ブラックマンデー
永久の安定を保証していたと思われていた帝国が突如危機に晒された。
1936年2月10日月曜日、ドイツの証券取引所にて突如株価が大暴落する事件が発生。当時は一時的な暴落かと思われていたが、一時的なものに終わらず、株価の急落は回復しなかった。そしてドイツから始まった不景気は瞬く間に世界中に広まり、社会主義国を除き大打撃を被った。
そして、この大不況は株価大暴落の日の曜日の名前をとってこう呼ばれた。
「ブラックマンデー」と。
大不況の発端となったドイツは世界で最も不況にあえぐ羽目になり、国庫も瞬く間に減少。広大な領土と数々の傀儡国を保持し続ける余力がなくなった。
一方で、サンディカリズム国家は影響をほぼ受けず、相対的に強くなった。1937年半ばころにはフランスコミューンとイギリス連合は列強諸国に名乗りを上げ、国際的にも共産化の流れが強くなり始めていた。
気づけばドイツは世界の中心という立場が揺らぎ、英仏の脅威にさらされることとなった。
アメリカでは五大湖周辺の工業地帯の労働者の社会主義運動が活発化し、彼らは「サンディカリズム・アメリカ」を名乗り英仏から支援を受け始めた。疲弊していた合衆国政府は運動の鎮圧に苦労することとなる。
ロシアでは再び赤化革命を起こそうという流れが発生し西部にて社会主義運動が活発化した。彼らはロシア革命の失敗で滅んだ「ソビエト社会主義共和国連邦」の復活を望んでいた。
フランスに近く、労働者も多いドイツのラインラントでも労働者が繰り返し暴動を起こし、フランスコミューンが毎回支援を試みていた。独仏対立は深刻化した。