開き、乗らない分の馬を入れる。今周囲の視線は聖女の一行が来たことに向かっていて、堂々と目立つことをしようと咎める者はいない。
「シャクラ、後ろに」
「うむ」
馬に鞭を入れ、速歩でロウリィトンの町中を進む。さほど時間がかからずたどり着いた門で、トリサが町を出る手続きをしてグリフィンたちはロウリィトンを出た。
簡易救護所の横を抜け、ロウリィトンからすぐの二つの湖を繋ぐ洗い越しを進み、そのままラインカーディンへ向けて速度を上げる。
「二人とも、ついてきてるね!?」
「もちろんじゃよー」
「このまま森を突っ切る、少し間を開けな!」
街道から森の獣道に逸れ、少し速度を落として木々の合間を抜けていく。獣道は魔物の少なそうな辺りを通っているのか、曲がりくねって走りにくいことこの上ないだろう。
「では、僭越ながら」
グリフィンの後ろでシャクラがなにがしかをつぶやく。すると馬たちの速度が上がり、トリサが慌てたような声で馬を諫める。
「そんなに急いだら長く走れないよ、ほら、おとなしくしなっ」
しかし馬たちは速度をほぼ落とさず、日が傾くまでひたすらに駆け抜けた。
馬が速度を落としたところで、さすがに休もうとトリサから声がかかる。
「あんたたち、今日はここで野営でもいいかい?」
「もちろんじゃ! グリフィン、テントを」
「ちょっと待っててね」
森の真っただ中、グリフィンは手慣れた様子で野営の支度をする。シャクラはグリフィンが作業に没頭している間に、トリサに先の加速について詫びを入れに行った。
「悪かったのう、馬には無理をさせた」
「あんたがなんかしたのかい?」
「そうじゃ。重量軽減のまじないを重ねがけして、馬からすれば人が乗っておらん位にさせてもらったのじゃ」
グリフィンは手早くテントを立てる場所を確保し、屋根にカモフラージュを施し魔物避けのカンテラを吊るしてシャクラとトリサに声をかける。
「テント立て終わったよ」
「うむ。ではわしは夕餉まで眠るとするかの」
シャクラはいそいそとテントの中に潜っていく。グリフィンは肩をすくめながら、周囲に落ちている枝を拾い、地面の木の葉を除けてたき火を作る。
夕食はグリフィンとトリサの二人で作り、グリフィンはテントの中を覗く。
「シャクラ、お夕飯だよ」
「ぅやー」
「じゃあシャクラの分はなしね」
グリフィンがテントを閉めると、シャクラが起きたのか何かを言っているのが分かる。グリフィンはシャクラの分を取り分け、今日の夕食の麦粥を流し込む。
「起きたのじゃー!」
「トリサさん、おれたちのテントで良ければ寝てください。寝心地は保証しますよ」
トリサは礼を言ってテントに入る。しばらくして寝息が聞こえ始めたので、軽く洗い流した食器を拭きながらシャクラにも眠るよう促す。
「おれはまだしばらく起きていられるから、シャクラはもう一度寝ていたら? 明日は手綱をお願いしたいし、さ」
そう言われたシャクラは怪訝な顔をして、今日はこのまま二人で野営をすると答えた。
「わしも、いくら斯様な外見になっておろうと異性と共に眠るのは気を遣う。それに戦闘要員がおらんからのう」
「そっか。……ん?」
グリフィンは話に違和感を感じつつも、明日の朝食を考えていたがゆえの聞き間違いだろうとそのまま聞き流した。
翌朝。朝食にリンゴの燻製を出し、グリフィンが一時間ほど仮眠を取ってから出発する。
「馬は入れ替えて、また重量軽減をするかの。トリサ、ここから目的地までは、来た道とどちらが長い?」
「昨日の昼過ぎから日暮れまでで、道のりの四分の一ってところかね。ただ、最後の四分の一は旧街道に出る、そこからは速度を出せるだろうね」
今日はグリフィンとシャクラ・トリサの組み合わせでそれぞれ馬に乗る。獣道というよりも木々の合間に近い道は走りにくく、昨日のように速度を出すようなことはできない。
道中数回の休憩をはさみ、旧街道が見えてきたところで日が暮れたため野営とする。夕食を作ろうとしたグリフィンだが、シャクラに言われて仕方なく最初に休むこととなった。