世界大戦前夜 ドイツ帝国
ブラックマンデーにあえぐドイツでは次々と失業者が増え、労働運動が頻発し国家崩壊の危機とまで言われた。一時は財政破綻間近に迫ったドイツにとって広い領土は重荷となった。労働運動も押さえつけることができなくなり、強大な軍隊も維持が困難となった。軍拡を繰り返していた戦後の勢いは全くなくなり、傀儡国駐屯軍の一部を軍縮させることで維持を試みた。
これが危険であることは皇帝と全ての官僚に理解されていた。
しかし、せざるを得なかった。
1937年頃からラインラントでの赤化運動にフランスが支援を開始し、多くのフランスのスパイがラインラントに乗り込み工作を開始したが、失業者であふれかえる街をなんとかすることに夢中であったドイツ帝国はかなりの後れを取った。焦ったドイツはスイスからフランドルワロン領ダンケルクまでの長大な要塞線「ジークフリート線」を建設した。フランスもそれに対抗し「マジノ線」を建設した。
アメリカ内戦への介入は英仏に大きく後れをとり、善戦していたアメリカ連合国は押し返されることとなる。スペイン内戦についてはほとんど介入すらできずCNT-FAIの勝利を許すこととなる。
フランスコミューンはドイツが戦争をできる状態でないと踏んだ。そこで、フランス人が多く住むスイスのオートサヴォアを手に入れることを目論んだ。スイスはドイツに助けを求め、ドイツはフランスコミューンへ抗議をした。しかしコミューン政府は強引に進駐することを選び、ドイツもそれを見て見ぬふりをした。スイスはオートサヴォアを諦めざるをえなかった。
1938年6月20日、その日は突然到来した。
フランス・コミューンからの最後通牒
アルザスロレーヌの返還
ドイツ帝国にとってその要求は到底受け入れられるものではなかった。
フランスコミューンの国力を考えてみてみれば尚更である。
ドイツ帝国は直ちに総動員令を発動し最後通牒を拒絶した。
不景気にあえぐとはいえさすが世界最強の帝国である、直ちに数百師団を動員した。
歩兵中心ではあるが、数は英仏軍を凌駕していたため帝国政府は長期戦にはならないだろうと踏んでいた。