この孤独な世界で 5
突然だ。突然、俺の右腕が燃え上がるように熱くなった。熱したフライパンに指が当たって熱いとかいう、そういうのじゃあなくて、まるで炎の中に手を入れているような熱さが腕全体に広がる。
「ぅぐ………ッッッぅぅぁ…」
命の危機に瀕しているというこの状況の中でも、俺の腕は熱さは爆発的に増していき、弱い力が入ったうめき声が自然と出る。
睨み合いの均衡を崩したのは俺の方だった。膨れ上がる熱量にとうとう耐え切れずに、数瞬目線を下の方へと向けてしまった。
ズタっと駆け抜ける音が前から聞こえたので、そのまま横へと少し避けるが、地面へと押し倒されてしまった。
獣の臭いが俺の鼻をズンと刺激する。地面には俺。乗っかられて、マウントポジションをとられているという、最悪の展開がここに広がってしまった。
躊躇はせずに襲い掛かってくるその鋭く獰猛な牙に対して、俺は目線を離すことが出来なかった。吸い込まれそうな大きな口。色々な思いが駆け巡って、その暗い暗い口の中に恐怖を感じ、自身の生を感じたと同時に、俺の時が一瞬だけ止まった。
それが1秒なのか、0,1秒なのか、はたまたもっと短い秒数なのかは、俺には知る術はなかったが、たしかに一瞬だ。
その一瞬の間に頭の中に浮かんできた言葉がある。まるで、その言葉を呼べと命令されているかのように、口は勝手に動いていた。
「菊門」
なんで、こんな言葉を喋ってしまったのかと思った瞬間、俺は大きな火柱に包まれた。
その炎の熱さに驚いたのか、ダメージを受けたのかは知らないが、俺はマウントポジションを開放サれていた。
炎の中心に居る俺だが、全く熱くない。むしろ、自身の頭皮の臭いを嗅いでる時のように心地いい位だ。そして、俺の目の前に、一筋の光る金属の物体が空中に浮いていた。
英語風に言えばソード。日本風に言えば日本刀。
優しく包むように、ぎゅっと力強く刀の柄を右手で握る。頭のなかに、囁くように菊門という単語が今一度鳴り響いた。
多分この刀の名前だ。根拠も何もないが、自分自身の感覚でそれが理解できる。なんでこんな名前なのか意味不明だし、なんでいきなり俺の目の前にこの刀が現れたのかも訳がわからない。
ただ、ただ目の前の黒い敵を倒したいということは、この刀も俺も同じことを思っていると、そう感じた。
菊門から漂ってくる、力強さとその雰囲気は、それを現実にしてしまうんじゃあないかっていうくらい、存在感を放っていた。多分、いや、この刀なら……勝てる。
そして、俺は今一度自身を持って、尻の穴を呟いた。
「いくぞぉぉぉおお、きくもぉぉぉぉおおおん!」
轟っと、俺と菊門を取り巻く炎が消えた。
そして、菊門と握っている手から肩にかけて、その全体が真っ赤な炎に包まれた。すごく力強さを感じる。
それに、身体が凄く軽い。今なら100メートルの距離を走れば、オリンピックの選手くらい凌駕してしまうんじゃあないかっていうくらい、身体が凄く軽いんだ。
地面に生えている草がちりちりと少し焦げるあたり、腕に纏っているこの炎は温度が高いんだろう。
ふと、気配を感じて視線を移してみると、鋭い牙が俺へと躊躇なく襲いかかってきていた。
だが、今なら反応ができる気がする。今までの俺にはない速度で、菊門の刀身でその牙を受け止める。
「うっ、うへぇぁ」
浅はかだった。この菊門やなんらかの原因で筋力は上がっている感じはするし、動体視力も素早さも上がっている感じはする。
たしかに、受け止める事はできるが、俺は武器の使い方もしらないし、防御の仕方もしらない。
突進の力に押し負けた俺は、2メートルほど後ろに飛ばされた。身体は回転はせずに、そのままの方向に後ろに飛ばされただけだったので、体勢はすぐに立て直すことができた。
今、感じた感触だと同じくらいの力なんだと思う。力を入れて踏ん張れば、なんとか押し合いくらいは出来るんじゃないかと思う。
ォォォォーーーーン。
突然空に向かって遠吠えを始めた。身体に刻まれた黄色い稲妻の模様がバチバチと発光し始めた。
こういう戦いに疎い俺でも、この音がまずいことは理解出来た。投光機のようにカァっと明るくなっていく、あの模様を見ると嫌な自体しか思えない。
漫画とか映画で、ああいう演出は雷とか電撃が飛んでくるパターンだ。しかもこういう時に限って、避けてもその攻撃に当たってしまうあれだ。
そう考えた俺は走りだしていた。バチバチという発せられる音がとてつもなく怖い。俺は冬の静電気とか嫌いなんだ。
そのまま、刀を大きく横へ振りかぶり、黒いやつの腹めがけてその刃を放った。
「いっけえええええあ゛あ゛あ゛ああああああ!!!」
刀を刺すことと、ピカッと光る電撃が俺に突き刺さるのは同時だった。いや、正確に言えば電撃の方がわずかに早かった。
直前で電撃が直撃した俺は、絶叫を上げ手を別の方向に動かしてしまい、その刀身はずぶりと相手の脇腹を突き刺す結果になった。
それよりも、電撃の攻撃がひどく痛く辛い。刀を握るのもだんだんと辛くなってくる次第だ。
もうろうとする意識の中、ただ一つ考えたのは、この刀が突き刺さっている相手を倒したいということだけだった。
「ぅぅひぃぬぁぁぁあああああああ」
口元が痺れてしまっていて、ちゃんと言葉が喋れたか、力の入るような声が出たのか、はたまた変な掛け声がでたのか、全くわからなかったが、確かに俺はその柄を力強く力強く力強く握った。
力を入れた筋肉ってこんなにも硬いものなんだと身を持って痛感した。漫画では、あんなにも簡単に肉を切り裂いているのに、現実となるとそれはなかなか実行出来るものではなかった。
内蔵が傷つけられたのか、黒い奴は口から赤黒いとろりとした血液を吐き出している。ギロリと睨みつけるその眼光には、俺を絶対に殺してやるという明確な殺意が、湧いて出てるのが眼の奥底に宿ってるのが分かる。
幸いこの角度からは相手の牙は、俺へと届きそうではない。ばたばたと暴れるその巨体に、俺自身の身体がずりずりとゆっくり引きずられたりする。
だが、絶対この突き刺した刃は離さない。
一瞬その動きが止まり、何事かと思いきや、相手がの雷模様がまたバチバチと音を立て始めた。
俺の顔は青くゾッと染まり、身体がビクッと震えた。あの、電撃はもう食らいたくない。
「ぬああああああああああ!!!!!!!」
俺は精一杯の力を込めて刀で、突き刺した部分から切り裂こうとするが、どうもそれは上手くいかない。
「ああああああ、糞!!!この菊門!もっと頑張れよおおおおおお!!!」
そう叫んだ瞬間だった。俺の炎に包まれている右腕が、先ほどよりも強く強く強く轟っと、炎が強くなったではないか。
それを見た瞬間確信があった。これならいける。
力任せに、刀に力と意識を全集中する。ギャインギャインと相手が苦痛の声を上げているのが分かる。それはそうだろう。相手が内臓から激しい炎で焼かれているとなると、それは苦痛でしかないだろう。
そしてそのまま、俺は刀を横へと切り裂いた。さっきまで切れなかった筋肉を、筋繊維をぎちぎちと引きちぎるように、そのまま切断していく。これは菊門の力なのだろうか。俺の尻の穴にそんな力は無いが、この刀には何かがあるんだろう。
倒れた相手の方向へと振り返り、二度と襲って来ないように、菊門で相手の頭へと思いっきり突き刺すと、2,3回ビクリビクリと痙攣したあと、そのまま眼を開けることのないただの屍に成り下がってしまった。
ズボッと頭から抜いた菊門には、トマトジュースがポトリと垂れており、ああ、俺がこの動物を殺してしまったんだなと、実感させられた。
右腕の炎は、先ほどよりも凄く小さくなっていた。腰に装備されている鞘にスッと収める。
鞘とか炎の強さとか疑問を感じたが、そんなことよりも、今は疲労感の方が大きい。正直いますぐ倒れて眠ってしまいそうだが、気合で踏ん張り、俺は足下に転がっている大きい食料を手に持った。
こんなにも大きい体躯の動物なのに、なぜか軽く担げるあたり、俺はどうにかなってしまったんじゃあないだろうか。
食料を持ったまま、俺は自社へと帰っていった。