35 たくさんのカトラリー
グリフィンの取り出した礼服は――少なくとも服そのものが過ごした時間としては――汚れてからさして時間が過ぎていなかった。
魔術で礼服をきれいにするには、いくつかアプローチが存在する。ひとつは水や洗剤(のような効果の)魔術で洗うこと。ひとつは魔術で汚れそのものを分解してしまうこと。そしてひとつは、モノの時間を巻き戻すこと。
シャクラの取った手段は、モノの時間を巻き戻すことだ。洗う魔術は乾燥をしなければならないので、礼服には向かない。汚れを分解する魔術は、シャクラにはちょっと繊細過ぎる。その点時間を巻き戻すくらいであれば、魔王を称するものとしてそこまで難しい話ではなかった。
……本調子ならば。
「のじゃっ?!」
シャクラはいくらか“肉”を取り戻したといえど、完全体ではない。今後永久に完全体に戻らない可能性もあるが、それはそれとして。
時間を巻き戻す魔術を受けた礼服は、いくらか時間が戻りすぎた。具体的には土埃や葉っぱを除去するとともに、質素ながらも施されていた刺しゅうが殆ど只の糸に戻ってしまった。
「どうしたの?」
「そ、そのじゃな。ちときれいになりすぎた」
シャクラは時間を進める魔術も使うことが出来るが、この巻き戻しの結果を見るに必要以上に時間を進めてしまう可能性がかなり高い。
刺しゅうのことについて、どう切り出そうか悩むシャクラ。グリフィンは黙り込むシャクラに、礼服の手入れに失敗したのだろうと想像した。
「シャクラ。手入れは十分だから、そろそろ出発しないと。席の予約をしたわけではないから、入れてくれないかも」
「それもそうじゃな。というか、手入れは成功しておるぞ。成功したが、ちとな」
「うんうん、シャクラがお店に入れるならいいと思うよ」
「失敗はしておらんのじゃが?!」
はははとごまかすように笑い、グリフィンはシャクラが持ったままの礼服を受け取って羽織りショートブーツに履き替える。。本来なら同じ意匠のハーフパンツやベストと着るものだが、グリフィンは手持ちの中で一番きれいな仕立てのスラックスと合わせることにした。
グリフィンが手探りで身だしなみを整える横で、シャクラは自身の着替えを済ませる。シレーネがシャクラにと用意したドレスは、首から胸をレースで包む半袖の黒いひざ丈のワンピースだ。Aラインのふわりとしたシルエットが楽しく、シャクラは何度かくるくると回ってスカートの動きを楽しんだ。
最後に一緒に渡されていたパンプスに履き替え、寸法に欠片の狂いもないことにいくらかの恐怖を感じつつシャクラの着替えは終わる。グリフィンは髪型に悩んでいるようで、さすがに前髪で目元を隠したまま店に入るつもりではないらしい。
「何か羽織らなくて平気? なんだか肌色が多い気がするんだけど」
「レースで覆われておるからのう、襟巻位は巻くか。それより、髪型はわしが整えるゆえしばし待たんか?」
「うーん、わかった」
シャクラは空間魔術から白い毛皮の襟巻を取り出し、ショールのように身体に巻き付ける。成人男性用なのでシャクラの身長くらい長さがあるが、なんとか見れる程度にバランスが整った。
宣言通りシャクラはグリフィンの髪形を整えにかかる。目元が出ていると誰彼かまわず魅了をまき散らす可能性があるため目元に魔力で魔眼封じの文様を描いてみたところ、かろうじて魅了の効果を抑えることが出来た。
グリフィンとシャクラは手をつなぎ、日の隠れた街に繰り出す。昼間の比ではないほどヒトがごった返す街中で、シャクラはするすると隙間を進む。
商業ギルドで聞いた情報をもとにたどり着いたのは、複数ドアマンを置くほどの高級店だ。吸血種を相手にする前提の店だからか壁のステンドグラスから光は透けておらず、配置を信用するなら2階建ての建物のように見える。
「ご予約ですか?」
ドアマンに話しかけられ、シャクラは少し悩みながら答える。
「シレーネからの紹介を受けての。予約はしておらんのじゃが、どうかのう」
「シレーネ様からの紹介ですね。中で少々お待ちください」
扉を開けてもらい、シャクラはグリフィンの手を引いて店に入る。
入ってすぐは応接間のようになっており、触り心地のいい数人掛けのソファが置かれている。ドアマンのひとりは店の奥へと消えていく。
シャクラは扉に近いソファにグリフィンを誘導し、自身は立ったままドアマンが戻るのを待った。
少しして、給仕らしき男性が2人の案内にとやってくる。案内されたのは店の奥、半個室となっているテーブル席だ。シャクラはグリフィンを部屋に向かって左側の席に座らせると、向かいの席に行儀良く座る。
「本日はラム肉の良いものが入っております。お肉に合うワインの用意もございますよ」
「どちらも飲めんからのう。このコースを2名分頼んでも?」
「かしこまりました」
給仕に渡されたメニューにさっと目を通し、メインに魔物の肉を使用しているコースを注文する。
グリフィンはシャクラの注文に待ったをかけるか迷っていたが、給仕のいる前で言うことではないからと立ち去ってから椅子ごとシャクラに近づく。
「シャクラ、おれコース料理だと」
「食べ方がわからんか?」
「前菜とスープしか食べられないんだけど」
「そうきたか、いや妥当か」
シャクラは行儀悪くテーブルに肘をつきながら、グリフィンの普段の食性を思い出す。
野営。林檎と野草のスープ1杯。
シレ―ネシア。空サラダ定食または水のみ。
宿。パンのみ。
「そもそも腹を減らすことはあるのか?」
「あるよ。でも、ちょっと食べたら充分なんだよ」
給仕が動く気配を感じ、グリフィンは近づいたときと同じように元の位置へ椅子を動かす。給仕は前菜を運んできた。
クルトンを口の中で転がしながら、グリフィンは「そういえば」と次のメニューが運ばれてくるまでの時間つぶしとしてシャクラに話しかけた。
「シレーネさんの紹介でなんて言ってたけど、いいの?」
「あれはああいう符丁じゃ。魔物肉の調理免許はシレーネが発行しておる、ゆえに奴の紹介であればと通してもらえるわけじゃ」
「魔物肉って、料理に使うのに免許いるの?」
グリフィンは今までの人生で調理した魔物の肉を思い返し、その味が恋しくなった。
「家族や個人で食べる分には問題ないがの。他人が調理したものを食べるなら、きちんとした知識を持った者が調理しているとわかりやすい指標があった方が良かろう? それで免許というわけじゃ」
「へえ」
「シレーネが直接発行するのは生の魔物肉を加工する一級の免許で、加熱済の肉を調理する二級は一級が何人かいれば発行可能のはずじゃ。グリフィンも取るか?」
「いや、おれは自分たちの分しか料理しないからいいや」
唾液で柔らかくなったクルトンを舌で潰し、飲み込む。
その動作に目を奪われたシャクラは、魅了封じが解けたのだろうと椅子から立ってグリフィンの側に寄った。
シャクラの巻いている襟巻は、元は友人の所有品でした。




