この孤独な世界で 6
パチパチと上がる炎から、肉の焼ける美味しそうな臭いが辺りに立ち込める。若干切りにくかったその肉を何個ものブロックに分けて、そのうちの一つを菊門の炎で焼いている。
焼ける肉を見つめて、先程まで繰り返していた死闘を、俺は何回も何回も頭のなかで再生していた。VHSなら擦り切れるんじゃあないかっていうくらい思い出していた。
刀で肉を突き刺した感触が残っている。グーパーと手のひらを開け閉めするが、明確に残ったままだ。目の前で火を上げている、その辺に落ちていた木々を見て心を落ち着かせる。
焼け上がった肉を手に取り、倉庫から取り出してきた塩を振りかけて口へと運ぶ。
ぞぶぅっとかんだ瞬間に広がる肉汁は、俺の口内を支配していき、なおも攻め込んでくる脂がその肉汁ごと喉に流し込まれていく。
筋肉が多いらしく噛みごたえはあったが、味は申し分ないものだった。何日かぶりに食べた、缶詰や乾パン以外の食物は涙を誘うものがあった。
美味しさのあまり、眼を瞑ったまま俺は地面をバンバンと叩く。
焼けた肉を何個も何個も食べ、お腹が満足するまで一心不乱に貪り続けた。
ふぅと一息ついた所で、俺は菊門を眺めていた。俺の尻の穴じゃあなく刀だ。何度も言っておくが刀だ。
突如目の前に表れ、俺の危機を救ってくれたこの刀腰にはいつの間にか鞘が装備されている。
持つと、俺の右腕がたちまち炎で包まれる。どういう原理かは知らないが、俺自身は全く熱くない。
まるで魔法みたいだ。
この炎の強さは制御できるのだろうか。戦っていた時に、炎が急に燃え上がったのを覚えている。
とりあえず、あの時のように菊門に力を込めて集中してみた。間違っても排便をしてるシーンじゃあないぞ。
そうすると、同じように炎が急激に強さを増し、この空間の温度を上げた。それと同時に、身体の奥底から疲労感がどっと出てきて、炎の強さが弱まる。ごうごうと燃え盛っていた炎は、コンロの火のように小さくなって、弱々しさが光る。
虚脱感に耐えられれなくなって、刀を腰の鞘におさめて、こてんと横になる。このまま寝てしまいそうだ。
そういえば戦いが終わった時もこんな感じで疲労感がきたな。まあ、こんなに倒れる程じゃあなかったが。もしかしてら、この炎の出力を強くすればするほど、体力の消耗が激しいのかもしれない。
寝転がりながら考察する俺は、もう一つ疑問に思ったことがあった。それは、俺の身体能力が格段に上がっているということだ。
あんな巨体の動物の攻撃を一応受け止めることが出来たし、刀を力まかせに肉を分断することもでき、その屍を担いでここまで運んできた。
刀をなぎ払う速度、走っていく俺の脚のスピード、襲ってきた牙への反応。どれを取っても一級品だ。
どれもこれも、この菊門を手にしてからだ。多分というか、絶対こいつの仕業だろう。どういう原理かは全くわからないが、感謝せざるを得ない。
俺は別に頭がよく回る方じゃあ無いと思うし、このまま気にしていても疑問が残るだけだろうし、不思議な刀ということで頭にとどめておこう。
こんな現実があるんだ、不思議の一つ二つ増えても何の問題もない。
さてさて、夜もだんだんと耽ってきたし、また倉庫に戻って睡眠をとることにしよう。
簡易な毛布にくるまれて眠っていた俺は、突然鳴り響いた地響きに目を覚ました。
ズゥン、ズゥンと何秒か置きに少し遠くの方から、低く鳴り響くような音がこの倉庫内に木霊する。
寝ぼけていたことによって、何も考えずに倉庫から思いっきり飛び出してしまった。これが昨日の出来事なら俺は既に命はなかったかもしれない。
ともかく俺は外に出て見渡しの良い場所へと出ると、地響きが近づいてくる方向へと目を細めた。
いや、目を細めるまでもなかった。
その音の発信源はあまりにも巨大すぎて、俺は呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
大きな鹿と言ったほうが良いだろうか。まあ大きいというくくりだけでは収まりそうにない図体をしているが、ともかく大きかった。
脚は普通の鹿よりも若干太いようで、インターネットで見たことのある、ヘラジカだったか、外国にいる巨大な鹿と形状が酷似している。
ともかくだ。ともかくその図体が大きすぎるのだ。50メートルくらいはあるいんじゃないかっていうその体躯に、ただただ口を開けて唖然とするしかなかった。
「おいおい……このままこっちに来ると、踏み潰されるんじゃあないか!?」
俺は急いで横へと走っていく。鹿は歩いているが、その歩幅が大きすぎる。全速力で走り抜けて、なんとかギリギリ踏み潰されない所まで来れた。
バキバキとその辺りの木々が、草や苔の生えた倒壊した建物が、その強靭な蹄の着いた脚によって踏み潰されていく。
そして、とうとう俺が拠点にしていた、俺が今まで通勤して寝泊まりしていた自社が、踏み潰されると言うよりは、蹴られるといった感じでいとも簡単に倒壊させられた。
破壊されたコンクリートの一部がこちらへ飛んできて、避けるのでも精一杯だ。
ああ……ああ。俺の安全なスペースが、俺のベストプレイスが。強制的に退去させられてしまった…。
巨大な鹿は、気づいていないのか、こちらを見向きもせずに、そのまま進行方向へと去っていってしまった。
この荒廃した世界には、こんな生物もいるのか…。おいおい、本当にどうなってんだよ。
こんなに常識はずれなことが起きてしまったのに、俺の精神は割りと安定していた。この刀といい、あの黒い動物といい、色々なことがここ数日間で起こりすぎた。
少々のことじゃあ、別に驚かないようになってしまったのかもしれない。まあ、とはいえ、戦いが起こったらそうはいかないんじゃあないかな。
さてはて、これからどうしようか。