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Gott mit uns ~神は我らと共に~  作者: うだつ
開戦
7/21

世界大戦前夜 フランス・コミューン

フランスコミューンはブラックマンデーを見て狂喜乱舞し千載一遇のチャンスであると判断した。

弱体化を続けるドイツを見て開戦に向けて準備を開始し、ドイツ国内の対立を深めさせる工作を繰り返しながら軍拡を続けた。


強大なドイツ帝国軍を倒すことは非常に難しいことであるとコミューン政府は理解していた。

だが、国民からの強い戦争協力と急速な新兵器の研究開発に注力して気がつけば英軍と合わせてドイツに引けずとも劣らない軍隊を整備した。彼らの最大の特徴は第一次世界大戦で登場した新兵器をさらに強化したことであった。それらの新兵器は活躍するか分からなかったため一種の賭けであった。


しかし、コミューン政府にとってまたもや好機が訪れることとなる。


アメリカ内戦だ。


サンディカリズム・アメリカを支援すると彼らは合衆国政府をあっさり倒した。さらに、連合国政府をも押し返し始めたのだ。自動車技術が発展しているフランスにとって戦車というものの活躍は嬉しいものであった。


さらに、1936年12月頃、スペイン王国は内乱状態に突入した。王位継承権を巡ってスペインはカルリスタ・スペインと王国政府に分裂したのである。これを機にフランスコミューンはイベリア半島での共産革命を工作し無政府主義CNT-FAIを成立させた。内戦は直ちに三つ巴となりイベリア半島は戦火に飲まれた。コミューン軍は戦車と航空機による義勇軍を大量に派兵し近代戦を挑んだ。この作戦は大成功しドイツに介入される前に王国とカルリスタ党を打倒したことにより西欧は共産色へますます加速した。CNT-FAIはスペイン内戦に勝利するとイベリア連合となりコミューン政府の良き仲間となった。


背後の安全を確保したことで遂にフランスは東進を開始した。手始めにフランス人が多く住むスイス領オートサヴォアを併合することを試みた。ドイツにとってスイスというものは守るに値しないものであると知っていたからだ。ドイツは抗議こそしてきたものの最終的には黙認し強引に進駐しても派兵はしてこなかった。



そして、自信をつけたコミューン政府は戦争を決意する。


1938年6月20日、フランス第一革命での球戯場の誓いの記念日、コミューン政府は強い意志持ってドイツに最後通牒を突きつけた。

「アルザスロレーヌか、戦争か!」

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