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51 温泉街ヴァルトユーデル(3)

 部屋に隣接した風呂場は、洗面所を兼ねた脱衣所を経た先にあった。

 ちらりと覗き込んだ風呂場は、グリフィンなら3人は並べそうな奥行きの洗い場と、滾々(こんこん)と湯が足される木製の湯舟が設置されていた。すん、と鼻を鳴らすように匂いを嗅げば木の持つ瑞々しい香りが胸に吸い込まれる。壁も木製のようで、湯気で湿気た手で触れるとすぐに乾燥したのを見るに水をはじくか乾燥させるかの魔術がかけられているのだろう。


「……さすがに大丈夫だとは思うんだけど」


 グリフィンは脱衣所と部屋をつなぐ扉の前に、風の魔術で壁を作って開かないようにする。光幻犀(シャインライノー)を迎撃した時の魔術だが、何度か使っているからか思っていた以上の強度が出た。

 脱衣所に置かれた棚、引き出し替わりに置かれている籠のひとつへ空間魔術(ストレージ)から着替えを出して入れておく。洗ってある服の残りが少ないので、できればこの宿にいるうちに洗濯ができればいいと考える。

 服や下着を取り払い、洗い場で念入りに髪と体を洗って、それからグリフィンは湯に浸かる。やや熱い湯が疲れた体をほぐすような感覚に、グリフィンは思わず大きく息を吐いた。

 ふと脱衣所の方からシャクラのわめく声が耳に届き、グリフィンは扉の前に置いていた風の壁を厚くして音を遮った。



 グリフィンを風呂場に見送ってしばらく。グリフィンがちっとも風呂場から出てこないために、シャクラは自分が風呂に入るには数時間かかりそうだと考え、脱衣所の扉をノックして抗議した。


「グリフィン、わしも温泉に入りたいんじゃが」


 返答の代わりに、脱衣所の向こうで風の壁が厚くなる。扉を開けようとしても手のひらが差し込めるかどうかの隙間しか開かず、グリフィンが風呂を譲ってくれることはなさそうだ。

 シャクラはしょぼくれながら、靴を適当にひっかけて廊下に出る。隣室で待機しているというパッチに声をかけるためだ。

 隣室の扉をノックし、扉を開けたパッチに先ほどぶりとシャクラは声をかける。


「グリフィンが風呂を占領してしまっての。露天風呂に案内してほしいのじゃが」

「かしこまりました。今の時間ですとほとんどの湯が開いていますが、広さや効能でご希望はありますか?」


 シャクラはパッチの言い回しにピンときた。


「地酒の冷やを、というのはできるかの?」

「もちろんご用意がありますよ。ただ、当館の規約上1度の入浴につき1杯まで、かつ飲酒をしない同行者が必要となります。この度は同室のグリフィン様が同行できないため、我々スタッフから同行者をご用意させていただきますね」

「うむ。パッチが来てくれてもよいぞ」

「ありがたいお言葉ありがとうございます。では、手配をしてまいりますので失礼します」

「よろしく頼む。わしは部屋で待っておるゆえ、多少時間がかかっても問題ないからの」


 今は日付も変わって2時間近く経過した深夜ゆえ、温泉も酒も支度に時間がかかるだろうとシャクラは部屋に戻る。

 下着の替えを空間魔術(ストレージ)から取り出し、温泉と言えばこれだろうとマイ桶を取り出し、温泉が楽しみだと歌いながら床に座って足をばたつかせる。

 そのうちに脱衣所に置かれていた風の壁が取り払われる感触と、いくらか重たいものが倒れるような音がした。


「グリフィン?」


 手のひらほど開けたままの、脱衣所の扉が衝撃でゆっくり開いていく。

 そこには全裸のまま床にうつぶせになっているグリフィンがいた。


「のじゃー?!」


 シャクラは慌てて脱衣所に入り、グリフィンのあちこちに手を当てる。どこも熱くなっているところを見るに、風呂場でのぼせ(・・・)たので間違いないだろう。

 洗面所に置かれたタオル類を水道の水で濡らし、グリフィンの頭と足を冷やす。できれば顔を冷やしたいところだが、呼吸を阻害してしまうわけにはいかない。

 シャクラはグリフィンの体勢を変えようと考えて、大きめのタオルで腰回りを覆った。



 頭に巻き付くひんやりとした感触に、グリフィンはぼんやりと意識を持ち直す。周囲の音を聞けばシャクラの心音がある、そばで介抱してくれていたようだが、まだ風呂に入れていないのだろう古い汗のような臭いが鼻についた。


(氷属性の蛇に絡まれた……いや、温泉でのぼせたから、シャクラが対処してくれたのか)


 ひんやりとしたものに手を伸ばせば、水をたっぷりと含んだタオルに指が触れる。足の方にも同じように水を含ませたタオルを巻かれているのだろう、少し冷えすぎて風邪をひきそうだ。


「っ、いたた」

「気が付いたか。無理に起きるでないぞ、余計気分が悪くなるはずじゃ」


 グリフィンが慌てて体を起こそうとすると、頭に鋭い痛みが走った。横で様子を見ていたシャクラがグリフィンの目覚めに気付き、尾でグリフィンを巻き取ってゆっくりと元の横向きに寝た体勢に戻した。

 この角度で寝かされていたということは、当然全身をさらしていたということに気付いてグリフィンは腹に手を添わせる。が、目的地にたどり着く前にやや湿気たタオルに遮られ、風呂場にタオルは持ち込んでいなかったはずと不思議に思いながらつぶやく。


「この、腰のタオルは、」

「わしがかけた。元はうつ伏せだったからの、尻が丸出しでは恥ずかしかろ?」

「シャクラに介抱されるってこと自体、だいぶ恥なんだけどね」

「なんじゃとぉ……?!」


 だんだんと頭痛が収まって、グリフィンは深呼吸ののちに起き上がれそうだと判断する。


「シャクラの言う通り、あちこち出てるのは恥ずかしいから服を着たいんだけど。脱衣所から出ててもらってもいい?」

「もちろんじゃ。しかし着替えている途中に気分が悪くなったらしゃがみ込んでおくんじゃぞ。頭を強打すると命にかかわることもあるし、の」


 小言を言いつつ、シャクラは脱衣所を出る。

 グリフィンはあちこちに巻かれたタオルがずり落ちないように注意しながら、ひとまずは脱衣所の扉をきちんと閉めた。

 深呼吸を繰り返す。今度はゆっくりと体を起こし、着替えを入れた籠を手探りで引き寄せる。座ったまま下着を足に通し、少しずつずり上げて履いた。下着の上に魔物の毛皮製のセーフティカップをベルトで固定し、襟首が濡れるのを承知でシャツを着る。

 もう頭にぼんやりとしたところはない。壁に手をつきながら立ち上がり、足からタオルがはがれて床に落ちる。

 壁に体を預けたままズボンを履き、グリフィンの気分はやっと落ち着いたのだった。

この世界では、魔物の中でも頭のいい個体が執拗に股間を狙ってくることがあるため、セーフティカップは必須の装備です。

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