52 温泉街ヴァルトユーデル(4)
グリフィンが脱衣所から出ると、シャクラは部屋にいなかった。
のぼせたところから復帰したばかりだし、とグリフィンは空間魔術にいつからか入れっぱなしにしていた果実水のカップを取り出し口をつける。冬の訪れのように冷えた果実水はまろやかな口当たりで、グリフィンはもう何杯か買っておけばよかったとぼんやり思考した。
「深夜に失礼します」
部屋の扉をノックする音。グリフィンは何かと思い、扉の方向へ意識を向ける。
「お連れ様の入浴にパッチが同行しましたので、パッチが不在の間控えさせていただきますミタマロと申します。隣室に居りますので、何かございましたらお申し付けください」
「……じゃあ、」
グリフィンはミタマロに、洗濯してほしい衣類があることと、翌朝までで構わないと前置いて用意してほしいものを伝える。
「最近の新聞を用意してほしいんだ。できれば1紙だけじゃなく、ポーラ王国連邦の有名なのと、クロスランド、帝政ザルバニトゥ、あとアストラット公国のもあると嬉しいな。もっと言っていいなら、クロスランドの新聞だけ過去2月分」
「ポーラ王国連邦より西側だけでよろしいので?」
「今挙げた国の新聞なら読めるから」
「失礼いたしました。衣類については洗濯代行が可能ですので、只今専用の衣類袋をお持ちします」
扉の向こう側からミタマロの気配が遠のく。
グリフィンは周囲の気配を伺い、他人の気配がないことに安心してうつらうつらと船をこぐ。
2、3度眠りそうになったのを持ち直して、グリフィンはシャクラを待つのをあきらめる。せめて部屋の奥側にあるベッドで眠ろうと、グリフィンは這いずるように部屋を横断した。
ズドン、と重たい塊が落下する音にグリフィンは目を覚ます。周囲を伺うと、どうやらシャクラがベッドから落ちた音のようだった。
落ちた本人はなにかむにゃむにゃと寝言を唱え、幸せそうに眠っているようだ。指向性を帯びた明るさがよだれらしきものを照らしている。
「お客様、何かございましたか?」
扉をノックする音と、心配するミタマロの声。グリフィンは寝起きの気怠さを振り払い、ベッドから落ちただけだと声を上げる。
「同行者がベッドから落ちてしまって。ごめんなさい、今は何時ですか?」
「ただいま朝の8時をいくらか過ぎたところです。よろしければ、朝食のご用意をさせていただいても?」
「お願いします」
「整いましたらまたお呼びします。お支度はごゆっくりどうぞ」
ミタマロの気配はそう離れないあたり、実はもう準備ができているのかもしれない。
グリフィンはベッドから降りて、部屋の風呂場で軽く顔を洗い、簡単に衣服を整える。
シャクラは幸せそうな顔で寝ていたため、グリフィンは軽く揺すって声をかけた。
「シャクラ、朝だよ」
「ぶみー」
「なにそのヤドカバみたいな声」
「……いやなんじゃそのヤドカバとは」
「おはよ」
ちなみにヤドカバとは俗称で、移家馬というカバと亀の合いの子のような魔物のことだ。特徴は背中にヒトが住めるくらいの殻を背負っていることで、魔物使いは気性が穏やかな個体を捕獲して旅のお供にすることがある。
シャクラは体を起こし、伸びをしながら尾でよだれを拭き取る。
「お風呂で顔と尻尾洗ってきたら?」
「そうじゃな。どこかの誰かさんが床で寝落ちておったから、わしも部屋の風呂はまだ見ておらんしの」
楽しそうに脱衣所方面に歩いていくシャクラ。
グリフィンはベッドのシーツをはぎ取りながら、自分はベッドにたどり着いたようなと首を傾げた。
シャクラが尾を洗い終わった頃合いを見てか、ミタマロから声がかかる。グリフィンはシャクラに誘導してもらいながらだが、朝食が用意されているという食堂へむかう。食堂ではほかの宿泊客も食事をしており、開いているテーブルにグリフィンたちは通された。
「そうじゃグリフィン、わし冒険者ギルドに行きたいんじゃが」
温泉卵をかけたご飯をほおばりながら、シャクラは本日の予定をグリフィンに聞く。グリフィンは口の中の者を飲み込んで、情報収集をすると答えた。
「新聞を用意してもらうから、今日はそれに目を通すつもり。シャクラ1人でギルドに行くならそれでもいいと思うよ」
「いや、わしも新聞を読むとしよう。日刊おもてなしもあると嬉しいんじゃが」
シャクラは横目で控えているミタマロを見る。ミタマロは「ご用意いたします」と頭を下げた。
「なに、その……何?」
「なんじゃ、どこぞは娯楽として日刊おもてなしも取っておらんのか? 端的に言えば、読者投稿を事実確認せず掲載する新聞じゃ。発行しておる会社は極東にあると聞いておる」
「裏を取らないから、表なし、ってこと?」
「そういうことじゃ。なんでも、洒落の利いた表題にしようとして失敗したらしいの」
グリフィンは新聞を頼んだ時のミタマロが、どうしてポーラ王国以西でよいか確認したのかに思い至った。この、日刊おもてなしを用意するかの確認だったのだろう。
「おれの読める奴だといいな」
「各言語版が発行されておるからの。ま、わしはなんでも読めるがの」
「ははは」




