この孤独な世界で 1
外には車の音や人の喋り声、部屋の中ではパソコンのキーボードや書類にボールペンを走らせる音、上司から部下への命令の声が時たま響き、緊張感しかない空間を作り出している。
そんなことを考えている俺も、右手にボールペンを持って数種類の書類に目を通しながら、気分を紛らわせるためだけに、左手の人差し指だけで動かしてキーボードを打ち、室内のごちゃごちゃした音の一つを作り出している。
一枚、また一枚と書類をめくるたびに、俺の脳内が疲れという単語で埋め尽くされていき、適温の室内なのに眉間に一筋の汗がたらりと流れた。
以上から少しだけ察することができるように、俺はたくさんの契約書類を見ながら、打ち込み作業に絶賛没頭中というわけだ。
俺ではない他の社員がとてつもなく大きなミスをしてしまい、山のような仕事が急に降ってきてストレスがマッハだ。
まあ別に、ヒューマンエラーは起こりうるものだから、その社員を恨んじゃあいないが、明日が土曜日だというのに、この終わりそうにない仕事を見ているとゲロが出てきそうだ。
「おーーい。春瀬。その書類が終わったら手伝ってくれ」
死んでなお腐ったような目をしている時に、いつの間にか俺の隣にいた上司の声が聞こえてきて、まだ仕事があるのかと心の中でそっとゲロを吐いておく。
「わかりました。あと10分程待ってください」
俺はすぅっと大きく一息入れると、人差し指だけで打っていたキーボードの体勢をやめ、自身が一番打ちやすいポジションへと指を移動させ、また死んだような目でディスプレイの文字を追っていった。
カタカタと打ち、書類を見て終わったら迷わないようにファイリングをし、また新しい書類を出してのループをしていたら、いつのまにか残っている書類が1枚となっており手が震えた。
首を左右に二回振ってごきごきと骨をならし、胸をぐぐーっと張って背中の伸びをする。
どれだけ辛く嫌な仕事でも、この仕事が終わる感覚はなんとも言えないものがある。この瞬間はすごく気持ちがいい。
今日は頑張った。特に頑張った。そして手元に残った一枚を見つめ、俺はギンと目を見開くと、超スピードで打ち込んでいる感覚で、最後の仕事を終わらせた。
「よっっっっっっっし終わったあぁーーーーーーーー」
何も考えていなかったらふと思っているままの言葉が出てしまった。すこし恥ずかしかったので周りをきょろきょろと見渡してみると、室内は超お疲れムードで、今にも椅子から崩れ落ちそうな同僚、キーボードの上で寝ている後輩、ふぉぉぉぉーーーーんとファンがとすごい音をだしている複合機。
全てが疲れていた。
「よっしゃ。こっちも終わった。みんな今日はよく頑張った。お疲れ様だ。あとはおのおの……気をつけて……かえってく……れ」
仕事が多かった、いや俺らの仕事の2,3倍の量の書類を片付けていた上司もようやく終わったようで、みんなにそう告げるやいなや、そのまま机にばたんと倒れぐーぐーと眠ってしまった。
俺は会社では流石に寝たくはなかったので、疲れた身体を死んだような動作で動かして、小さく部屋に挨拶をした後、そのまま自宅へと重い足取りで帰った。
自宅への道のりは正直あまり覚えていない。覚えていることは自動販売機で炭酸のジュースを買ったことぐらいだ。
”ギンギンでビンビンでパワフルなコーラ”というこのジュースのネーミングセンスはいかがなものだろうか。
それはともかくして、自宅へのドアを開けたおれは、誘い込まれるようにしてベッドに倒れ込んだ。スーツにシワがつくかもしれないが、着替えている精神と身体の余裕はなくそのまま気持ちよく眠ってしまった。
目が覚めたのは耳の鼓膜が破けるんじゃないかっていうくらいの轟音が響いた時だった。爆発音のようなそれは、俺の脳内を瞬時に覚醒させた。
急激な現実の展開は、一般人で特に技能も訓練も受けていないは俺に恐怖と不安を与えた。
その音は一回や二回だけではなく、幾度も幾度もそこら中で鳴り続け吐瀉物を撒き散らしそうな精神に陥る。
窓から身を乗り出して外を覗いてみると、あちこちで煙が漂っていた。あわててテレビを浸けてみるとニュースがやっているが、電波が悪いのがたまにザーッと砂嵐のような画面が現れる。
正直俺は混乱していたので、外に出て見の安全を確保することも忘れて、テレビの情報に釘付けになっていた。
画面が砂嵐でひどい中、現地のレポーターの中継に変わって俺は驚愕の現実に遭遇することになった。
「なんだ……この映像…。……ドラゴンが映ってる」
長い首に、分厚い首。自身の身体より大きいんじゃあないかっていうくらいの巨大な翼。かすかに炎が舞っている口元。ででんとしたお腹に、長い長い尻尾の生物が、バッサバッサと飛んでいた。
よく、ファンタジーの漫画や映画で見たことがあような、その姿そっくりだ。
とてもじゃないが信じがたい映像で、コラ動画を連想させたがレポーターの必死さと、テレビに映し出されるそこら中で巻き上がる煙と、画面に映る何体もの死体を見ると、こちらの方が現実に思えてくる。
「みなさ…ザザザッ………すみやかに逃げ……ザー。隠れてザザーーーーーーーーー」
そこでテレビは完全に砂嵐の画面になり、チャンネルを変えてもどこの局も砂嵐のままだった。恐怖のあまり俺は、数本のペットボトルの水と携帯食料が入った普通サイズの災害時の非常用リュックを持つと、動きやすい靴を選んでそのまま外へと飛び出した。
わけも分からずに走り続けていると、空から生物の泣き声のようなひどく鋭い声が響いた。空を見上げると、そこにはあのテレビで見た信じられないような生物。
「ドラゴン……」
大きな大きな、クジラよりも大きいんじゃないだろうかっていうくらい、ごつごつしてそうなガタイのいい眼を見張るような大きさのドラゴンが俺の身に映った。
ドラゴンは優雅に空を飛び回り、その速度がゆっくりになると上空へと一気に飛び上がり、こちらをじっと見た。たぶん俺を見たわけではないだろうが、一瞬目があったような気がした。そのまま口を大きく開けて、じっと何かを待っていた。
待っているというか、溜めている。こんな初めて見る生物でも、戦いの経験が無い俺でもその空気が理解できた。あの大きく開けた口が怖い。
暁光のようにドラゴンの口がまばゆく光りだし、山の奥側から太陽がでてくるような日の出の光景を思い浮かばさせる。光はだんだんと巨大になり、俺もうっすらとしか目を開けられなくなってきた。そんな中再度ドラゴンの大きい咆哮が聞こえたかと思うと、まぶたの裏側が真っ赤に光り俺は意識を失った。