目覚める北の猛獣熊とバルカン情勢
北の猛獣熊は死にかけていた。ツァーリは廃位され領土は大幅に減り、二つの帝国主義国、日独に挟まれた。
1936年1月6日、ケレンスキー大統領が暗殺されると、国内には更なる暗雲が立ち込めた。だが、ロシアはあきらめていなかった。
1937年5月25日、ロシア共和国は復活を神に誓いロマノフ朝を復活させた。ロシア帝国が遂に復活したのだ。
そして、帝政は早速旧領回収を目指した。7月にドン・グバン連合とアラシュ議会に宣戦布告すると僅か一週間で敵全土を占領し併合した。8月にはカフカス三国とトルキスタン・ハン国に侵攻しこれを併合、9月にはフィンランドへ宣戦布告したが、フィンランドはドイツからの支援を受けたため、苦戦を強いられた。だが、10月25日にフィンランドは降伏し、さらに、冬が明けた1938年3月1日には露蒙戦争が勃発した。モンゴルの騎馬兵に苦戦を強いられたものの、モンゴルは物量に耐えらえず徐々に押し返され、5月19日に旧領の返還で停戦合意がなされた。
ロシア帝国の旧領は残すところあとわずかである。ドイツ東方植民地とトランスアムールだ。だが、これらの国は日独の権益があるため回収するにはそれらの国と戦わねばならず困難だった。
バルカンでは、1938年2月、ベオグラード条約機構とブルガリアの間で第四次バルカン戦争が勃発した。ルーマニア、セルビア、ギリシャは協力して第一次世界大戦の鬱憤を晴らそうとした。大国ブルガリアも三方向から攻められたため敵うはずもなく戦いは僅か二週間で終わりベオグラード条約によりブルガリアはベルリン会議での領土に戻され大幅に縮小した。
当然、これらの国の野望はまだ終わっていないのである。